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母さんとバリカン

先日、理髪店へ行くと先客で4、5歳くらいの男の子が散髪をしていて、傍らにはお母さんが優しい眼差しで我が子を見守っていました。その様子が微笑ましく思えて、あたたかな気持ちに包まれたのです。そして、2年前に他界した母のことが想い浮かびました。
たまに母との記憶が日常のふとした出来事と重なり、心に触れるときがあります。そういう時は、きまって懐かしさやら麗らかな情感やらが湧き起こり、暫くするとすっーと消えてゆきます。姿形はなくとも僕の中で脈々と流れている、精神や魂のつながりといった感触を得るのです。

以下のエッセイは 『倚門之望 親の心を探る』から抜粋した母との想い出です

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『母さんとバリカン』


中学3年生のとき。学校帰りにクラスメイトの家でよく遊んだ。その友だちはお母さんとふたりで暮らしていた。お母さんは夜業だったので、夕方からは彼以外は家に誰もいない。だから悪友たちの溜まり場となっていた。
その家では、「週間少年ジャンプ」を回し読みしたり、ケンカが強くなるように、空手のまねごとをして鍛えあったりもした。
また『オレたちひょうきん族』などのお笑い番組の話題や学校でのことなど、他愛もない話をして、貴重な青春の時を刻んでいった。
そんなある日のこと。いつものように友だち数人とその家に遊びに行った。暫くして外が薄暗くなりお腹が空いてきた。友だちのひとりが何かないか?と冷蔵庫を覗くと、瓶ビールが目に入った。それを見てあろうことか「飲んでみないか?!」と言い出したのだ。
「やめとけ!」という友だちもいたが、僕は興味本位で「飲もう!飲もう!」と言って、中にあった瓶ビールを取り出し、父がいつもやっていたように勢いよく栓を抜くと、弧を描いて吹き飛んだ。それからプラコップやグラスやら台所にあるコップをかき集めて注ぎ、みんなで「乾杯〜」と飲んだのである。
僕は少し罪悪感を感じながら、父のようにゴクゴクと一気に飲み干し、口に泡をつけ「プハッー」と言った。
大人がいつも飲むビールは、子どもの目から見ると、とても美味しものに映っていた。しかし実際に飲んでみると、苦いだけで美味しいといえる代物ではなかったのだ。
子どもの時に苦くてマズいと思ったビールを、いつから美味しく味わえるようになったのだろうか。いつ閾を跨いだのかも分からないまま惰性に流され大人になっていた。
さて、暫くすると体が火照り出し赤面し、なんだか気分が良くなってきた。これが『酔う』ということなのかと思いながら、そのあとは睡魔に見舞われ、その場で寝落ちしてしまった。
目が覚めると、ここはどこ?と寝ぼけながら時計を見た。午前0時を指している「ヤバい!」と叫び飛び起きた。大して飲んではいなかったので、もう酔いはすっかり覚めていた。
部屋を見渡すと家の主人である友人と、もう一人の友だちが鼾をかいて、気持ち良さそうに寝ていた。とりあえず僕と一緒に一刻も早く家に帰らなければいけない友人を起こして、寝ているこの家の主人には、心の中で別れを告げ足早に立ち去った。
家まで歩いて20分の道のりを、薄暗い街頭の灯りを頼りに、最短距離のせまい路地を通った。家までひたすら走った。息を切らしながら爆走した。たぶん記録を取っていれば、100メートル走の生涯ベストタイムを叩き出していたであろう。そして、家族はもう寝ているだろうと思い願った。
家に近づくと、辺りは静まり返っている。どの家も真っ暗だった。しかし、こんな時間でも一軒だけ玄関の灯りが煌々としている家がある。 
わが家である、、、
まだ家族は起きているのだろうか?と不安に駆られながら、僕は気配を消して静かに優しく玄関に手をやりそっと開けた。
すると眼前には、母さんが恐ろしい形相で仁王立ちしている!髪の毛を逆立てながら、、、

「こんな時間までどこに行ってたの!?」と怒号が響き渡り、耳鳴りがするほどだった。
僕は、こんな夜更けにそんなに大きな声をあげたら近所迷惑になるのではないかと冷静に思ったりもしたのだが、、
そのあとは早く寝たいのに。と思いながらグダグダと説教する母さんの言葉を右から左へと聞き流した。
そして「友だちの家で遊んでいて寝てしまった」と言い訳してからは、飲酒してきたことを母さんにバレないように終始無言のまま、平身低頭、怒りが治まるのをただじっと待つしかなかった。
だが父と祖父が寝ていてくれたのが、せめてもの救いでもあった。

翌日の日曜日。
当時、僕の通う中学校は男子はみんな坊主頭である。
人差し指と中指で髪を挟んで、髪がはみ出したら、坊主にしないといけない、くだらない校則が厳然と存在していた。僕はいつも髪が伸びると、母さんにバリカンで坊主にしてもらっていた。しかし、その日はいつもと少し様子が違ったのである。
いつもは6ミリのバリカンの刃を使うのだが「今日は刃をつけないで五厘刈りにするよ!」とバリカンをセットした。
「まったくもう!」と呟きながら、僕の頭にグイグイと力強く、そのバリカンの刃を押し当て、髪を刈っていくのだ。血は出なかったが、それがとても痛いのである。
母さんは、わざとそのようにやっていることは明白だった。しかし、僕は何も言わず、というより僕には何かを言う権利など、何処にもないことをよく理解していた。
ただその痛みに耐え、無抵抗のまま、昨晩のことを反省する振りをするしかなかった。
散髪が終わった後、鏡に映る自分を見た。強制的に出家させられたのだ。またバリカンの強い摩擦による衝撃で赤く染まったその坊主頭が、まるで茹で上がった蛸のようで笑えた。そして、もう二度とあのようなことはしないと心に誓った。

次の日学校に行くと、僕と一緒に寝落ちし、爆走して共に家に帰った友だちも同じように出家していた。それを見て何も語らずとも、あのあと彼がどういう状況に陥ったのかは、容易に想像が出来た。
そして僕たちは、戦地から無事に帰還して、喜び合う戦友のような気持ちを共感したんだ。

「生きているということは、とても幸せなことなんだ」 と。

親というのはありがたい。
自分も親となってやっと分かった。我が子のことを真剣に想っているからこそ、感情的になってしまうのだろう。それだけ真剣に向き合ってくれているということなのだ。

母さん!ときに湧きおこるその怒りは、愛情の裏返しだったんだね。

−了−

最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇

※ヘッダー画像はAI生成画像です。



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