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静と動の狭間に入りませんか?(序章)
X(旧Twitter)とnoteを活用していくべき理由のお話。
noteを書いてきて半年と少し経ちました。
フォロワーさんもアクティブな方が多く増えてコメント欄で交流もさせていただいています。
読んでいただく記事数もビュー値も増えていって、ありがたいなぁとも思っています。改めてみなさまに感謝申し上げます。
でね。わたしがやりたいことの一つに
「誰が何を言うか」の「誰が」と「何を」を切り離す世界をつくりたい
があります。
ちょっとした、いや、大それた野望です。
そしてこれはプロフィール記事にも書いてある
「人が発した言葉は、その人となりに関係なく、その他の人にどんな影響を与えることができるのか」
👆から来ています。
現実の世界は「言葉に載った意味自体」と「その言葉を発した人」が否が応でも結びついていることばかりです。そんな中で生きている私たちは当然、誰かの言葉に影響を受けています。ですがその誰かの言葉は、言葉の意味とともに「誰が言ったか」の要素に大きく影響されています。
例えば子供を叱るとき、「叔父さんの言うことなら聞くのに私の言うことはちっとも聞かない」という親御さんは多いでしょう。その状況の良し悪しは置いといて、この場合は「叔父さんと子供」「親御さんと子供」の関係構図が大きな障壁として存在していて、まったく同じことを伝えているのに子供の受け取り方が異なる。
子供ならいいんです、まだ未熟なので。
でもこれが実世界では大人においても、至るところで発生している。
大人がこれをやってしまうと、冷静な判断ができなくなったり感情的になってしまったりでメリットなどありません。
もちろん社会でうまくやっていくにはその状況をやりくりする必要があります。しかしうまくやりくりするには
「誰が言ったか」と「何を言っているか」を分離して考えられる力を持たなければならない
と強く思います。
えぇ、これが難しいことは知っています、人間ですから。
でも、ひとりでも多くの人がこの力を持てれば、必要のない虐めや誹謗中傷、謂れのない誤解などがなくなって、冷静に感情と理性を共存させてコミュニケーションをしていくことができると思うのです。
ビジネス的な例でいえば
俺はお前が嫌いだ。だがお前がしようとしていることには賛成する。
ですよ。これが普通にできるならば、日常のコミュニケーションとしてこれほど強烈に他人にまわりに印象を与えることはないんですね。なぜならこれができることは難しいので。
それができるようにするためには、静的な情報と動的な情報の両方に触れる必要があります。言葉を発している人を理解し、その中から言葉の持つ意味を抜き出し、意味を独立させて自分に理解させるためです。
その恰好の道具のひとつが note。
noteの本質は、文章として書かれた言葉を「静的な情報として保持」し続け、書いた人が「いつ」「何を」考えて記したかを残し続けてくれます。そして未来に誰が読んでも同じ内容を受け取ることができる。つまり noteは静的な情報を扱うにはとても適した道具です。
もうひとつの恰好の道具がX(旧Twitter)。
XはTwitterのころからいろいろ様変わりはしましたが、その本質は「短い言葉の動的なやり取り」です。動的な言葉は会話と同じく生まれては消えていきます。つまりXは動的な情報を扱うにはとても適した道具です。
この2つの相性がいいのは、note公式も、noterさんたちも、各種外部の人たちも言っています。が、ただ相性がいいだけではなく、静的情報と動的情報を行ったり来たりすることで、「誰が言ったか」と「何をいったか」を物理的に切り離して考えるきっかけが得られるのですね。
これに気づいていない人は多いのではないでしょうかね。
だからこそnoteをやっている人はXを、Xをやっている人はnoteを、両方の道具を同時にうまく使って、「誰が言ったか」「何を言ったか」を分離できる力をつけていただきたいと思うわけです。
偉ぶるつもりは毛頭ありません。わたしなんかぜんぜんできません(笑)。こう言っているのにです。
でもこれから逃げてしまえば、人生の残り時間が楽しいものではなくなってしまう、そこまでの危機感を勝手に感じているので、この序章を皮切りに何回かにわけて静的情報・動的情報をうまく使っていくコツを書き記していこうと思います。
ここはnoteですので、Xをまだ始められていない方へ。
のちに書いていく私のnoteを見ていただければ、Xで何ができてどうなっていけるのか?がわかります。またnoteを普段使っていてもnoteが持っている可能性の背景もおわかりいただけるかなと思います。
半年と少しnote界隈を歩き、しばらく止めていたXアカウントも復活させてみましたが、私がTwitter創設のころにやっていたときのTwitterの本質も変わっていませんでしたので、改めてここにフォロワーのみなさん、そうでないみなさんも含めて、動的・静的情報の狭間にご招待しようと思います。
ぜひ一緒に、言葉の意味と発言者のつながりから自由になり、ご自身でまわりの状況に合わせてベストな判断ができるようになってみませんか?
はっきり申し上げておきますと、フォローいただけると徳しかございませんということを言い切らせていただきます(笑)。
あ、言い方や書き方のこまかな好みは適当にスルーしてくださいね。
それができなければなおさら、これからの記事を読んで、わたしの人となりと言葉を分離して考えていただければと思います。
書かれた内容の本質を判断していただけたらこれ以上の幸せはありません。