リトアニアで骨身に刻んだ・忘れたくない「生まれの偶発性」
ようやく大学院の集大成である修士論文
「リトアニア在住の難民起業家のICTを活用した
コミニケーションの役割だ」を提出した。
難民起業家を支援するNGOで1年間インターンとして参画することで当時者13名と専門家へのインタビュー調査を実施した。
難民起業家の多くは英語が喋れない関係上
通常であれば、インタビューのアポが大変困難なところ、NGOのリサーチプロジェクトにただ乗り&ウクライナ語・ロシア語が喋れる同僚のサポートにより問題なくデータを集めることができた。
インターン先のNGO:Refugee Council of Lithuaniaの職員は代表のリトアニア人を除いてウクライナ、ロシア、ベラルーシ、アフガニスタンといった難民の背景を持つ方々だ。
毎週のミーティングでは、ときに彼らの母国の状況を聞くことが度々ある。
そんな中で、1月末に卒業式を迎え、ついに1年5か月ぶりに日本へ帰国することを彼らに伝えた。
有難いことに仕事ぶり・人柄を非常に評価いただき
NGOのスタッフたちに大変別れを惜しまれた。
最も一緒にプロジェクトに取り組んだウクライナ人スタッフからは、来月から
「貴方無しで来月から、どうやってイベントするの? 」と泣きつかれた。
彼女は、お別れパーティを企画してくださった時、泣くのを我慢するため途中で退席していた。笑
そう思って頂けたのは本当に有難い。
同時に今回ほど、
「生まれの偶発性/Accident of birth 」を
痛切に感じた事が無かった。
生まれの偶発性とは、
政治哲学者ハンナ・アーレントが
提唱した政治哲学思想だ。
この概念と難民問題を一言で纏めると下記の通り。
私は今までに日本・パレスチナ・ベルギーの難民センター等で多くの難民の背景のある方々と関わってきた。
しかし、今回はかつてないほどに
「生まれの偶発性」を強烈に感じた。
その背景には、大学院生・留学生という身分で
自分自身が「移民」の立場になった事
今まで以上に長期に渡り当事者達と
密度の濃い経験を共有してきたことがある。
1年間毎週顔を合わせて、一緒に協働して難民の背景を持つ職員達と難民起業家の推進プロジェクトに取り組んだことで、
「深く・愛のある関係性」を彼らと構築した。
私は、いつでも母国に帰れる。
一方で私の仲間達は政治的理由やロシアからの占領下で母国に帰れない。
私と彼らの違いは何なのか。
生まれの偶発性以外ない事を骨身に刻んだ。
難しいことは、
「生まれの偶発性」の本質的な理解とそれらを伝えること。
多くの方々が表層的にこの概念を理解することができるだろう。
しかし、この考え方を具体的に深く・正しく嚙み砕くことは非常に困難だと感じる。
アーレントや難民問題の学術論文を読むだけでは
骨の髄まで染み渡り、正しく捉えること・伝えることは非常に難しい。
正しく咀嚼するためには、
理論と当事者との密接な関り(実務)が必要。
強制移住・難民法の専門家であるICUの橋本直子准教授は、20年以上の実務・学術経験を経てようやくこの概念を真に理解したと語っている。
(橋本,2024,P3)
私がなぜ安定企業を辞めて、
リトアニア留学でも難民問題に着眼したのか
今後のキャリアを国際協力分野で考えているのか
それは、「生まれの偶発性」が
頭から離れないからだ。
特に胸をえぐられる感覚に陥る。
国家に守られ、自由に母国に帰れる私と
国家に守られない母国に帰れない
私の仲間・友人達
リトアニアのビザを簡単に取得した私と
ビザ取得のために中東某国に滞在していた
カメルーン人のクラスメイトやパキスタン人のフラットメイト達
留学期間、バイトせずに勉強に集中出来た私と
授業開始すぐにバイトを始めたクラスメイト達
この差は、全て「生まれの偶発性」に起因する。
この格差を是正すること、つまり
恵まれた国に生まれた人間が
不正義に直面する国で生まれ
困難な状況に直面している人々と
機会を分け合っていくこと
彼らを下支えし
背中を押せる環境を作り出すこと。
それが難民条約の全文に謳う
難民保護を世界の国々が
協力して責任分担するということだ。
そして、不正義な状況を是正していきたい気持ちが今までの私を突き動かしてきたし、
きっとこれからもそうなると信じたい。
これから、国際協力における
人道支援・開発援助機関の私利私欲の汚い現実・
ドロドロな世界に直面したとしても
自身の原点・ピュアな部分は、
常に心に刻み、
忘れたくないと強く思ったリトアニア留学。
外的要因に振り回されても
当時者の方々へ思いを馳せて、
現状を変えられるために
時間を費やし
行動していくことを「選択・決断」していきたい。
関連記事