強迫性障害 〜社会人になって通院の決断〜

限界

症状に取り憑かれながらも、無事に就職することができました。役所だったのですが、配属された部署はイベントが多い部署。案内文やパンフレット等、パソコンで文書を作ることが多く、何度文字を打ち直したことか…。このときは「同僚に嫌われると思いながら動作をすると本当にそうなる」といった強迫観念が私を襲い、儀式的行為に導いていました。物を片付けるときも、棚に出したり入れを繰り返し。税金をいただいて行う仕事という責任感が私に追い打ちをかけました。

「苦しい。」

通院

どうしようもなくなった私は、インターネットで調べ、これが強迫性障害という病気なのだと知りました。心療内科に行ったら職場に知られてしまうのかな…と少し不安はあったものの、早く治したいの一身で病院を探しました。
そして初めての心療内科へ。最初に家の近くの病院へ電話しました。受付の方に症状を説明し、強迫性障害ではないか診てほしいと伝えると、「何で強迫性障害と分かるんですか?」と問い詰められ怖くなり、断念。心療内科ってこんなに怖いの…と怯えた私が、インターネットで予約できるところはないかと探してたどり着いたのは、電車で30分のところにある病院。緊張しました。でも、カウンセラーさんや先生が親身に話を聞いてくださり、そこに通うことになりました。

投薬治療

そこでは、まず投薬治療がはじまりました。薬で良くなる!と信じて病院に通いました。

治りませんでした。

2年間くらいだったと思います。何回も薬を変えました。もう何を試したか覚えていないくらいです。

それでも耐えました。今まで何年間も不自由にしてきたので、それが普通だって思い込みました。苦しそうな私を見た同僚からは、「どうしたの?」と聞かれたこともあります。「地獄に落ちてしまうんです」なんて答えることはできませんでした。

まとめ

私の苦しみは限界に達し、人の力を借りることになりました。ただ、それは決して甘えではありません。自分を守るために行動した結果です。
心療内科の先生も受付さんもいろんな方がいらっしゃいます。自分が治してもらいたいと思う病院に行くことが大事だと思います。そして治療方針は先生と相談しながら。
私の治療は、この後カウンセリングがメインとなっていきます。

*余談*

実は幼い頃、この症状が苦しすぎて母に泣きながら相談したことがあります。母は、「大丈夫だから」と慰めてくれました。私が同じ動作を繰り返そうとすると、止めてくれるようにもなりました。ただ、やっぱり母が見ていないところでは強迫行為のし放題。改善はあまりしなかったです。
病院には、母に内緒で行きました。ただ、先生に、家族にも相談したほうがいいと伺ったので、伝えました。驚きながらも、一緒に寄り添ってくれた母には感謝しきれないです。

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