ダモクレスにならずとも剣はぶら下がる【日常の話】

将来への不安が漫然と現れてきた今日この頃。いまだ分からないことの多いウイルスやら分かりきったはずだが打開策のない悪天候が続く日々。気持ちとはなんと簡単に滅入るものだろう。意気揚々と掲げた目標という名の旗は、現実に立ち込める白霧にさらされて白く染め上げられてしまった。それだけ、ああ、それだけで、どうして人間というのは力なきものになるのか。あんなに大好きだったパソコンが今ではどこか悲しいもので。七つの大罪があるならば紛れもなく怠惰だ。いや、むしろ高慢なのかもしれない。連日連夜ダークなものばかり声を大にして伝えるネットニュースの波を浴びても、白い旗は黒くはならない。それどころか白さに磨きがかかるくらいだ。マンガに登場する脳筋な少年少女たちでさえも二の足を踏むような事態だ。人並みの知性がある人ならなおさらだ。そんなことを思っても仕方ないとは分かっているが、思わないのも体に毒だからこうして思うことをここに書き出すようにしている。たまにこういうことも書きたくなるのだ。もとより一言居士的な性格、というのもあるのだろうが。

冒頭でも書いたが、僕は自分の将来へ漫然とした不安を感じている。思えばどうしてとしか言えないが、成人という節目を迎えたのだ。個人的なイベントでも何でもないがなんだかめでたい気がしたので、成人になった日、すなわち誕生日にはセルフ・セレブレーションをしてみた(しかし思い返せば一人暮らしの身にとってはそんなものいつでもできると気づいたのはまた後日のことだ)。改めて字に起こすと、悲しいことをしていたものだ。そしてその時のことを思い起こすと、人間、気概一つで自虐的にもナルシズムにも猛々しくもなれるのだから偉いものだ。その時は、別に酒を入れた訳でもないがやたらと高揚していた覚えがある。自分への自信や自己愛が昂ってでもいたのか。余談だが、僕は成人してからもタバコやギャンブル等には一切触れていない(酒はわずかではあるが嗜むのだ。粋がりたいだけなのかも知れないが)。むしろ殊更興味がなくなってしまった。なぜかと考えたとき、もとよりさして興味がなかったのもあるが、一番は金銭的に余裕がないからだと自己解決した。とは言うものの、ギターやゲームなどにその金銭を割いているから、浪費しないというわけではない。悲しいかな物欲には逆らえない。それでこそ人間という証明。  

閑話休題。やたら高揚感を覚えてしばらくしたら、台風一過、むしろ真逆だが、また元通りになった。冷静さを取り戻した頭で考えれば、現状は特段いいとは言えないことに気づいたからだろうか。冷静に考えれば加齢、独立などの重責がのしかかる日。成人した翌日の朝にはそんなことが頭をかすめた。

誰だってそうだろうが、僕は出来る事なら自由に生きたいと考える。某巨大動画サイトのキャッチコピーではないが、できるなら好きなことばっかりやって生きたいものだとは常日頃から思っている。なにも億万長者になって散財の日々を謳歌するのではない。なにせ一食百円にも満たないもやしのナムルやサのつく格安イタリアンで外食する程度で満足してるからだ。性格上散財も似合わないのでなおさらだ。僕が望む、具体的な「自由な生き方」を定義するならば、平日の昼間だろうが、日曜日の夜中だろうが、ふと思い立った時には外出して、何だったら小旅行する勢いというスタンスを最優先する、というのが僕の望む「自由な生き方」である。そんなことは許されないのがこの社会構造。憎むべきは時代か先人か。「自由という刑」とはサルトルは考えたものだ。

「ダモクレスの剣」ということわざがある。栄華を極めた者には常に危険がまとわりつくもの、という意味だ。しかし今や、王者であろうが中流階級であろうが、乞食であろうが、誰の頭の上にも剣はぶら下がりつつあるのだ。

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