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感覚フラットな音楽時代の幕開け

 最近の音楽シーンの先を生き抜くにはどうしたらいいかのお話。


 いろいろな情報に触れていると、音楽についてもいろんな考え方を目にします。音楽が専門な私は自分の思考をフラットに保つべく、なるべくスルー気味に一線を引いてそれらを見ていますが、たまにその一線を越えさせる考え方もあります。そんなのに出会ったときはなんか嬉しいですね。

 特にインターネット時代に入って個人の発信受信のインフラ整備が進化してきた今、多様な考えのるつぼから「何に気付いて何を得るのか」に着目できた人こそ、得たいものを得、なりたいものになれる資質を持てるようになるのでしょう。

 今回見つけたのは👇の記事。

 とっても興味深く音楽シーンをざっくりと軌っています。

音楽の新陳代謝が止まって「ダサい」がなくなったことの功罪 - 森の掟


 そうなんですよ。「ダサい」。

 このダサいは今ではあまり使われないかな、でも昔は何かにつけてダサいを連発していました。でも、誰でも彼でもダサいを使えるわけではないという暗黙の了解 もあったんです。

 ダサいという表現を使えるのは、「斬新性・革新性への欲望を持っている」ことが暗黙条件になっていた。つまり、ダサいと言っているヤツは「アイツなんかやりそうだぞ!?」ということの裏返しであることが、昔は当たり前だったんですね。

 でも現在の音楽シーンを最新から過去へ見返してみると、ここ数十年平和だな~と。同じスタイルを保ち、活動の継続重んじ、まるで音楽で安定した職を得てやる!みたいな幻想を抱いて活動している人のなんと多いことか。

 音楽の仕事なんて昔は流行りすたりが激しかったので水モノ(明日飯が食えるかどうかすらわからない)だったのです。だからそんな水モノの世界で生きていくには、音楽だけではなくいろんな能力を身に着ける必要があった。それを身に着けた人だけが、変化の富んだ音楽の波の世界で生きていくことができた。

 それがどうでしょう。ある若いバンドが少し売れただけで、その規定路線から外れることを怖がる。「規定路線から外れたら自分たちじゃなくなる」など、これこそ幻想だよ!って言える考え方をしている。

 guatarroさんが言われる、他ジャンルを否定しない、先人をリスペクトする音楽文化が醸成されてきたという点。私もその通りだなぁとひしひしと感じます。これはこれで素晴らしいと思う。サブスクでいろんなアーティストや音楽に感嘆に触れることができ、Youtubeをはじめ視覚的にも広範囲なジャンルを目にすることもできる。その上で現実でのライブなど、生の音楽体験に触れることができる。そりゃぁ推しを推すということに、昔以上にのめりこむ人が増えてきてもおかしくはない環境。

 いいじゃないですかね、傾向としては。音楽を志してその世界に足を踏み入れようとしている人たちにとっては、昔とは違った環境がそこにあるということ。ある意味幸せだと感じます。

 ただ、この世界、どんなことでも輪廻(ぐるぐる繰り返すこと)があることは事実。ダサい意識→リスペクト意識、と来た変化がまたいずれ、ダサい意識に傾いていくこともありえる。というか、必ずそういうときがくる。なぜなら人間は繰り返す生きものであり、どんなことも昔のリバイバルというのが世の中の当たり前になってきているから。

 そのときのために、とは言いませんが、斬新性・革新性・自分の路線からの逸脱した考え方や行為。これを考えようとしないで行った活動はいずれ、自分のアイデアや動機の枯れと共に衰退していきます。これは昔の多くの芸術家の末路を見ていけば明らかです。

 だから、斬新性・革新性・自分の路線からの逸脱した考え方や行為を忘れないようにいきましょう。

 感覚フラットな音楽時代の幕開け とタイトルに書きましたが、既に開けてしばらく経っています。今しばらくはこの傾向が続くはず。

 そんな中で、「この人もいい」「あの人もいい」って、みんな違ってみんないい、みたいな世界に自分が埋もれたいのか?考えてみてください。どうでしょう?埋もれたいでしょうか?

 私はきっぱりイヤです(笑)。

 ので、とんがった自分の部分はいつまでもとんがっていられるように研いでおこうと思っています。

 みなさんは、自分のどこがとんがっているか知っていますか?もし考えたことなかったら、そこを考えるとこから始めてもいいかもしれませんね。

 たぶんこれ、音楽業界に関わらず、すべての業界に言えることじゃないのかなぁとも思います。

#音楽シーン #革新性 #一発屋 #ダサい #エモい #音楽業界 #芸術

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