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【備忘録】 東京商船学校の霊岸島校舎
霊岸島にあった三菱商船学校は1882年4月1日を持って官立東京商船学校となる。この際に校章がコンパスマーク(羅盤八方鍼)に改められた。コンパスマークの意匠は現在も海上保安庁や海技教育機構などのシンボルマークとして受け継がれている。
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官立移管により航海士の養成が主であった教育にも変化がみられた。移管後まもなくして海軍予備員制度が導入され機関科も拡張される。海軍の専門的な訓練は築地にあった海軍兵学校(1888年、江田島に移転)で行った。
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海運需要急増による生徒の増員のため、霊岸島の校舎は手狭となり移転計画が持ち上がるも実現しなかった。このため新たに建造されたのが三層レンガ造で併せて気象観測台としても使われた東京商船学校の新校舎であった。
その後、東京商船学校は越中島(現在の東京海洋大工学部)に移転し、この霊岸島校舎は中央商業学校(現在の中央学院大中央高校)に移譲され、関東大震災の際に倒壊してしまう。
参考文献
『東京商船大學九十年史』(東京商船大学、1966年)「東京商船大学八十五周年記念会」