
もののふとハニカミと僕の罪
北海道から出張の帰り路。
羽田空港から京急に乗って、横浜駅でJRに乗り換え、下り列車を待った。
暫くすると、見慣れた湘南色のラインを纏った、長い列の車両が入ってきた。
車内は、駅員に押し込まれるほどではないが、立っている人の姿が目立つ。
一瞬乗るのを躊躇ったが、どうせこの時間帯は次も一緒だろうと思い、その電車に飛び乗った。
田舎者の僕は、満員電車に慣れていない。普段の移動は車内は狭いが、静かで個室にもなる快適な自動車だ。
都会の人混みは、見ただけで疲れる。
暫く電車に揺られながら立っていると、藤沢駅でやっと席が空いた。
太ったオバさんと高校生であろうお兄さんの狭いスペースに吸い込まれるように、座り込んだ。
思わず「ふっー」とひと息ついた。
僕が降りる駅は、ここからまだ1時間はかかる。
キャリーケースを盗まれないように股にガッチリと挟み、少し落ち着くと、どっと疲れが襲ってきた。
この電車の終点は僕が降りる駅だ。寝過ごすことはないから、安心して寝ていられる。
そう思うと心地良い揺れに暫く、ウトウトと眠りについた。
すると「平塚」とのアナウンスに意識が戻った。同時にどっと大勢の人が乗車してきた。
寝ぼけながら薄目を開けると、前には80歳くらいであろうか、ハンチング帽を被った老紳士が、吊り革をしっかりと右手で握って立っていた。
僕は寝たふりをした。ダメな人間である。
いつもなら直ぐに席を譲るのだか、今日は疲れていて体が鉛のように重い。
お尻に根が生えているようで、思いとは反して腰が上がらないのだ。
あと数年もすれば還暦である。また今回は仕方ないと自分に言い訳をした。
その老紳士にすみませんと心の中で謝り、また寝ようとしたその時!
隣に座っていた高校生のお兄さんが、
すくっと立ち上がり、
「どうぞ!座って下さい」
と声をかけた。
よくぞ言った。と心の中で彼を褒めちぎった。
するとその老紳士は
「ありがとうございます。大丈夫です」
と彼の善意を断り、そのまま立っていた。
「なんでそこで断わるんや!ここへ座っとったら、ええやろ!彼の善意はどないすんねん?!」
と、寝たふりをしたまま、心の中で少し怒鳴ってしまった。
僕は生まれも育ちも静岡だが、5年間を関西で過ごし、感情が昂るとなぜかエセ関西弁になる。
しかし冷静になって考えてみた。善意の押しつけもよくない。また断ったのは、まだ年寄りではないという自尊心からか、それとも日々鍛えているマッチョ老人だったからなのか。それは分からない。
僕は彼が気になり、片目でバレないようにそっと隣を見た。
彼は気まずそうに少し俯いて、はにかんでいた。
『はにかむ』というのは、こういうことをいうのだろう。
若者、青春と、はにかみ笑顔は実によく似合う。
そのはにかんだ姿に、胸がキュンとした。
僕は男は好きではない。
また彼はけっして、イケメンでもない。
しかしカッコよく見えたのだ。
誠を尽くして散った、もののふだ。
自分のことは棚に上げて、日本の若者もまだ捨てたものではないと感心した。
しかし、僕の方が人生の上では先輩だ。本来なら手本とならなくてはいけない。
先に声をかけるべきは僕だった。彼に少し申し訳ない気持ちになった。
僕も彼と同じように断られたら、きっと気まずくなって、はにかんだかもしれない。
いや、オジさんやオバさんは、周囲には『はにかみ』ではなく、『苦笑い』としか思われないだろう。
中年に、はにかむ姿は似合わない。だから堂々としていればいいのだ。
若いということは羨ましい。
見知らぬ勇気ある優しい青年よ。ありがとう!
人生は上手くいかないことの方が多いが、挫けずに何度もチャレンジすることが大切だ。
その勇気と優しさは、けっして無駄にはならないだろう。いつか必ず報われる時がくると信じている。
そして、君はこのあともきっと、目の前に老人が立っていたら、懲りもせずにまた声をかけるだろう。そう願いたい。
そうすれば、僕は君が隣にいる間は、安心して眠ることができるのだ。
そう思うと、またウトウトと眠りについた。
終点の車内アナウンスが聞こえて、ハッと目が覚め我にかえった。
僕の周りには、もう誰ひとりいない。
「この電車は折り返し、19時26分発 東京行きになります」
というアナウンスだけが、僕しかいない車内に響きわたっていた。
ー了ー
最後までお読み下さり、ありがとうございました🙇
※画像はYukaYoshinoさんの撮影されたものを使用させて頂きました。
御礼申し上げます。