【社長インタビュー】エイビット創業ストーリー:技術と情熱の軌跡
エイビットの“リアル”を伝える広報記事として、最初は創業インタビューをお届けしたく社長の檜山さんにインタビューを実施しました。エイビットの創業の原点を、今後エイビットに関わる全ての方々にお伝えできると幸いです。是非お読みください!
―まず、檜山さんがエイビットを創業するまでのキャリアを教えてください。
1975年に17歳で学生起業したのが始まりです。マイクロコンピューターチップが世の中に出始めて、個人用コンピューターシステムを作って販売したり、国内外の企業に自分を技術者として派遣して開発を請け負うようなことをしていました。
自分の開発したコンピューターシステムに搭載するソフトウエアやOSなどを買い付けるためにアメリカに渡り、当時のMicrosoftに行ってビルゲイツ氏とも仲良くなって一緒に仕事をしたりしていました。他にも当時まだガレージがオフィスだった頃のジョブズ・ウォズニアック両氏と出会ってApple Iを買ってみたりと、今は大企業もまだまだスタートアップの時代で楽しかったですね。
―ビッグネームとも若くから交流があったんですね!なぜ起業しようと思ったのですか?
そうですね、思えば小さい頃から機械をバラしてみるのが大好きでした。どういう構造なんだろうってワクワクしながら触っていましたね。1968年、私が10歳の頃に放映された『2001年宇宙の旅』を見ては、宇宙や未来都市に心躍らせていました。こういうのあったら便利だよねってのを作りたい。そういう素直な気持ちの延長が起業だったんです。
『ダグラス・アダムスの法則』って知っていますか? 15歳から35歳の間に発明されたものは、刺激的で革命的と感じ、その分野でキャリアを積むというものなんですが、まさに自分はそれでして。
私が中高生のときに初期マイコンが登場したり、任天堂ファミコンが発売されたりと、すべてが刺激的で自分たちで新しい規格を生み出していく時代でした。
自分も新しいものを作りたい一心でしたね。
―そしてエイビットを創業すると。最初はどういった事業を行ったのですか?
26歳のとき、新しいものを作りたいという私の想いに共鳴してくれた知人6名が脱サラして仲間になってくれることになったので、法人化してエイビットを創業しました。
当時はパソコン黎明期と言われた時代で、日本の大企業のパソコン開発を任され、特に現在のパソコンの形となったIBM互換機(AXパソコン)の設計には独自のノウハウを持って対応していました。 日本で標準化するために初めての日本語版マッキントッシュ(DynaMAC)は、エイビットから生み出した逸話もあります。
―日本のPCのほぼ全てを…!その後は何を手がけたのですか?
PC開発をしていく中で、今度はNTTが民営化して通信ビックバンと呼ばれる時代に移ったんですよね。そのタイミングで大手企業の技術コンペで勝って通信システム開発を受注できたので、PCから通信に舵を切りました。当時のエイビットは7人しか居なくて、コンペ相手は大手だったので大金星。嬉しかったですね~!
そこから有線から無線通信の時代になり、ポケベルを0から開発して立ち上げたり、第一世代の携帯電話を作ったり。純国産規格のPHSを開発したりと、現在の無線通信会社であるエイビットのスタートを切りました。その後も500万台を超えるIoTデバイスで社会問題解決を率先しています。
新しい通信技術の規格そのものを生み出すために、最初は何を作ったらいいかも分からなかったのでチームで議論を重ねながら半導体まで作る。そんな挑戦の日々でしたね。まさしく「新しいものを作りたい」という夢を追いかける情熱が原動力でした。
その情熱はずっと続いており、エイビットは5年毎に新規事業を立ち上げているベンチャースピリッツあふれる状態で、毎年新サービス・新製品を開発しています。
編集後記
「僕らはインフラ屋さんなんですよ。新しいものを生むためには基礎から作らないといけない時代を生きていたんで。」そう笑いながら楽しそうに話す檜山さん。
社長のビジョンと情熱が、エイビットを技術革新の先頭に立たせ、多くの新しい技術を社会に提供する原動力となったことが伺えました。
今後もエイビットをより知れるようインタビュー記事を増やしていきますのでお楽しみに!