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祖父母の死の捉え方

先日祖父が亡くなった。急だった。

健康な人だったから、親族全員が、あと10年は生きると思っていた。

なんなら私は、祖父は死なないのではないかと、幻想を抱いていた。

そんな祖父の体に異変が生じ、そこから3日で亡くなってしまった。

この経験を元に感じたことが、これから家族の死を初めて経験する方の助けになれば幸いです。

また、家族の死を経験した方々には、克服の過程や死をどう捉えているかなど、経験談を教えていただきたいです。

人の死は急に訪れる

亡くなる2日前:
ある日、家族から「おじいちゃんが、今日で危ういかもしれない」と連絡があり、病院に向かった。

初めてそんな連絡を受けたので、これまで感じたことのない不安と、焦りを感じた。

でも病室で会った祖父は、元気だった。

「やっぱりこんなことで死ぬおじいちゃんじゃないよね」とバカな考えをしてしまった。

その日は夜まで病院にいて、「また明日も会いにくるね」と言って帰宅した。

亡くなる前日:
お見舞いに行くか迷ったが、元気そうだったし「明日で良いか」と思い、会いにいかなかった。

亡くなった当日:
今すぐ病院に来るように家族から連絡があり、急いで病院に向かった。

祖父はICUにいて、意識がない状態だった。

私は手を握ることしかできなかった。

私が病院に到着して一時間も経たないうちに、祖父は亡くなってしまった。

死に目には会えたが、何もできなかった

初めて人の死をまともに経験した私は、あまりにも知識がなかった。

例えば、人の感覚の中で聴覚は最後まで残っている、ということを知らなかった。

確かに考えてみると、ドラマでも病室で最後まで話しかけている姿をみたことがある。

ICUで意識がなかった祖父は、何も聞こえていないと思っていたので、ばかみたいに私は手だけを握っていた。

息を引き取る直前に、祖父が目を開けた時、「おじいちゃん」と言うことしかできず、ありがとうも大好きも言えなかった。

後悔したところで取り返しがつかない「死」

今更どれだけ、「あの時こうしておけば」「ああしておけば」と思っても、死んでしまったら、やり直すことはできない。

祖父が亡くなる前日にお見舞いに行かなかったことも、病室で手しか握れなかったことも、後悔してもどうしようもない。

どうしようもないと思っていても、どんどん後悔は湧いてくる。

例えば、祖父が亡くなる数ヶ月前に、リハビリ施設にいた祖父に会いに行った時のこと。

面会時間が20分しかなかったので、祖父がとても悲しそうだった。

別れ際に、エレベーターの前に立つ祖父の姿が今も忘れられない。

その時も私は「また来るね」と言って、会いにいかなかった。

会いに行こうと思えば、いくらでも行けた。

「おじいちゃんは、元気だから。」

そう思って生きてきたことに、後悔しかない。

後悔が教えてくれたこと

それにしても、死は残酷。

「死」を経験する回数があまりにも少ない。

予行練習無しに、大切な人の死を、ぶっつけ本番、体当たりで経験していくしかない。

何もできなかった自分の無力さを感じた。

でも、死の乗り越え方をを教えてくれるのが、祖父母なのかもしれないと今は思っている。

私の死で感じた後悔を、私の子どもが死ぬ時は繰り返さないでね。

と、自分の身をもって教えてくれる存在。

私の祖父ではあるけれど、それ以前に、私の親の「父」である。

自分の子どもの死が少しでも寂しいものでないように。

そしてその時に、私の心のダメージが大きすぎないように。

そんな祖父からのメッセージを感じた。

悲しいことばかりではない

家族の愛とはこういうこと

今回、沢山の家族の愛を感じた。

中でも、誰もが悲しい瞬間に、互いを心配し合っていたことに、深い愛を感じた。

祖父の死を聞きつけ、病院に向かう道中で、私の親が倒れたと連絡があった。その姿に胸が痛かったし、私の親もどうにかなってしまうのではないかと不安を感じた。

そして、私の家族や叔母は、息を引き取る時に側にいた私を心配していた。

一人でそんな辛い場面にいさせて申し訳ないと。

父親を失った叔母は、私より辛いはずなのに、泣きながらそう話す姿に驚いた。

自分の痛みよりも相手の痛みが痛い。

そんな今までに感じたことのない、深い家族の愛を感じた。

「こんな素晴らしい家族を作り上げてくれて、本当にありがとう」と改めて祖父に感謝した。

がんのよいことの一つは、準備ができること

樹木希林さんの本を読み、この言葉を見てハッとした。

病気になることは「よくないこと」という認識があるけれど、それがきっかけで死の準備ができたり、周りの人との向き合い方も変わったという。

もちろん、がんになることは辛いことであり、祖父がそうあってほしかったというわけではない。

ただ、これまでは家族が大病を患うことが、不安で仕方なかった。

でもこう考えることで、いざその場面に出くわした時、不安よりも「じゃあ今ある時間をどう過ごそう」ということに目を向けるきっかけにもなると思った。

死ぬということ、老いるということを、祖父の死をきっかけに学んでいる途中。そのんな人には、よかったらこちらの本おすすめです。

誰もが、いつか死ぬ

私は、あまりにも死を遠いものと捉えて生きてきた。

でも、私の大切な人たちは、皆いつか死ぬ。

それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。

私はいつも「後悔しない選択」をして生きたいと思っていたが、大切な人の死を前に、後悔しないことなんてない。

だから、いつか後悔するだろうけど、今できる100%の選択をしながら、今いる家族と一生をかけて思い出作りをしていきたい。

祖父の死で後悔したことを、繰り返さなければ、祖父も喜んでくれると思っている。

今も夢に出てくるし、これを書きながらも涙が出たけれど、私はまた明日も生きなければならない。

精一杯生きて、そしてまた祖父に会いたい。

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しずく
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