Q. 酒井さん、福岡の飲食店をどう見ていますか?
若いチームを作って、
自分のレストランをやりたい。
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伊藤 福岡はいつぶりですか?
酒井 1年ぶりです。大学卒業した1週間後には海外に行って、その後もずっと関東なのでしばらくは、なかなか帰ってくる機会がなくて。
伊藤 卒業したら、すぐ外に出たいと思っていたんですね。
酒井 はい。僕、18歳の時にサーフィンを始めたんですよ。当時は週5で糸島に行くほどサーフィンにハマっていました。毎日、学校へ行って、バイトして、仮眠して、早朝から糸島に行く生活の繰り返し。サーフィンが上手くなりたいと思って、大学2年生の頃にオーストラリアに行くと決意して、母親に相談したんですが、速攻で反対されました(笑)。それで卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアへ。メルボルンから1時間くらいの海岸でベルズビーチというサーフィンの有名なポイントがあって、そこの地元で有名なレストランでバイトを始めたのが本格的に飲食業に就くきっかけですね。
伊藤 そこでは何をしていたんですか?
酒井 皿洗いをしていたんですが、ある日、パティシエの子が辞めたんですよ。そしたら、僕にパティシエをやってくれという話をされて。未経験でしたが、手取り足取り教えるからってことでやり始めました。その後に前菜担当の子が辞めてしまい……、それも僕が引き継ぐことになって。レストランのシェフが本当にクリエイティブな人で、ちょうどコンテンポラリーというスタイルの料理が始まった時代の流れもあり、日本人である僕のアイデアを面白がってくれていたんです。味噌とか醤油とか、アジアのスパイスが流行り出した時期だったこともあり、僕のやることをよく思ってくれていて、それで僕もどんどん料理にハマっていった感じです。
伊藤 そこで料理に目覚めたんですね。
酒井 2年半いましたがワーキングホリデーの期限が迫った時には、オーナーから就労ビザを勧めてもらいましたが、日本で働いてみたい気持ちが強くなっていて、お断りしました。それで25歳の時に帰国しました。
伊藤 帰国して最初はどこで働いたんですか?
酒井 オーストラリアで働いていたレストランのベースがフレンチだったので、その時に求人が出ていた老舗フレンチの《三笠会館》で働き始めました。昨年閉店したんですが鵠沼店が湘南の海の目の前で、サーフィンも続けられるなと思って(笑)。働かせてもらった《三笠会館》は景勝地にあるお城みたいな建物で、古くから芸術家や映画監督などが訪れる由緒あるレストランでした。そこで2年間勤めていましたね。そこでサーフィンすることよりも、いつの間にか、料理に打ち込むようになっていきました。
伊藤 その頃から次のキャリアを考え始めたんですね。
酒井 実はオーストラリア時代からふつふつと、“若いチームを作って、自分のレストランをやりたい”という思いが生まれていたんです。《三笠会館》は、昔ながらのレストランでシェフが「お味はいかがですか?」とテーブルをまわるようなクラシックなスタイルでした。だから僕はお客さんと接する機会がありませんでした。見習いですし、調理の補助以外の仕事を学ぶ機会は少ない。ましてや経営に関するようなことを教わるなんてことはできないので、自分のお店を持つ夢のために次は違うお店で学ばなければと思っていました。それで飲食関係の先輩に相談し、《ゼットン》を紹介してもらいました。名証で上場しているような会社で、飲食店展開だけでなく、店舗開発やコンサルティングもやっているところです。
伊藤 そこには何年いたんですか?
酒井 5年いました。料理長の傍ら新業態の立ち上げもやらせてもらったりして。本当に毎日が充実していました。若手のスタッフや、バイトの学生たちの教育もできて、嬉しかったですね。
わざわざ何度も来たくなる、
そんな場所を作りたい。
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伊藤 そこからすぐに独立したんですか?
酒井 いえ、まだ自分のお店の構想が固まってなくて……。リサーチのため、様々なお店に食べ歩きしていた頃に、独立前に一度和食を経験しておきたいと考えました。というのも、僕の好きなお店の共通点が、「カウンターがある和食」だということに気が付いたんです。
そして、どこで働くかを考えていた時、飲食関係の知り合いがSNSに投稿していた店の雰囲気や佇まいにものすごく惹かれたんです。そこは《フェアグランド》という会社がやっているお店で、この会社で学んでから独立したいと思うようになって、その思い一心でそこで働かせてもらいました。
僕は、グループ内の《並木橋 なかむら》というお店で働いたんですが、系列にある6店舗の店づくりもとても勉強になりました。
https://www.instagram.com/namikibashi_nakamura/
また、《並木橋 なかむら》から独立した方々のお店も素晴らしくて何度も通いました。在職した3年間、メニューはもちろん、店内の雰囲気やサービス、料理人の立ち振る舞いなど、どれも格好良いお店だったので様々なことを吸収させてもらいました。
伊藤 《フェアグランド》のお店はどこも洗練された居酒屋で、《KAN》や《山都》もそうですよね。僕もどのお店も行ったことがあります。
その後、いよいよ独立して、《酒井商会》の開店となるんですね。最初から渋谷で考えていたんですか?
酒井 僕自身、《ゼットン》で勤務していたお店が代官山と原宿であり、その後《並木橋 なかむら》も渋谷で、かれこれ10年くらい渋谷区で働きました。妻も長年原宿で美容師をやっていましたし、渋谷周辺は愛着のあるエリアですね。立地については、やっぱりターミナル駅だし、いろんな人が交差する渋谷の街がいいなと思いました。
伊藤 《酒井商会》は面白い場所にありますよね。
酒井 わざわざ何度も来たくなる、そんな場所を作りたいと思って場所や空間づくりにはこだわりました。不動産屋さんに、駅近の地下か2階以上で探してもらって、結果、イメージが膨らんだ雑居ビルにしました。ボロボロの階段で「本当にここ大丈夫?」みたいな通路から扉を開けると、バーンと印象的なカウンターがあるみたいな。物件を見た時に、今のお店のスタイルがリアルに浮かびましたね。
伊藤 《酒井商会》はいつもお客さんで賑わっている印象です。 どのタイミングから今の繁盛店になったんですか?
酒井 2018年4月のオープン当初から、看板は出さない感じで営業してきました。最初は「看板くらい出さないと」というご意見もありました。それでも2ヶ月くらいはそのままやってみようと思って、それで続けていたら、SNSで影響力のある方々が投稿してくれて。それをきっかけに、お客さんが増えていきました。7月にはもう毎日満席になったんですよ。
伊藤 それはすごい。
酒井 ただ、実はオープン時に手元に30万くらいしか残ってなくて……、お客さんが全く来なかったら、みんなの給料をどうしようと思っていました……。いざやってみると想定外のお金が嵩んだりもしましたし。3ヶ月後には勢いがついたから良かったですが、危なかったです(苦笑)。
僕の中での第一章が終わり、
第二章が始まる。
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伊藤 その後、2号店の《創和堂》をオープンされました。
酒井 《創和堂》のオープンは2020年7月です。《酒井商会》は、20席の小さいお店でスタッフ4名で切り盛りできる。そんな中、うちで働きたいと言ってくれる若い子がいたり、調理の腕を上げたいと言うスタッフがいて、そういう人たちの活躍の場を用意したいとも思ったりして。今より大きい店舗があれば、刺身、煮物、焼き物など担当別に配置でき、ベテランスタッフと若い子で連携して仕事ができる良い環境を作れると思いました。もともと僕の修行した《並木橋 なかむら》がそのようなやり方で、和食未経験の自分が調理できるようになった経緯があるので、それを自分も見習いたいと思って。43席の店、《創和堂》を作りました。
伊藤 《酒井商会》でキャッシュ・フローが大変だった経験があって、その2年後にまたやるってすごい覚悟ですよね。
酒井 僕はあんまり頭が良くないみたいで……。結局、僕はやりたいことしか考えてないんですよ。いつも走り出してから、いろいろと気が付いてしまう(笑)。
伊藤 せっかく《ゼットン》で経験していたのに……(笑)。
酒井 資金繰りについては、《創和堂》の開業のために融資を受けていたんですが、自分が想定していたより10坪ほど大きい物件を借りることになり、初期費用が上がり、計画が少し狂ってしまいました。さらに、2019年の11月に物件を決めて、内装など準備をしていた頃に新型コロナが流行り出して、焦りましたね。それでいろいろと悩みましたが、経営的にもオープンしないとまずかったですし、予定を変更せずにオープンしました。
伊藤 それは大変でしたね……。オープン時、お客さんの出足はどうでしたか?
酒井 4、5月は、渋谷がゴーストタウンになりましたよね。めちゃくちゃ厳しい状況だったんですが、運良く少し落ち着いた7月にオープンしたからか、オープン日は満席だったんです。コロナ自粛の反動からか、出かけたい人が多かったようで。
伊藤 不幸中の幸いだったんですね。でも、酒井さんを知っていると、それも実力のうちな気がします。それにしても《酒井商会》のオープンから、まだ5年弱しか経ってないんですね。《創和堂》も、コロナ禍前からあるみたいなイメージがあります。あとECブランド《芹乃栄セリスナワチサカウ》もはじめましたよね。どれも展開のスピードがびっくりするぐらい速い印象です。
酒井 実は2023年1月にもう1店舗出します。それで、僕の頭の中にあるストーリーの第一章は終わりかなと思っています。年商100億円を目指しているとかはないですから(笑)。
伊藤 本当に速いですね(笑)。新しいお店はどんなお店になるんですか?
酒井 《酒井商会》の上の階で、薪火と発酵を用いた日本料理のコースのみのお店をやります。《SHIZEN》という店名で、7席の小さなお店です。内装は、石と土とガラスを用いてデザインにしていて、日本の左官の技術が存分に体験できる面白い空間になります。そのお店は、僕の調理の補助をしてくれていた才能のある27歳のシェフが店に立ちます。彼のためにお店を作りたいと思ったので、僕自身もとても楽しみにしています。
伊藤 それは興味深いお店ですね。それで第一章が完結して、第二章は何から始めるんですか?
酒井 《酒井商会》《創和堂》《SHIZEN》の3店舗、どこも充実したサービスができるよう専念したいと思っています。そのために、営業形態を自分なりに整えるつもりです。現在は毎週日曜日が休みなんですが、年中無休にしたいと思っています。それに向けて人材を確保したいと思いますし、しっかり運営できるスキルを身につけてもらえるよう教育環境も考えていきたいです。
料理人としての経験を磨くことで
自分をアップデートしていきたい。
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伊藤 会社づくり、店舗づくりに加えて、ECなどの展開も着々と進めていますよね。酒井さんは料理を作っていたい人なんですか?今後はどう考えてますか?
酒井 コロナ禍で休業はしてないものの、営業という観点で言うと満足にできない日も多くありました。今後も何があるか分からないので、店舗とは別に売上げを確保できるものが必要だなと思って始めたのがオリジナルブランドの《芹乃栄セリスナワチサカウ》です。これからしっかり育てていきたいです。確かに、経営者というか、プロデューサーの一面もありますが、同時にバリバリの料理人でもありたいと思っています。今も週5は現場で、スタッフと同じ毎日を過ごしています。朝から仕込みして、まかない食べて、営業して、片付けして、最後にみんなで「お疲れ様でした」と言って帰っています。
伊藤 仕事で今以上に大切にしたいことは何ですか?
酒井 料理人としての経験やセンスを磨き続けること。やっぱり現場に立ち続けていないと、自分がアップデートされないと思うんです。普段からお客さんに対してやっていることの延長線上で、外の仕事に携われたら一番いいなと思っています。東京にいると、飲食店のプロデュースやコンサルティングをやっている人がたくさんいますが、その中に現役で料理人をやっている人は少ないと思います。それに店舗を持っていた方が説得力あると思うので大事にしていきたいですね。
伊藤 現場に立っているという説得力は客としても伝わってくる気がしますね。
当面は3店舗の営業だと言われてましたが、きっとテナント出店のオファーが来たりもしていますよね。第二章として、新しい店舗はあり得ますか?
酒井 新しいことを考えるのは好きなので、お話しいただいた時はできるだけお聞きするようにしています。今は全く考えていないですが、僕のことなので好きなことがやれるとなれば、あり得ると思いますね(笑)。
伊藤 例えば、これは僕の私見ですが、今は新しい商業施設などを考える時にリーシングやM D開発に関わる人の力が足りていないように感じます。特に新しい考え方を持ち込むような人。僕が以前関わらせてもらった《虎ノ門横丁》は、《ウェルカム》の横川正紀さんがプロデュースされていて、マッキー牧元さんとともに新しい商業施設の中における飲食のあり方を模索されていました。彼らが直接いろいろなお店を口説いて回ったり、お店同士の交流をはかったり。今までにないコンセプトや取り組みをきちんと地道に実現する人間がやらない限り難しいと感じますね。
酒井 僕も同じことを思います。《虎ノ門横丁》は成功例のひとつですよね。未だに横丁で本当の意味で流行っているのはあそこくらい。あそこに行くと、横川さんがよくいますよね。出店している各店のオーナーやシェフも頻繁に顔を出しに来ていると伺いますし。横川さんはリーシングからオープンまでやったら終わりというわけではなく、お店と継続してコミットしている部分が本当にいいなと思います。コンセプトづくりもそうですが、リーシングやゾーニングは本当に難しいと思いますよ。それに、運営がうまくいくよう関わり続けるとなれば想像以上に大変……。
伊藤 あれだけの規模感でも、結果として、個人の力が重要ということに気付かされて、そこには深い学びがある気がします。《虎ノ門横丁》はいろいろな施設の開発の参考にされていますよね。酒井さんにもたくさん声がかかるでしょ?
酒井 「横丁作るから出店しませんか?」という話がよく来ますよ。ただ、どんなお店を入れて、どんな横丁にしたいかという全体像が見えないことも多くて……。
何度も行きたくなるお店は、
料理人もサービスマン。
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伊藤 酒井さんの地元である福岡の話も聞かせてください。今、福岡における飲食の状況をどう見てますか?
酒井 福岡のお店には、東京の飲食経営者や業界の方がよく食べ歩きに来ていますよね。それだけ素晴らしいオリジナリティがある街だと思います。僕もよく行くバーの《黄昏》や立ち飲みの《みんなの黄ちゃん》など、ああいう風にマンションに個人店が入っているって、すごく珍しいと思うんですよね。それが許される街の懐があるというか。あと、ハシゴ前提の外食も珍しい。
伊藤 ハシゴする店の数が東京の常識とは違いますよね。
酒井 僕も自分のお店では、最初から〆まで満足してほしいと思って店づくりをしていますもん。昨日の夜に行った福岡の居酒屋なんて、食事中にもう「次どこ行くんですか?」と聞いてきましたからね。お店を出る時も「いってらっしゃい!」と、気持ち良く送り出されて。東京だったら、なんだ1時間で帰るのかという空気になりますよね。やっぱりそういう懐の広さがカルチャーとしてあっていいなと思います。
伊藤 今回の帰省では、いろいろと街を歩いてみたと言われてましたね。街の様子はどうでしたか?
酒井 活気があるなと思いました。コロナ禍であるにも関わらず、新しいお店が増えていたようですし、今ではもう街に人が出ていますね。それに、やっぱり街の規模感がいいですよね~。春吉から中洲、天神から今泉、大名から赤坂まで、知っているお店に顔を出したりしながら歩きましたが、それぞれのコミュニティの規模感がちょうど良い。人と人とが繋がっている感じがいいなと思いました。
伊藤 他にも良いと思うところはありますか?
酒井 良いところは、安くて美味しい居酒屋をはじめ、オリジナルな業態のお店、クリエイティブなお店、予約が取れない有名店など、幅広いバリエーションの食を楽しめるお店があるところですね。それに、ワインがこんなに街の居酒屋に浸透しているところも少ないと思います。
伊藤 確かに、そうかもしれませんね。
酒井 逆に気になるところは、変に東京っぽくしているお店が増えましたね。福岡のお店の良さはその反対にある気がして、個人的には福岡らしくいてほしいなあと感じてしまいます。
伊藤 東京っぽいお店とは?
酒井 商業的というか、オペレーション的というか、業態感が強いというか……。人気メニューやドリンクなどお店で決まっているだろうおすすめを話し終えたスタッフが、「何番さん説明OKです」とか報告しているのが聞こえてきたりもして、少し興ざめしてしまいますよね。
伊藤 接客に関しては気になるお店はありますね。
酒井 やっぱり何度も行きたくなるお店は、サービスの方だけでなく、料理人もサービスマンであるところだと思うんです。
コミュニティが出来上がっている福岡は、
他所者の僕がお店をやるのは難しい。
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酒井 あと、たまたまかもしれませんが、今回お店にいないオーナーシェフも多かったです。
伊藤 確かに、営業時間内に他所のお店で、オーナーらしき人が飲んでるのを見かけたりもしますね。あれ?お店は?って思ったりします。
酒井 意外に思われるかもしれませんが、東京では人気の店のオーナーシェフでも現場を大切にしている人が多いんですけどね。メディアやSNSで、料理している以外の活動が紹介されることも多いから、そうは見られないこともあると思いますが。
伊藤 多彩な活動やコミュニティの方に目が奪われがちですけどね。
酒井 若い子は腕を磨くことより、別の方向に向かってしまうこともあります。修行中の若い子は、先が見えない中でひたすら地道に同じことを繰り返しているので、楽しそうなオーナーの店に惹かれてしまうこともよくあります。
伊藤 福岡の飲食業界でもそういう風潮は少なからずある気もします。
酒井 福岡はコミュニティがしっかりしているので、余計に影響が大きい気がします。
伊藤 酒井さんの思う、いいお店とはどんなお店ですか?
酒井 地のものを使っていて、オリジナリティや新しいものにこだわりがあり、変化する姿勢を持っているお店かなと思います。実際に、福岡は食材にしろ、土壌にしろ、人にしろ、ポテンシャルがとてつもなくある場所だと思います。
伊藤 繰り返しにもなりますが、酒井さんが福岡でお店を出すことはないんですか?
酒井 土地にはポテンシャルがあるので、どちらかと言えばやりたいです。ただ何度も言いますが、商業的、オペレーション的ではなく、自分が個人店のようにやれれば、とても興味はあります。
伊藤 では、酒井さんの福岡のお店を首を長くして待ってますね。
酒井 (笑)。今は、東京のお店をきちんと根付かせたいので実店舗はすぐにはないかなあ。でも、プロデュースなどはしたいですけどね。福岡はコミュニティがある程度出来上がっているし、もう他所者になってしまった僕には難しい街だとは思っているので、やる時にはかなり気合いを入れてやりたいですね。
edit_Mayo Goto
photo_ Yuki Katsumura