考える人の話を聞いて自分はどうかと考える
ポッドキャスト「となりの雑談」を好きで聞いている。
雑談というよりも、人生哲学的なところがある。
とはいえ、難しく論じるのではなくて、人生経験から導き出したひとつの考えを、喫茶店で話しているかのように流している。
最近は「何者でもない自分って言葉使う人が多いよね」といった話が多い気がする。
帰結としては「SNSが悪い(笑)」になるんだけど。
何者かであるためには何かをしていないとならないんだけど、じゃあ何者かになるために何かやっているのか、という話もある。
ついでに言えば、具体的にどんな者になりたいのか自分の中で決まっているのかい? という問いかけに行き着く。
番組では彼女たちがこれまでの人生から何を考えたか、というのを分かりやすく雑談形式で話してくれる。
それに共感したり、驚いたり。
よくもそうやって言語化できる者だなぁと感心しきりだ。
そうやって尊敬の眼差しを向けて(向けているのは耳だけど)いるせいか、私自身もいろいろと考えるようになった気がする。
親のことや夫のこと、はたまた人生のことや自分自身の性格のこと。
私は夫のおかげで今はだいぶ自己肯定感が上がったけど、「親は自分の子どもを卑下するもの」みたいな時代に子供だったので、当たり前のように親からの評価は低く、自己評価も当然低い。
最近じゃ聞かないけど、昔は「愚息」とか「愚妻」とか、そう言う身内へのネガティブな言葉が平気で使われていた。
人前では身内を貶めるものというか。
当時付き合ってた彼氏に母親が「この子は根暗だからつまらないでしょう?」と言ったことは今でも根に持っている。
ひとつ書いておくと、別に親のことが嫌いというわけではない。
番組を聞いていたら、人格形成でだいぶ親からの影響を受けたことを自覚した。
昔のことを思い起こさせるので嫌なことも当然思い出すことにはなるのだけど、ただそうやった親から影響でちょっと性格に難があるような人間って自分だけじゃないんだな、と思ったりもする。
ちょっとだけメンタルが落ち着いていくような、そんな感じのポッドキャストと言える。