自分の価値は、金額には表せられない
毎年冬に帰省していて、
昨年から
帰省のテーマを
決めることにしました。
昨年のテーマは
家族との関係再構築。
帰省直前に会った
先輩がやさしくて、
「テーマなんていらないよー!!
楽しんできてね◎」と言ってくれた。
それでもわたしには
テーマが必要だった。
なぜなら、
楽しむだけには日数が長いから(10日間くらい)
目標や目的があるとそれが行動指針になるから。
家族との関係構築は
ぶじに達成◎
思ったのは、
・関係構築はぶじに達成◎しても
・課題(困難)はどうしてもやってくる
こと。
目標達成という1つを成し遂げて【100】、
コップ満タン【100】の状態の自分に
お土産(orおまけorプレゼント)で課題【30】が乗っかる。
コップが満杯だからこそ
付加・負荷されたモノに対して
どう自分が取り扱うか
決める・選ぶことができる。
30のまま引き受けるのか
なんとか20にして連れて帰るのか
20だけ連れて帰るのか。
そして
今年の帰省テーマは、
『ふるさとを非日常的に過ごす』
にすることにしました。
わたしは今でもホームシックになりやすく、
ふるさと愛もつよい。
だけどわたしの今の都はここじゃない。
そう自分に言い聞かす
のではなく、
帰省は旅として楽しむ
感じかもしれません。
わたし待って。日常でデパコス使わないよね?
帰省中の
ふるさと(都会)での買い物は、
今の都(田舎)で使わないものを
買ってしまうことがありました。
昨年であれば
「メイク用品」
買うときも、ものすごく迷いました。
買っても使うかなぁ。(自分でも、使わない、に1票でした)
でも使う想像したら…満たされる…!
やはり可愛くなりたいという願望が
心のなかにあるんですよね。
悩んで、
アイシャドウとリップの
2つを購入したのですが、
とってもとっても嬉しかったです。
使ったのは3回ですが、
でも棚に置いてあるのをみるだけで
ときめいちゃうので良しとします。
わたしはよく
何者かになりたくなったり、
素敵な憧れの女性を
頭のなかに描いたりします。
所作とか見た目でいうと
お上品でエレガントな女性。
物欲でカバーしようとすると、
デパコスを買い集めることに走りそう。
そんな自分に待った!。
物欲は見栄、見栄は「自分に価値をつけたい」心理
余談ですが、
デパコスがほしいと思う前に
こんなことを考えていました。
「高級フレンチのレストランに行きたい」
そのレストランに行くには
やはりドレスコードがあって。
見た目を完全装備しないと、と
思った流れで「デパコス」に
たどり着きました。
◆
いつまでもマリッジブルーなのは
大人の自覚がないからかもしれない
行けなかった成人式を
一人で開いてみよう
記念撮影のための
写真館を検索していったりする
その一環で、
高級フレンチを食べたいと脱線する
好奇心がすごくわく
高級フレンチのドレスコード
調べる…🔍️
お昼のTPOは、スマートカジュアル。
夜はスマートエレガンス。
それぞれどんなファッションなんだろう
調べる…🔍️
エレガントな女性かっこいい…!
高級フレンチは横に置いて
スマートエレガンスのファッションに夢中!
あ〜こんな女性になりたいなぁ‥♡
デパートに行くような女性。
◆
わたしは社交不安があるので
デパコスのお店には
行きたいと思えないのですが、
(心の底ではそんな素敵な女性になりたい)
高級フレンチに行くにはTPOが必要…
(行くための言い訳理由づけなのかもしれません)
わたし自身ミニマリストで、物欲がなく。
母親に数年前「あなたには欲はないの?」と
呆れられました。
物欲だけでなく、
母にはわたしが無欲にみえたようです。
物欲はなくても、
お金に余裕のある暮らしを願っていたり
どこそこ行きたいという欲は、
秘めているほうです
無欲ではないよと伝えました。
でもそれから、
「あなたには欲はないの?」をきっかけに
欲への見方が変わったんですよね。
─欲があるから、人って活力がわくんだ─
欲をもつのは良くないことと
思っていましたが、
欲がないことは
周りから残念がられると知って、
欲があったほうが自分も周りも
ワクワクするんだなぁと思いました^^
同時に、
お金をつかう怖さがなくなりました。
無駄遣いでなければいいと。
起業塾へ入れたのも
お金をつかう怖さが減ったからなんです。
一方で
欲がない=そういう扱いを受ける
(母親に、雑に扱っていいと思われる
物事が自分にはまわってこなくなる)
という恐れもありました。
物欲や所有欲は、
わたしにとっては
自信の無さをカバーするものだと
分かりました。
自分の価値は、誰が決めるの?自分。
自信がないのはさておき
(自信はなくてもいいそうです)
(自分を信じるのはマストで)
自分の価値って…?
となりました。
わたしなりの答えを
所有しているもので考えてみました。
ボールペン→昔会社で使っていた同型ペン
ノート→安めの目にやさしい紙色のノート、100均のノート
安価なんです。
でも、あれば・できれば機能性重視。
ここでもう一人の自分が登場します。
〈万年筆すてきだな〉
〈ガラスペンって可愛いな〉
〈文具店のノートってしっかりしていていいな〉
憧れが出てくるんです。
憧れて、実際になれた(所有できた)としても
『憧れ』自体に憧れていたとしたら。
憧れは一生、永遠に生まれつづけてしまいます。
今の自分を、
安価でも思い入れがある
ものを選んで所有している自分を、
このままこのペースで
保っていくことに、
やすらぎを感じていきたいな
と思いました。
自分の価値は
お金では買えないような、
言ってしまうとあいまいなもの
でも自分が、
自分や自分の所有するもの
自分に関わる人たちを
どう想うかによって
自分の価値
自分の人生の価値が
変わると思いました。
結婚したときの結納金。
わたしってこのお金で貰われるの?
マリッジブルーのときだからこその気持ちでした。
その金額よりも実は
人間の歯1本の価値のほうが高い
と知ったときは笑ってしまいましたが
(歯は大事と思った)
歯1本の金額も所説あり
(わたしが知ったのは1本200万円)
所説あるくらい
歯1本の価値も金額では定まりきれない
ということ。
それくらい、
お金ではかれないんだ
きっと
ほとんどにおける価値は。。
と思いました。
(お金自体も変動性価値)
おわりに
わたしにとって
自分の価値がお金ではかれないのであれば、
なにではかりたいかなぁ?
と考えると
・・・はかりたいの?
って。
よくよく考えてみると
自分の価値をはかろうとしなくて
いいんだよな…!
そう気づきました。
自分の価値は、
どう自分が自分のことを思うか扱うか、
いかに自己肯定感を持てるか
(自分に満足できているか)で変わってくる。
わたしは自分の価値はないと思っていて。
でもそれはネガティブなこととはとらえてなくて。
そう自分が自分のことを扱っているからなんだと思います。
そう扱いたいんだと思います。
「自分は価値がない」と認識し、
そう感じている自分や
そう自分を扱っている自分を肯定したいがために
「自分は価値がない」と再認識しているんだと思います。
こういう
まわりまわって全く自分のためになってない
自分へのまちがったやさしさと、
「やっぱり自分なんか…」と卑下してしまうクセ。
卒業したい。
来年の目標は
自分を愛すること
を言いかえて、
自分に満足すること。
自分に価値があるとかないとか
そういう判断をすることなく、
自分をまっすぐ見てあげる。
でも、
【自分の価値とは】を知れたおかげで、
自分に価値がないって落ち込んだときは
『自己肯定感が下がっているだけ』と分かる。
価値がないことなんか、ない
自分の価値、について
最後まで読んで下さり、
ありがとうございました。
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