セクシャリティの話。
今まで、自分は世間一般にいう『恋愛』をしていると信じて疑わなかった。
恋愛ものの映画も小説も好きだし。ドキドキする感情も好き。妄想も好き。
恋バナするのも、人の恋バナを聞くのも好き。
好きな人の姿が見えたら幸せ。少しでも話せたらもっと幸せ。
もっと仲良くなれたら、もっともっと幸せ。
でも、それ以上の関係になりたいと思ったことはなかった。
「振り向いてもらうために努力をしよう」と思ったこともなかった。
そりゃ、相手に恋人ができたと知ったらショックではあったけれど、それ以上行動に移すことはなかった。陰でひっそり見ている、ただそれだけで満たされる。
仲良くなったら、”友達”として遊ぶ。それが、楽しい。
今思えばアイドルの”推し’’みたいな感覚だったんじゃないかな、と。
そしてそのまま社会人になった。
去年の8月のある日。
ネットサーフィンをしていたら、ふと目に入ったYahoo!ニュース。
それは「アセクシャル」当事者へのインタビュー記事だった。
「LGBT」という言葉は知っていたものの、「アセクシャル」というのは初めて聞いた。夢中になって読んだ。私が今まで抱えていた感情と似たようなものが、そこにはあった。自分はこれかもしれない、と思った。
調べていくうち、自分はアセクシャルかノンセクシャルに近い気がした。
アセクシャル(無性愛)……
他者に対して性的欲求・恋愛感情を抱かないセクシャリティ
ノンセクシャル(非性愛)……
他者に対して恋愛感情を抱くが、性的欲求を抱かないセクシャリティ
セクシャリティがこんなにも細分化されていることも知らなかった。
そこから色々調べて、Twitterの「セクシャルマイノリティ専用」アカウントを開設した。アカウントを作ってから、同じ気持ちで生きてきた人にたくさん出会い、感動した。
TLには常に、「わかる!!!!!」と叫びたくなるツイートで溢れている。
セクシャリティは他人からの診断ではなく、あくまで『自認』。
だから、自分がそうだと思えばそうだし、違うと思えば違う。
自分でも分からないことがまだまだあって、「アセクシャル」とか「ノンセクシャル」と自認しきれないな、と思っているけれど、無理に定義する必要もないんじゃないかとも思っている。実際に、自分のセクシャリティは一言で定義できない、と主張する人たちもいっぱいいる。でも、このようなセクシャリティが存在するっていうことが知れただけでも大きな一歩になった。経験がないので、「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」って言われたら、肯定も否定もできない自分もいる。許容範囲だって自分でもイマイチ分からない。もし将来パートナーと呼べる人ができたら、その時に話し合えばいい。また新たな発見があるかも。
恋愛経験がなくて、恋愛の楽しさも苦しさもイマイチ分からないことに引け目を感じていたけれど。最近はその分、他のことにエネルギーを費やせるじゃん、ってポジティブに考えることにした。いつか分かるようになった時が来たら、その時楽しむ。もっと楽観的に生きよう。