気が済むって大事

昔から、やるなら徹底的にやっていた

それは勉強とかじゃなくて、趣味とかで

もちろん必要なら学びでも

例えば推しがいるなら、それについて可能な限り参加したり見たり聞いたりした

それが自分にとっての「当たり前」だった

好きって気持ちは中途半端ではない

好きだけど推しを見に行けない、とかいう人は、そんなに好きじゃないんだと思う

その推し以上に、何か別に好きなことがあるんだと思う

だから私は、例えば推しが生活の優先順位で第一位だったから、お金も時間も使える、というわけ

推しは例え話だけど


好きな食べ物もそうで、好みだ!美味しい!と思ったら徹底的に食べる

アレルギーとか発症しないレベルだけど、食べたい時に食べる

買ってきたり作ったり、それが何かによると思う

するとそのうち気が済んで、軽く飽きて、食べなくなる

それを私は残念なこととは思わない

おもいきり楽しんだんだなあ、と思う


あこがれのブランドのグッズがあるなら、さっさと買えばいい

なにかのご褒美にするとかは自由だけど、欲しいならさっさと目指して買え

それに憧れている時間が好きじゃないなら、それがずっと頭にまとわりつく

ある意味邪魔だ


だから、さっさと買え、行け、気が済め

気が済むって何事も大事、と思い自然に過ごしてる

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