見出し画像

当たり前にだって人それぞれ。

当たり前のように行われる「食べる」という行為。

料理の味付けが家庭によって違うように、その料理の食べ方や食べた感想だって人それぞれ。

以前書く習慣1ヶ月チャレンジの時に外食があまり好きじゃない、食にそんな興味がない話をした。


本日はそれをさらに深掘りしてみようと思う。

(先に謝っておきます。長い、長いです…!それでも読んでくださるならば自己責任でどうぞ。笑)


前に観ていたドラマ「あたりのキッチン」「作りたい女と食べたい女」で食べることについて考える時間が増えた。


残すことにプレッシャーを感じてちゃんと食べろと言われることが苦手な人、食べたくても食べれなかった人…。

このただ食べる、という単純に見える行為にも人それぞれの悩みが意外にも多いのだということに初めて気がついた。

自分の場合はまず、大勢の人が周りにいる中で食事をしてると目線がものすごく気になる(人は意外とみていないってことも分かっているんだけど)。それから食べてる最中に空いているお皿を下げられることもその度に人が近くに来るからプレッシャー。


食器を下げられることによって自分の食べる遅さが際立つから、早く食べなきゃと余計な焦りが生じる。


家族の中で食事が遅いのは自分だけ。というか多分他が早すぎるだけで自分は別に大して遅くないのでは?と最近思いだした。


だからか一番気を許せるはずの家族との外食が楽しんだ記憶より焦って食べて疲れていた記憶の方が多いかもしれない。


家族と外食をするとなると、いつもとにかく早く食べることに必死。味わって楽しむ余裕などない。


こういった出来事があったから外食に苦手意識ができたのかもしれない。


こういったことは話せないのになぜか「食べたい女〜」を観てた時にポロッと母に話してしまった。そしたらそんなトラウマになってたのかと言われた。


そう言われたことで、自分にとってこれはトラウマだったのかと初めて気付かされた。そしてそれをそのレベルまで自分が苦しいことだと伝わったことは何だか嬉しかった。


昔一度だけ外食行くとなった時に、自分はいいから行ってきてと言った後に色々話してたらヒートアップして母と姉の前で泣きじゃくったことがある。二人にとってはなんとかでも自分にとってはなんとかなんだ!!ぎゃー!!みたいな。


こういったことがあると一見少しは理解されただろうかと思っていたけど、まだそうでない部分も多いし、意味がわからないことを言われたり、怒られたりもする。


それでも、これまた何とかなっているのは母のおかげだとも思っている。


そもそも自分が外食が苦手になった大きな原因は恐らく父だ。

今でもはっきりと覚えているのは、昔父と姉と3人で食事をしていたときに、自分だけまだ全然食べているのに会計にいかれて置いて行かれたことがある。


そしていつも遅いとまだ食べてんのか、とか、置いていくぞと突っ込まれて圧をかけられていた(ように感じていた)。


それをなかなか大きな声で言ってきたり、早く出ようと動き出したりするので、こういった行動が恐らく周りの視線が気になるようになった原因かなと思っている。


ただでさえ遅い上に、猫舌ときてるので余計に遅くなる。いつ父に突っ込まれるか、突っ込まれないように急いで食べようといつも目の前の料理ではなく、家族のお皿の減り具合を見ていた。


いかに早く食べるか。だからいつもメニューを選ぶときは品数が少ないものにしたり、夏になると冷たいものを選べるときは選んだり。おかわりなんてもってのほかだった。


最近友達にこの話をしたら、よくそれで外食恐怖症にならなかったな、と言われた。


確かにそうなっていてもおかしくなかったのかもしれない。

でもそうならなかったのは、母と二人の外食が美味しく、楽しかったから。


母はいつもゆっくり食べて良いよーと言ってくれた。

父を含めた食事中も、ツッコミが入ったり動き出したときはいつも父を叱ってくれた。


今でもどうして理解してくれないのだろう?と思うところもあるけれど、こうした世界がちゃんとあったから、恐怖症にならず、今も美味しいものに出会うことができている気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?