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私はいつだってそうなんだ
まずは、今朝のタロットから。
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「ワンドの9&0番愚者」
精神的傷を負いながら、守りに入り、戦わずしている。自由に飛びかい、何にも縛られないで。私はただの愚か者。
今日は、書くのに苦労するんだろうなと思っている。もう、つまっている。自分がしたことに、反省もするけれど、私はいつだってそうなんだ、破壊屋なんだ。ぶち壊しておいて、何を今さらということだけれど、もう、自分のしたことを受け入れるしかない。今さらきれいごとなんていってられない。
私はまず、自分の気持ちに向き合う。人間なんだから、自分の気持ちしかわからない。いやいや、自分の気持ちさえわからないのが本当なのかもしれない。だけど、今日の2枚にはどきどきしてしまい、うろたえた。
「ワンドの9」は、今までの自分。そう解釈する。ぐだぐだというつもりはないけれど、ずっと傷を負いっぱなしだった。転んでも転んでも立ち上がり、傷を見せずにきたのかもしれない。もうそんなことは、どうだっていいのではないか。「ワンドの9」の兵士は後ろのワンドをちらっと見ている。今まで背負ってきたものを見ている。何かまだ荷をおろせずにいるのかもしれない。だから、ずらっと並んでいるワンド。
私はどうなりたいのか。自由でいたいのか。自由でいることと、愛を受け取ることは成立するのか。わからない。どうしても、ここがわからない。いつもここでつまづいている気がする。息がつまってきてしまう。苦しくなる。私は不幸な人間なのかもしれない。世の中の人たちは、どうやって愛を育んでいるの?私はいつもつまずいている。でも、今朝は「0番愚者」が出てくれた。はっとした気分だった。私の潜在意識では、こんなにも軽やかになっているんだと、こんなにも愚か者なんだとはっきり示してくれた。犬が危険だよ、と吠えていても愚者はまったく意に介さない。そうやって、危険な方を選ぶのがいつものことなのかもしれない。
書くことは癒し。何よりも癒し。私はタロットで人の悩みを聴くことをもう投げ出した。まだまだ、私が癒されたい部分があるからだと思う。だからだと思う。だから、こうやって書いている。カタルシスなんだ。もうこれ以上、今日は書くことがない。しげしげと「0番愚者」のカードを眺める。荷物も少なく、バラ1輪を手に持ち、太陽までさんさんと差している。でも、ごめんなさい、という気持ちが湧いてきた。傷つけてごめんなさい。
遥か遠くにいる人に抱く気持ちというのは複雑で、近くにいたって複雑だろうけれど、でも、私はやっぱり破壊屋だった。こんな私は愛される資格がない。いつだってこんなだ。だから、独りなんだ。
それでも、「0番愚者」には可能性がある。どうか神様、私を見捨てないで。
空川ナオ