![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131671696/rectangle_large_type_2_89c8617b06e7f03137ee1b5e231ae64b.png?width=1200)
『心眼』で見極めよう
家族の知らないところで僕は愚かな罪を重ねていた。
いつかそれが白日の下に晒される日がくると、いつも怯えながらひた隠し日々を過ごした。
そう。あの日までは、、、
真冬の早朝。あたりは森閑としてまだ暗闇に包まれている。
吐きだす息の白さが、さらに寒さを感じさせた。
そして僕は家族に出張と偽って、後ろめたい気持ちで妻に駅まで送ってもらった。
彼女がいつになく無口で素っ気ない態度のように感じたのは気のせいだろうか?
まさか気づいているのではないだろうか?
そんなはずはない。
途中、交差点の黄色い点滅の灯りが濡れた路面に反射し、なぜか妙に輝きを放っているように感じた。
駅に着くと微かな動揺を消して「ありがとう」と妻に呟いた。
僕を降ろすと、妻は助手席の窓を開けて澄ました顔で無言のまま、軽く左手をあげて別れを告げた。
静かな駅前のロータリーにクラクションがひとつ鳴り響き、「ブォーン」という音とともに車は白い煙を吐きすて、瞬く間に視界から消え去っていった。
それから改札を抜けて、周りには誰もいないホームにひとり立っていると、発車時刻を知らせるアナウンスだけが虚しく響きわたっていた。
予定した電車の時刻が近づくと、遠く左の暗闇から二つの眩しい光が射している。
線路をまっすぐに照らすその灯りが近づくと、東京行と表示されたホームを埋め尽くすほどの長い車列が、僕の目の前に横たわった。
「プッシュー」と音を鳴らして扉が開くと、吸い込まれるように長い対面式座席の真ん中にドスンと腰を下ろした。
この駅は始発だから座っている人は誰もいない。
カバンを横に置き、1時間ほど電車に揺られウトウトしていた。
その間、彼女からのLINEメッセージが届いていたことに僕は気づかなかった。
しばらくしてから車内アナウンスとともに、乗車してきた人たちにまみれて、その彼女は現れた。
そして僕に気づくと小さく手を振り微笑んだ。
隣の席に彼女がそっと座わるとその瞬間、ふわっとシャンプーのような優しい香りが漂った。
その彼女とは、1年前に知人の結婚式で知り合った、僕よりもふた回りも歳が若い、可憐と知的さを身に纏った女性。
家族の知らないところで、僕たちは逢瀬を重ねていた。
今回で何回目だろうか。
今日ふたりの向かう先は東京ディズニーランド。
僕は年甲斐もなく心が踊っていた。
それからしばらく電車に揺られながら外を見ていた。
流れていく街が、僕の住む見慣れた景色とはまるで違う、別の世界へと少しずつ変貌していった。
都心に入ると、天に突き抜けそうにそびえ立つ摩天楼たちが、朝日を反射して眩い光を放っていた。
田舎者の僕は、この景色が昔から大好きだった。
この姿を初めて目の当たりにしたとき、一瞬で心を奪われたのだ。
その時からいつかこの街に住んでみたいとずっと憧れを抱いていた。
そのチャンスは何度もあった。大学受験のときもそうだ。しかし受験に失敗した。しかも二度も。
憧れの街でのキャンパスライフの夢はそこで無惨にも散った。
そして人生の挫折を初めてそのときに味わった。
また親の敷いたレールから外れる勇気もなかった。
そこで何もかもすべてを諦めた。
それから時は過ぎ、いつのまにかその想いは薄れて露と消えていた。
きっとこの街に僕は嫌われていたのだろう。縁がなかったのだ。しかしそれが今では良かったのかもしれない。
摩天楼たちを眺めながら、そんな儚い昔の想いにふけっていた。
僕のむかし話など、きっと彼女にとってはつまらなく感じるかもしれないが、いつか機会があれば話してみようと思った。
それから電車を乗り換え目的地に辿り着いた。
すでにゲートは開門している。
真っ青な空の背景を帯びたシンデレラ城が、僕たちふたりを歓迎してくれた。
周りはみんなカップルばかりだ。
きっと僕たちは親子だと思われているに違いないと思って、彼女の柔らかなその手をずっと握りしめて歩いた。
青春のような淡い想い。
こんな想いを何十年もずっと忘れていたような気がする。
しかしそれとは裏腹に、家族に対しての後ろめたさが心のどこかで小さく見え隠れしていた。
またすれ違う人たちの中にある険悪な視線も感じた。
しばらく歩き、僕たちはスプラッシュマウンテンの長蛇の最後尾へと並んだ。
待つことなどふたりでいれば、なんの苦にもならない。
前には、30代半ばのお母さんと高学年くらいの男の子が並んでいる。
落ち着きのない様子でその子は
「お母さん、あと何分待てばいいの?」と聞いた。
「もう少しだから、我慢しなさい」と宥めている様子をみて、僕はその子に笑顔で優しく話しかけた。
「すごく並んでいて、嫌になるよね。けどここは夢の国だから、いつまでもここにはいられないよ。待っている時間も楽しまなきゃ損だよ〜」
と余計なことを口走った。
お母さんは「そうですよね〜」と苦笑いでこたえた。
僕の彼女はにっこりと笑って、優しい眼差しでその子をじっと見つめていた。
すると遠くの方から、、
「ここにいた〜!お父さん!ここで何してるの💢」
と、いつもの聞き慣れた声がした。
まさか!
声のする方へ振り向くと、妻と娘たちがスマホを手にして、鬼の形相でこっちへ駆けてきた。
スマホのGPS機能を使って、あとをつけてきたのだ。
綿密に練ったはずのこの計画は、最初からバレていた。
「ヤバい逃げよう!」
と僕は叫びながら彼女の手をとり、全力で走り出そうとしたが、歩道のわずかな段差に躓いてしまった。
彼女にずっと触れていた右手が離れた、、、
僕は前のめりになって勢いよく膝から転倒した。
「痛っ!」
そこでハッと目が覚めた。
すべて夢だったのだ。
淡い夢であった。また恐ろしい夢だ。
隣にはいつものように可憐な妻が仰臥して気持ちよさそうに眠っている。きっといい夢でもみているのだろう。
僕は恐怖と安堵が混じりあった不思議な気持ちに包まれながら、ふたたび深い眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しかしこの広い世界のことだ。
僕の夢のようなことを現実に体現している人もいるかもしれない。
男はとかく容姿に心奪われる生き物だからしかたがない。
また恋は盲目。ときに周りは見えなくなってしまう。
その行先は、不幸の入り口とも知らずにひた走る。
もしかしたら、この淡い夢のような願望が、自分では気づいていないだけで、心の中に顕在しているのかもしれない。
そのような願望が心のどこか知らないところで小さく沸々といつも湧いていて、それを理性という蓋が抑えてくれているから表れてこないだけなのかも。
人によっては、何かの拍子にその蓋が外れて、願望が溢れ出すことだってあるだろう。
罪を犯してしまうひともそうかもしれない。
そのときの安易な感情に流されて、不幸に通じる地獄の道を選択しないように、常に理性と冷静さをしっかり持っていたい。
そうすれば地獄の入り口付近で引き返すことだって出来るだろう。
なにが自分にとって大事で必要かを、そのときの選択を間違えないように、心の目➖『心眼』をもって見極めたい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて偉そうなことを綴りましたが、この夢も創作です。
タイトルの古典落語『心眼』を知っているかたは、最初から夢の話だと気づいていたことでしょう。
『心眼』は、初代三遊亭圓朝師匠が盲人だった実弟三遊亭圓丸氏の実体験をもとに創作した噺です。
最後のサゲ(落ち)は当初あっさりしたものでしたが、この噺を得意とした八代目桂文楽師匠によって、現在のものに改作されたようです。
按摩を家業としている盲人の梅喜とその妻お竹の話です。
梅喜「お竹。俺はもう信心はやめだ」
お竹「昨日まで思いつめた信心をなんでお前さん、今日になってよす気になったの?」
梅喜「盲てえのは妙なものだねぇ〜寝ているうちだけ、よーく見える」
このサゲのセリフが有名な作品ですが盲という差別用語や、盲人を間接的・直接的に差別するシーンが描かれていることから、テレビなどで上演されることはあまりないようです。
音声だけですが、八代目桂文楽師匠の語りの上手さにその情景がまざまざと脳裏に浮かびます。
人はいつもある『当たり前』のことにあまり心奪われることはありません。
見たこともない、美しいものや珍しいものに心惹かれます。
いつもあるその日常は、それが当たり前に映り、ありがたさに気づかず鈍感になります。
また目に見えるものは常に変化をしています。
変わらないと思うものも、ときが経てば人が年老いていくように変わっていくものです。
そして厄介なことは、人の心はコロコロと変わりやすいということです。
誰に対しても変わらない優しい態度は、誠実で崇高です。
お竹さんのような誠の心をもつひとを見極める『心眼』が大事です。
そして本当に大切にすべきひとは誰なのかということを、いつも『心眼』をもって見極めておくことが人生にとって、とても重要で大切なことだと思うのです。
−了−
最後まで拙い長文をお読み下さり、ありがとうございました🙇