ペトリコールとあの香り
概念が言語化されるということは物事に輪郭が与えられるということだ。
与えられた輪郭は、意味を定義され、一般に広がり、辞書に載り、やがて普遍化していく。
ざっくりと身近な例をあげれば…世のお金の流れに伴って物価が変動する"現象"を、経済の専門家は、デフレやインフレなどと名付けて扱いやすくした。名前が与えられてぼんやりとしたそれを理解しやすくなったのだ。これは「名前」の存在意義の大事な部分だと思う。
私は雨の匂いが好きだ。とりわけ、雨が降り始めた途端に沸き立つ、あの香りが好きだ。霧がかかり始めた秋の山中、降り出した雨と共に、空気がより一層と冷え込み、雨を吸い込んだ黒々とした土から、立ち込めてくる、そんな、あの香りが好きなのだ。
不思議なもので、多くの人がそれを認知している。が、決して良い香りでもない。ベーカリー前を通るときのような、食欲や幸福感を誘う香りでもないし、ネロリ・ポルトフィーノのようなフルーティな香り、タムダオのような奥行きのある香りとも似ていない。少し濡らした土の香りに、すり潰した草の香りを足して良くしたくらいのものだと思う。が、悪くない。むしろなんだか良いのだ。
ところで、「あの香り」には名前があるらしい。それは『ペトリコール』と呼ばれ、❝長い間日照りが続いた後の最初の雨に伴う独特の香り❞と定義されている。この単語を知ったときに私は呼び名があることに驚いたのと同時に、なんだか寂しい気持ちになったのを覚えている。
ペトリコールが好きだ。違う。あの香りが好きなのだ。意味を定義され名前がついたペトリコールというその文字列は、なんとも味気ないのだ。
個々の知る様々な「あの香り」には、ぞれぞれの背景を背負ったまま、ただ曖昧な概念として存在してほしいのだ。
名がつくことは素晴らしい。概念の言語化は学問の真髄だ。けれども、曖昧なまま存在することで、極めて小さな私だけの大切な価値がそこに保たれる。多くの言葉に触れながらも、そういうちっぽけな価値を大事にしたい。
note始めます。こんにちは。