【日記】生まれて10000日たったことに気づいた夜のこと
2024年9月15日に書いた日記です。(生誕は1997年4月23日)
10000日生きて思うこと、私はまだ私自身の可能性についてまだ諦めることができないのです。
10000日目を迎えた。記念日らしいけれど、大げさに騒ぐようなものでもない。けれどその夜、ふと気付いた。これまで何度も見過ごしてきた、小さな通過点の一つに。
9月15日、夜の11時半。高円寺の小杉湯からの帰り道に、急に心の中で何かが動いた。普段なら眠って忘れてしまうような感情がふっと顔を出して、未来の自分に伝えておきたいと感じた。そのときに書かなければ、感情の形が変わってしまうのがわかっていたからだ。幸い、三連休の夜で、書く時間があった。
ここ最近、小説が書けなくなってしまった。昨年の文学フリマに出したとき、「経験を重ねていけば、きっと良い小説が書けるはず」と思っていたけれど、現実はそれほど甘くないらしい。経験を重ねることは大事だと思っていたけれど、気づけば、むしろその反対が真実のように思えてきた。
何事も、ただ表面をなぞるだけではなく、じっくりと向き合うことが必要だと感じている。仕事も、恋愛も、人間関係も。表面的にいろいろなことを経験したって、根本から得られるものは少ないんだと実感している。大事なのは数ではなく、深さだと。
どうしたら物事と本気で向き合えるのか?それは多分、自分を犠牲にしてでも学んでいくしかない。痛みや矛盾に満ちた世界に潜り、体で覚えること。それが、真の感受性を育てる道なのだろう。
今は、そんな風に自分の内なる声に耳を傾けながら日々を過ごしている。急いでアクセルを踏むことはせず、じっとその瞬間を待っている。その代わり、日記を書いたり、写真を撮ったり、小さな出来事を見つめ直している。そうしていると、毎日の点と点が少しずつ線になって、目の前に現れる。日々の一つ一つの出来事が繋がっていく感覚。思えば、10000日がそうやって今に繋がっているのだ。
そして、これから先、どんな生き方をしたいのか?誰と一緒にいたいのか?何を求めて生きるのか?もはや登るべき山などない。どちらかというと、川下りをするように流れに身を任せて、少しずつ進んでいきたい。あれこれと道草を食いながら、ただ静かに歩んでいく。
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