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【短編】最期の灯火 −苦悩と真実−

二上山に沈む夕陽

奈良盆地を真っ赤に照らしながら沈んでいく夕陽を見ていると、今でもあのひとを想い出すことがある。
病院の帰り路。しずんだ気持ちで幾度も見たあのときの夕陽、、、
あのひとのことは一生忘れることはないだろう。あの優しい眼差しは、僕の胸奥きょうおうに今でも深く焼きついている。そして、沈みゆくひとのその微笑みは、未熟な僕の心を照す最期の灯火ともしびのようであった。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

僕は熱心な天理教の信仰家庭に生まれた宗教四世だ。幼少期、友だちの家庭と比べて、うちは貧乏だといつも感じていた。毎年誘われる友だちの誕生日会が、とても羨ましく映った。うちにはそんなものはない。サンタクロースも古びて草臥れたこの家に訪れることはなかった。
また友だちをうちに誘うことは、すごく勇気のいることでもあった。それもすべてこの信仰のせいだと。信仰をしているから貧乏なんだと。
そのときは子ども心にそう思っていた。しかし、なぜか心から嫌いにはなれなかった。

思春期のころはよく親に反抗をした。また家の信仰を拒絶することは、家族と縁を切るくらいの覚悟がいることだと思っていた。しかし、親の言動は間違ってはいないと、心のどこかで認めている自分がいることにも気づいていた。
学生時分、勉強はあまり出来なかった。遊び呆けていたからそれは当たり前のことなのだが。
それまで決して順風満帆とはいかなかったが、のらりくらりとすり抜け、どうにか高校までは卒業することができた。
それから無謀にも大学進学を目指した。それは僕にとって、家の信仰から逃避するためのひとつの手段でもあった。また憧れの東京でのキャンパスライフを夢みていた。
僕にとっての人生の大きなわかみちだった。
しかし失敗した。初めて味わう人生の挫折。そのあとバイトをしながら浪宅し、懲りずにもう一度挑戦した。
そして二度目の受験前に、父は僕に向かってこう言った。「三度目はもうない」と。母は何も言わずに、隣で小さくうなずいた。
二度目はまさしく背水の陣。一擲乾坤を賭し神にも祈った。しかし、その夢は桜とともに儚く散っていった。

その春、天理教校専修科(天理教を専門的に学ぶ2年課程の学校)に入学することになった。その進路は大学受験に失敗したあとの親との約束でもあった。そんなもの反故にしてもよかったのだが、これまで親には随分と迷惑をかけてきたし、自分はもう二十歳だ。いつまでも子どものようなことは言ってはいられない。また親に言われて決めた道と思うと癪に障ったので、最後は自分で決断してその道を歩むことにした。
思えば天理で過ごしたその2年間は、あっという間に過ぎ去っていった。
とても有意義で貴重な日々であったように思う。一番の収穫は素晴らしい師と友に出逢えたことだ。それは未熟な僕の成長を促すための神様が与えて下さった縁だったのだろう。
そして神を求め、真剣に神と向きあった日々であったように思う。
そんなかけがえのない日々の、あのひとの追憶。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  

在学中のあるとき、静岡で天理教の教会長をしている叔父から、天理市内の病院に肝臓がんステージ4で入院している佐藤さんに毎日おさづけ(祈り)を取り次ぐように頼まれた。
おさづけとは、神名を唱えて患部を両手で摩り祈念する神聖な祈りの手法。

佐藤さんと初対面の日。
病室の前で緊張を和らげるため「ふっー」とひと息ついた。それから4人部屋の大きなスライド式のドアを開けて佐藤さんの部屋へと入った。
「こんにちは」と挨拶すると、佐藤さんはベッドで横になっていたがムクっと起き上がり「 芹沢君、会長さんから話は聞いているよ。今日からおさづけをお願いしますね」とやさしく微笑んだ。
佐藤さんは宗教二世の男性信者で56才。角刈り頭で少し白髪が混じっていて長身痩躯。第一印象は寿司屋の大将といったところだろうか。どことなく清潔感が漂っている。ハキハキしていて病人には見えなかった。僕はそれまでおさづけの取り次ぎをあまりしたことがなかった。慣れないことを前にして上擦った声で「佐藤さん。体調はどうですか?おさづけ今日からよろしくお願いします」と、とってつけたような簡単な挨拶をすませた。
とても緊張をしていた。今までそのような経験がないのだからしかたがない。しかも初対面であり、相手は余命6ヶ月を宣告された絶望に瀕した末期がん患者だ。僕の不安など佐藤さんと比すれば、ため息で消えてなくなる卓上の埃にすぎないというのに。それが経験のない者の定めというものなのだろう。
佐藤さんはきっと落ち込んでいて、重苦しい雰囲気ではないかと想像をしていたが、本人はとても明るかったので少しホッとした。しかし、それは明るく振る舞っていたのである。そのことに僕が気づいたのは、それからずっと後のことだった。

その人に救かってもらうためには、ただ祈るだけでは神様にその思いは届かない。この信仰は拝み祈祷の道ではない。
神様は願い通りにご守護を下さるのではなく、その人の心通りに働いて下さるのだと学校で教わった。
また「話一条はたすけの台」とも教えられた。教えの話によって心が涵養されていき、神が望む「人を救ける心」に変われば救われていくのだと。だから、おさづけを取り次ぐときは、その前にひと言でも教えの話を取り次いでからするようにと教わってきた。
それから学校で習った知識を、教科書を言い淀みながら朗読するような口調で話した。教えを取り次いだというより、ただ本を読み上げたようなものだった。勉強も経験も足りないのだから、それが僕にできる精一杯でもあった。

話はとりあえず終わった。病室はとても静かだった。寝ている患者もいる。窓側の佐藤さんの部屋は西陽を浴びてとても明るかった。そのことが僕を少し勇気づけていた。そして、部屋を仕切るカーテンを静かにそっと閉めた。
佐藤さんはベットの上で仰臥して、上着を捲ってお腹を出している。がんに侵され痩せている体とは不釣りあいに、お腹がふっくらとしていることを不思議に感じていた。
肝臓がんの症状で腹水が溜まっているのだ。僕にはその知識はなかった。
また佐藤さんはおさづけを受けるのは今回が初めてではない。入院する以前から何度も叔父から取り次いでもらっていた。
そして、佐藤さんは胸前に両手を合わせおさづけを受ける姿勢を整えた。
「それではおさづけを取り次がせてもらいます。よろしくお願いします」と僕は小さな声でいった。佐藤さんは「お願いします」といって小さく頷いた。
そして、いよいよ『おさづけの理』を取り次ぐ時となった。
同室の人たちは、たぶん天理教の信者ではない。仕切ったカーテンの中から、奇妙な神名を唱える声が聞こえてきて、異様に思われないだろうか?などと要らぬ心配が頭の中をよぎっていた。同室の人たちに気づかれないように、柏手をふたつ小さく打ってから祈念したーー
「なむたすけたまえ てんりおうのみこと、、」と、小さな声で神名を唱え、肝臓と思われるあたりに触れると、手から佐藤さんのあたたかな肌の温もりを感じた。
そして、僕の手が緊張で震えていることに気がついた。真剣に祈らなくてはいけないと思いながら、佐藤さんに気づかれると恥ずかしいと思った。その後、おさづけの取り次ぎの最後の拍手をふたつ打ち終えると、佐藤さんはパッと目を見開いた。ずっと目を瞑っていたのだ。僕はホッとした。
おさづけの取り次ぎは終わった。佐藤さんは「ありがとう!なんか楽になったよ」と言った。それはお世辞だったのかもしれないが僕にはとても嬉しかった。
それから暫く雑談をして「また明日来ますね」と言って別れを告げると、佐藤さんはベッドの上から笑顔で「ありがとう!明日もよろしくね」
と両手を合わせ会釈した。
僕は一礼してから部屋のドアを閉めて広い廊下に出ると「はっー。ダメだった。情けない」と呟き反省した。
そして、次はよけいな事を考えずに、落ち着いてやろうと決意した。
なにごとも最初から上手くできる人などそうはいないだろう。むしろダメだったからこそ、次は頑張ろうと思えたのかもしれない。
それからも話は相変わらず上手にはできなかったが、何度か通う間におさづけは緊張せずに取り次げるようになったが、しかし佐藤さんの容体は一向に良くはならなかった。初対面のときよりも黄疸が出て、黄ばんだ顔となっていた。

半月が経ち、毎日通っても良くはならず、むしろ悪くなっていった。それから病院に通うことに、だんだん気が重くなった。
それまで毎日だったのが1日おきとなり、2日、3日おきとなっていった。そして、病院に行くときはいつも来れなかった言い訳を用意していた。
そんなときも佐藤さんはきまって、
「芹沢君、今日も祈ってくれて有難う」と笑顔で言った。
そのことばに勇気づけられていたはずなのに、、、

それからひと月が経ち、がんは肺にも転移し、佐藤さんの痩せた体を容赦なく蝕んでいった。痛みに耐えて我慢している様子が、手にとるようにわかった。足をさすって痛みを和らげることしか僕にはできることが無くなった。行き詰まっていた。
試練のときだったが、どうしていいのかまったく分からない。
それから神殿に行き「難しい病気で無理な願いではありますが、どうか佐藤さんを救けて下さい」と必死にお願いをした。
人間はお願いされるとつい見返りを求めたくなるが、神様は見返りを求めることはない。しかし、神様に受け取ってもらうだけの真実の姿を形として現さないと、きっとこの無理な願いは聞いてはくれないだろうと思った。神は願う誠真実の心に働くのだと。
まずは何か心を定めることが一番だと思った。それから病院の帰りに神殿の回廊拭きを毎日することを神様に誓った。

回廊は一周800メートルある。毎日大勢の人たちが磨いているので輝いている。僕はどうか治ってくれ!と、力強く願いを込めて磨いた。
そして分厚く硬い回廊の板間を磨いていると、膝の皮が擦りむけて痛んだが、佐藤さんの痛みに比べればこんなことは、大したことではないと思った。
また、ときには時間がなくて夜中に回廊拭きをすることもあった。夜中の回廊は真っ暗だ。暗闇の中ですれ違う人に出会すと「ご苦労様です」
とお互い声を掛けあったりした。
こんな夜更けに。
きっと、この人も僕と同じような思いで磨いているのだろうと思った。
しかし、容体はますます悪化していく一方であった、、、

本部神殿(南礼拝場正面)

神殿は24時間解放されていて、いつでも参拝できる。
ある夜、南礼拝場で参拝しながら、僕には敬虔さがまだ足りないのだろうか? 何が足りないのか? と自問自答した。しかし、答えはでない。
また親神様にも伺ってみたが、浮かんでくるものは何もなかった。
そのあと回廊を通って、教祖殿へと向かった。

教祖殿
教祖殿正面
教祖殿内

教祖に一番近い結界の前に座り、心の中で僕には何が足りないのか教えて下さい!とお姿の見えない教祖おやさまを問い詰めた。暫く待っていたが、なんの返答もない。
それから静まりかえる夜の教祖殿に佇んでいると、ふと佐藤さんの顔が思い浮かんだ。
すると新月にポツンといる大海の暗闇から、はるか彼方にうっすらと点滅する灯台の灯りをみつけたような気がした。
ある真実に気づいたのだ。それは佐藤さんが痛みに耐えながら、僕に見せるあの明るい笑顔や態度は、毎日暗い顔をしておさづけにくる僕のことを気づかった優しさだったのだと。
あの初対面の日、緊張で手が震えたおさづけも、きっと目を瞑ったふりをして気づいていたのだ。その優しさと思いやりに今まで気づかず、自分よがりに思い悩んでいた。
なんて未熟なんだ。自分がとても情けなく感じた。そして、苦しみや恐怖を隠して、おさづけを受ける佐藤さんの姿が思い出され、人目を憚らずその場で泣き崩れた。
止めどなく涙が溢れた。その大粒は滔々と流れ、畳の奥底へ消えていった。その様子を見て、近くで参拝していたご婦人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
「大丈夫です。すみません、、、」
その後、自身は壮健でいることのありがたさや勿体なさという思いが胸の底から込み上げてきた。健康なことが、どれだけ幸せなことであるかということを痛感した。
佐藤さんの祈りを通して、そこに気づいたのだ。そして、教えの『かしもの・かりものの理』を実感したような気持ちになった。

涙が乾き顔をあげると、殿内奥の上段の間に、なんの返答もしなかった教祖おやさまが、赤い着物を召して端坐し、こちらをじっとみつめていた。そして視線が合うと、うんうんと、うなずき優しく微笑んでいるお姿が顕現に拝されて自然と額突いていた。
心の中で僕にはそう見えていた。いや、そう思いたかったのだ。

結局なにがいけないのか。どうすれば救かるのか。という答えは出なかった。しかし、どんな結果が待っていようと、明日からは佐藤さんに明るく接することを親神様おやがみさま教祖おやさまに誓った。そして佐藤さんに。

それからも相変わらず容体が良くなることはなかった。そして暫くして、退院し故郷である静岡へと帰っていった。治ったからではない。ホスピスに転院したのだ。
それから佐藤さんとは、もう二度と会うことはなかった。

数ヶ月して叔父から佐藤さんが亡くなったということを聞いた。もう覚悟はしていたので、冷静に受け止めていた。
その冷静さが自分でも不思議だったが、それはきっと佐藤さんに対して、することは全てさせて貰ったという悔いのない気持ちからだったのかもしれない。
そして、佐藤さんが亡くなる1週間前に、叔父に託した最期のことばを聞いた。それは僕への遺言でもあった。
「いつも祈ってくれてありがとう。今日を生きる勇気をもらっていたよ」と。
そのことばにふれた瞬間とき、佐藤さんの微笑む姿が想い浮かんだ。佐藤さんはもうこの世にはいない。あの笑顔も、もう見ることはない。そう思うと凪のように静かだったその想いが、海嘯かいしょうのごどく押し寄せてその場に崩れ嗚咽した。
佐藤さんは新たなところへ旅立っていったのだ。両手を合わせ、ひとり冥福を祈った。

奇跡は起こらなかった。佐藤さんは救からなかった。しかし、佐藤さんを介して神様と真剣に向き合った。その誠の心を尽くしたことだけは事実として、神様に分かってもらえればそれでいいと思った。
佐藤さんへの祈りを通して、日々壮健でいることのありがたさや、生かれていることへの喜びを感じることができた。佐藤さんは救からなかったが、そう思えるようになった僕が救かったのだ。

今でも瞼を閉じれば、あの優しい眼差しで微笑む佐藤さんの姿が想い浮かぶ。苦しみを押包みながら見せたあの笑顔は、自身の命を削りながら僕にやさしさと思いやりの大切さを教えてくれた。肉体は朽ちてもその美しい精神は、いつまでも僕の心の中で眩い輝きを放っている。
僕だってどんな最期を迎えるか分からない。例えそれがつらくても、いつもまわりには笑顔とありがとうの感謝の心を忘れないようにしたい。
そして、いずれ訪れるその最期ときがきたら、佐藤さんが沈みゆく中でみせた、あのまわりを照らす灯火ともしびのような笑顔が僕にもできたらいいなと思う。
幾度もみた奈良盆地を真っ赤に照らし、沈みゆくあの夕陽のように、最期は誰かの心を明るく照らしてみたい。


最後まで長文をお読み下さり、ありがとうございました😊

−終−


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