期限付きの幸せ
3/30 確定診断ではないが医師に乳癌だろうと言われ、自分でも見るからに(私の場合見た目の変化が凄かったため)癌だと思ったので、病院からの帰り道電話で夫にその旨を伝えた。
胸が潰れていることを除いては元気である。
この診断が、夫や親や友達だったら辛かったと思う。きっと泣いただろう。でもこの病気は私のものだったので、泣いたところで仕方ない。
夫がどう思ったのかは私にはわからないが、電話したあと、前から行きたがっていた台湾旅行を予約し、その2週間後には東北旅行の日程をたてたことを共有スケジュールアプリで知った。
その頃はまだ、腫瘍を小さくすれば温存できるのでは、という一縷の望みがあったので、とにかく化学療法をする前にと、色々詰め込んだが、
5/21 しこりのない癌のため小さくしても全摘は避けられない、化学療法よりもまず先に速やかに手術をしなければならないということになった。
速やかにとはいっても、手術のスケジュールを取れたのは最短で6/26だった。
またも夫は台湾旅行を予約した。
私は台湾料理が好きすぎるので思う存分食べて、2ヶ月連続の台湾旅行はとても楽しかった。
こんなに遊んで幸せだったが、ひとつだけ心残りがあった。
他の癌は知らないが、乳癌は実際に腫瘍を摘出しリンパ節に転移していないかなど調べないことにはどういう状態かよくわからない。
さらには転移が腋のリンパ節より先に行ってしまったら他の臓器に影響をきたすまでどこに潜んでいるかもわからない。
検査結果を聞きに行っても結局はわからない部分が常にあり、しかも私の癌は育つのが早そうなので結果が出た時にはもう次の段階に行っている可能性があった。
治療を始めたら時間的余裕がなくなる。
今を最後と考えてやらなければならないことはひとつ。
「母に会う」
まだ、病気のことを伝えるかどうかは決めていなかった。母も数年前に癌になって現在は寛解しているが、体力が無いし負担はかけたくなかった。
6/13 私は飛行機に乗っていた。
実家に着いたのは夕方だった。母に事前に食べたいものを聞かれて、私は「いつもの朝ごはん」と言った。夕方だったが、美味しい朝ごはんと冷えたビールを2人で飲んだ。
その日、自分の病気を伝えた。遠方なのでもう会って話すことができないかもしれない。万が一のことがあったとき、病気を知らない場合と、知っていた場合では、知っていた方がまだましかと思ったからだ。
母と私は似ている。ショックは受けていたがあまり顔に出さない。もちろん泣きもしなかった。
だが、次の日母は仕事を辞め、私に着いてきた。そして今20年ぶりに一緒に暮らしている。
キッチンに立つ母と夫を眺めると不思議な気持ちになる。
病気がなければこの光景を見ることはなかっただろう。私を大事にしてくれる人たちが近くにいてくれる。病気は嫌だけど、今私は結構幸せだ。