目が悪い扇風機
我が家に扇風機がやってきた。今流行りの扇風機型ペットロボットだ。“目”と呼ばれるカメラで人間を認識し、体調や状況にあった風を自動で送ってくれるという優れものだ。
さらに、ペットロボットとある通り、学習機能を搭載していて話しかけると風の強弱で応えてくれる。話せはしないが、話しかけると風を送って応えてくれる姿が可愛くて癒されると若い世代を中心に話題になり、流行に敏感な高校生の妹も例に漏れず、宿題と扇風機のプロペラ掃除をしっかりするという約束の元、どうにか我が家に迎え入れてもらったという次第だ。
正直僕は興味がないし、扇風機とコミュニケーションなんてくだらないと思っていた。
高校3年の僕、扇風機を買ってもらった中学1年の妹、専業主婦の母とサラリーマンの父の4人家族だ。動物嫌いの父のせいでペットを飼えなかった母は日中の良い話し相手が出来たと喜んでいた。
配達予定日を把握して、いつもより早く学校から帰ってきた妹が早速箱から取り出し、電源を付ける。嬉々として「こんにちは!はじめまして、これからよろしくね!」と話しかけるとプロペラが回り始めた。反応したことにはしゃぐ妹。そんな様子を母もほほえましく見守っている。だけど僕は違和感を覚えた。「それ、お前の方向いてないぞ。」僕が指摘すると妹も気が付いたようだったが、「初めてだもん。まだ赤ちゃんなんだよ。」と、水を差されるようなことを言われたのが気に障ったのか、少しむきになって反論された。それもあったかなかったか、僕はその扇風機があまり気に入らなかった。
あれから毎日僕以外の家族が扇風機に話しかけていた。しかし、扇風機は反応はするが、どうしても遠い場所にいると的外れな方向に風を送ってしまうのは治らなかった。
「この子、目が悪いのかもしれないね。」「そうね、でも近くで話すとちゃんとこちらに風を送ってくれるから、きっと声は聞こえているんだわ。」そう妹と母が話しているのをどこか冷めた気持ちで聞いている自分がいた。
それから数日後、扇風機の状態は悪化し、誰も話しかけていなくても誰もいない方向に風を送っていることが多くなってきた。母が「最近、誰もいない方向に風を送るようになって…お隣の奥さんのとこの扇風機はそんなことないって言ってたけど…うちの子はどうしたのかしら…。」と毎日のように嘆いていた。
「扇風機だから“せんちゃん”」という少々浅はかだとも取れる名前まで付けて可愛がっている妹も、時折不具合を起こす扇風機を心配していた。「私の友達も誰もそんな風な行動を取る扇風機はいなかったよ。せんちゃん、どこか悪いのかな?業者に見てもらう?」と優しく扇風機に話しかける。そうすると扇風機が微弱なやさしい風を妹に送った。会社から帰ってきた父まで「知り合いに機械に詳しいやつがいるから聞いてみようか?」と家族揃って扇風機を気にかけていて僕は面白くなかった。
その日の夜、僕は風呂から上がり、暑かったので水を飲むためリビングに向かうと、扇風機が目に付いた。そういえばこいつは扇風機だったな。「…おい、風。」キッチンからぶっきらぼうに呼びかける。反応がない。気に入らないのはお前も同じか。
風呂上がりの暑さも相まってだんだん腹が立ってきた。どすどすと大きな足音を立てながら扇風機の前に立つと、「風よこせって言ってんだろ!!」と大きな声で扇風機を怒鳴りつけた。
その瞬間、扇風機がぶわっと後ろによろけてしまうほどの強風を送りつけてきた。僕は頭がカッとなって扇風機を殴った。反射的に手が出てしまった。
僕は完全にこの扇風機のことが嫌いになった。絶対に僕を弄んでいるように感じた。たかが機械だ、ただの扇風機、扇風機にしても風をちゃんと当てられないならそれは不良品だ。普通の扇風機以下じゃないか。それなのにあんなに気にかけてもらって、変じゃないか、ああ腹が立つ。ただの扇風機なら不良品として回収させるじゃないか。―――そうか、不良品は回収しないと。
思い立ってからは行動が速かった。昔から何事にも興味が見出せず、高校3年生なのに特にやりたいことも進路も見つけられない僕からは想像できないぐらい行動力があった。人生で初めてメーカーのお問い合わせセンターに電話し、扇風機の不具合を報告、回収を依頼した。メーカーは、一週間のうちに回収に参ります。と答えた。
これでようやくあの扇風機が家から居なくなる、そう思うだけで清々した。僕のことを強風で転ばせようとしたのが許せないのはあったが、それ以上に、家族がどんどんあの扇風機に取られていくような、自分の居場所が無くなっていくような、そんな気がしてならなかった。あんなに可愛がっていた家族には悪いけど、あの扇風機には居なくなって貰おう。
どこか晴れやかな気持ちでリビングに向かう途中、外から尋常じゃない数のサイレンが聞こえた。不審に思っていると、玄関で血相を変えた母と警察官2人を見つけた。
警察官から、ここ数日、近くの工場から人体に影響が出る有毒ガスが漏れ出ていたこと、近くの住人が徐々にそのガスを吸い込み体に蓄積されたことで、次々に救急搬送されていたことを聞かされた。
その瞬間、最近の扇風機の不調の謎が解けた。
あの扇風機は他の個体と違って“目”が無い分、おそらく他の感覚を使って空気を感じ取っていた。多分人間だと“聴覚”にあたる、音を振動として捉える機能が他より優れていたのかもしれない。ガス漏れの音を感じ取ることはどの扇風機もできなかったワケだ。“目”がある扇風機は空気を“ただ見ている”ため、空気中に含まれる有毒ガスの存在に気づけなかったのだろう。
つまり、我が家の扇風機が誰もいないところに風を送っていたのは、有毒ガスが部屋に留まらないように換気をしていたからということになる。僕たち家族のことを考え、行動してくれていたのだ。実際、両隣の部屋の住人は軽度らしいが救急車で搬送されていったのにも関わらず、僕たち家族は誰も体調不良を訴えることなく過ごせている。そう考えると、この間僕が爆風をお見舞いされたのも、暑がっていた僕を涼しくしようと思っていたが、場所がわからずにいたのかもしれない。目の前に僕が来たから涼しい風を送ろうと頑張った結果、爆風になってしまい、勝手に僕が勘違いしただけかもしれない。
急に扇風機に罪悪感が生まれた。驚いたからと言って、殴ってしまった。大きな声で怒鳴ってしまった。家族として迎えてあげなかった。僕が見えていることだけが全てだと勘違いして、相手のことを考えもしなかった…。ちゃんと謝ろう、それから守ってくれていたことのお礼を言おう。そう思い玄関からリビングの扇風機のもとに向かおうとした時、ピンポーンとチャイムが鳴った。
誰だろうと思い、ドアを開けた。
「回収業者のものですが、こちらのお宅でお間違いないでしょうか?」
しまった!回収業者に依頼していたのを完全に忘れていた!
僕は、扇風機の不調が不調ではなかったことを伝え、殴ってしまって故障していないかの点検を頼んだ。
業者は「わかりました。しかし、お客様は契約違反を犯してしまったため、それは承れません。」そういうと僕の視界はぐらりと揺らぎ、立っていられなくなった。朦朧としている中、意識を手放す瞬間に業者の声が聞こえた。
「―――我が社の製品を故意に傷つける“不良品”は、…回収しなければいけませんから。」
「あれ、せんちゃん、また誰もいない方に風送ってるよ?」
「あら、ほんとね。いつも同じ方向に風を送っているけど、また不調かしら?」
扇風機はどこに、誰に、風を送っているのだろうか。