【短編小説】猫とジャズと謎の手紙
「すべての物語は、人間の心の中の不思議な旅路から始まる」
冬の夜、雪が静かに舞い降りる街に住み、ユウジは毎夜のように「ジャズ喫茶コラール」で働いていた。
この街に引っ越してきて3ヶ月が経った頃、転々とアルバイトを変えてきた彼がある喫茶店の扉を開けると、まるでタイムスリップしたかのような懐かしい気持ちになった。
木製の家具が並び、壁にはヴィンテージポスターが飾られ、やわらかな照明が落ち着いた空間を作り出している。レトロなジュークボックスが静かに流れるジャズに合わせて、ゆらゆらとリズムを刻んでいた。
カウンター席には、黒板に手書きされた日替わりのケーキやサンドイッチが並ぶガラスケースが置かれている。窓際のテーブル席からは、昼下がりの光が柔らかく差し込んでいた。
ここで過ごす時間は、まるで一服の安らぎを与えてくれるようで、訪れる人々は思い思いに語らい、読書をしたり、コーヒーを啜ったりしていた。
店主は気さくな人柄で、お客さんとの会話を大切にしている。
その店主の手作りのケーキや軽食は、心も身体も満たされる味わいだった。お店に通っているうちに、店主と仲良くなり街にいる間働かせてもらうようになった。
彼がそこで働きはじめて三ヶ月と少し、ちょうど季節が一つ変わる頃に出会った不思議な猫と共に過ごした話だ。
その猫は、美しいシルバーの被毛と鮮やかな緑の瞳が特徴的で神秘的な猫であり、「ムーンウィスカー」という名前で呼ばれているらしい。
夜な夜な店に現れ、ジャズの音色に耳を傾けるその姿は、まるで古いレコードのジャケットに描かれたようだった。
ある夜、ユウジがジャズ喫茶でいつものように働いているとポストに突如として古びた封筒に入った手紙を見つける。
差出人や不明であり、宛先も曖昧だった。遠い昔に書かれたような美しい筆跡が残ってあり、読み取れない謎の言葉(楽譜にも読み取れる言葉)とミュージシャンのような人物像と宝地図に記載してあるような地図がそこに綴られていた。
店内にはそこそこの人はいたが、お店を少しの間開けてもいいか?とマスターと話して、彼はその手紙に導かれるように、ムーンウィスカーと共に街の奥深くへと足を踏み入れることになる。
雪の降り積もる夜、二人は冬の街を歩いていた。
呼吸をする度に息白が舞う。外に人は見当たらなく、ガス燈がぼんやりと灯り、足元を照らす街灯の光が、雪に落ちてキラキラと輝いている。
新雪が静かに舞い降りる中、彼らの足音だけが、時折聞こえる遠くの電車の音と共に響いていた。
二人は暖かいマフラーで首を巻き、深い会話を交わすこともなく、ただ前へ進んでいた。その先には、かつて栄華を誇ったジャズクラブの廃墟がぽつんと立っていた。
まるで一つの宝石を失った王冠のように、そのジャズクラブの廃墟は、空に浮かぶ月の光に照らし出され、美しくも哀しげな姿を見せていた。街の中心部に位置するその建物は、かつて多くの人々が訪れ、夢と希望にあふれていた場所だったが、今ではその栄華は過去のものとなり、風雨にさらされながらも、誰かが忘れないようにぽつんと残っていた。
建物は、かつては華やかな時代を彷彿とさせる装飾が施された外観を持っていたが、今は色褪せてしまっている。しかし、まだその面影は残っており、廃墟の中にも美しさが感じられた。窓ガラスは割れ、風がそよぐ音が聞こえる。かすかに、遠い日のジャズのメロディが蘇ってくるようだった。
廃墟に足を踏み入れると、そこには時間が止まったかのような空間が広がっていた。壁には、かつてのジャズマンたちが演奏する姿が描かれていて、彼らの音楽がいつまでも響いているかのようだった。ユウジは、壁の中に手紙に書かれた言葉と繋がりを持っていることを感じた。
ロビーのような箇所で、錆びたジャズピアノを陽気な老人が弾いている、彼の弾いている曲は以前どこかで聞いたことがある音色だった。まるで、タイムカプセルに埋めた言葉をどこかで思い出すように。
老人の姿はかつてこのジャズクラブで演奏していたジャズマンのような身なりであり、決して整っているとは言い難いが、音楽と共に自分を表現していて、どこか懐かしく切なさも含んでいる姿だとユウジは感じた。
老人の音楽に包まれながら、ユウジは手紙の謎を解く鍵が隠されていることを感じていた。ムーンウィスカーは、老人の音楽を聴きながら、まるで自分が昔に演奏していたように耳を傾けていた。
老人は、時々口笛を吹き、鼻歌を歌い、煙草を喫いながら近づき、ムーンウィスカーに話しかけた。
「おい、猫ちゃん。いい音が聞こえるかい?この場所は、昔は最高のジャズクラブだったんだよ。君たちが来るまでは、ここに人が来ることなんてなかったけどね。そうだ、写真を撮ろう!この景色は、もう二度と見られないかもしれないからね」
そう言って、老人は古びたポケットからカメラを取り出して、ネジを巻き、フラッシュも焚かないままカメラを向け、一枚の写真を撮った。
老人は写真を撮った後、猫に向かって微笑んで言った。
「お前は、本当にラッキーだよ。こんなに素晴らしい音楽が聴けるんだから。君たちは、いつか自分たちの音楽を見つけられるように、夢中になることが大切だ。そうだ、俺が若い頃に憧れたのは、ジャズマンだった。いい音楽を聴いて、いい音楽を演奏して、その世界に身を投じたかったんだ。だけど、なかなか上手くいかなくてね。でも、今ではこの場所で、自分なりの音楽を見つけられたような気がする。」
そう言って、老人は何かを少し考えるような仕草をしながら、時々こちらを向いて戻っていった。
ユウジは、手紙の謎を解く糸口を見つかるかもしれないとその時感じて、老人を呼び止めてポケットから手紙を渡した。
老人は手紙を読みながら、何度も表情を変えていた。酸っぱいものや辛いものを食べている時のように、記憶の中から何かを取り戻そうとしているんだろうと感じた。
そして、最後に手紙を開いていた自分の手の中に置き、静かに口を開いた。
「これは、恋人からの手紙だな。俺にも昔、愛する人がいた。そして、演奏する音楽こそが、彼女を思い出すための唯一の手段だったんだ。君の手紙を読んでいると、当時の自分が重なって見えるんだ」
老人は、手紙を畳んでユウジに渡すときに、何かを思い出しているような表情を浮かべた。
「ああ、そうだ。昔すごく有名で愛されているジャズマンがいたんだ。名前はなんだっけ…彼の音楽は、この町で伝説となっている。確か、ムーンウィスカーという名前だった気がする。なにせ、もう60年前くらいの話さ。
俺も彼のファンだった。あの頃、彼の演奏を聴くために何度もこのジャズクラブに足を運んだものだ。手紙に書かれていた楽譜はムーンウィスカーが好んで演奏していた曲で、描かれていた人物像はバンドグループと似ていると感じた。綺麗な筆跡は一昔前の言語で書かれていて、ムーンウィスカーの恋人からの言葉だった。」
老人は、どこの銘柄かわからない煙草を喫いながら、自分が若い頃にムーンウィスカーと出会った時の思い出を語り始めた。
ユウジは、ムーンウィスカーがかつてのジャズマンであり、彼の音楽がこの街に伝説となって残っていることを知った。ムーンウィスカーは、遠い昔に恋した女性と別れ、自らの音楽に没頭することで喪失感と向き合っていた。その恋人は、手紙の筆者であり、彼女が遺した謎の言葉は、ムーンウィスカーへの愛のメッセージだったんだ。
老人から聞いた彼の物語は、懐かしさと切なさに満ちており、聞く者の心を揺さぶった。ムーンウィスカーとその恋人は、当時結婚を許される同士の階級ではなく家族や親戚から引き離されて会えない関係になってしまったという話であり、ムーンウィスカーは、当時の悲しみを昇華するために、音楽を始めて気づけば有名になっていたという話だった。
老人との会話を終えた後、廃墟から出て、街の方へと向かった。
既に雪は降っていなく、街中では、多くの人が行き交い、煌びやかな看板や明かりが輝いていた。ユウジは、廃墟の中での出来事がまるで別世界の出来事のように感じられた。
二人は、「ジャズ喫茶コラール」に戻り店内には、煙草の煙と生演奏の音が満ち溢れていた。
「老人が弾いていた歌を一緒に演奏しないか?」とムーンウィスカーがユウジに尋ねた。彼の提案に驚きながらもユウジは喜んで引き受けた。
その夜、店にはたくさんの人々が集まり、ムーンウィスカーとユウジの演奏に酔いしれる。彼らの音楽は、かつてのジャズクラブの廃墟に住む人々の心を癒した音楽のように、街に新たな伝説が生まれた。そして、遠い昔に失った恋人への想いを、音楽に繋げてムーンウィスカーは演奏した。
日が経つにつれ、ムーンウィスカーはだんだんと姿を現すことが少なくなり、最後には姿を消してしまった。彼がユウジに遺した音楽と想い出は、永遠にユウジの心の中で輝き続けることになる。そして、「ジャズ喫茶コラール」は、猫とジャズと謎の手紙をめぐる物語を語り継ぐことで、街の人々に愛される場所となるのだった。