憧れの人
大学時代からの友人でもある、憧れの人生の先輩は、
言うことの8割はバカなんだけど、
アニメオタクで言動いちいち気持ち悪いんだけど(失礼w)、
目指すものも、それに向けてやってることも、
しっかりとして地にも足ついてる。
だから、彼は修士は東京大学に進学し、博士課程でイギリスへ渡った。
その苦労をほんの少しだが垣間見て、私はひどく憧れていた。
別の人で、同年代で海外の大学の助教授として活躍する人もいる。
彼の好きなところを挙げてみるとたくさん出てきた。
天才、努力家、研究者(助教授)、実践家(自分の株式会社あり)、世の中に発信している、物腰柔らかい、眼光鋭い、センスが独特、アーティスト(常に新しいものを求めている)、マイペース、トークがおもろい、主張には確固たる根拠がある、他人の目を気にしない、しないこと嫌いなことが明確、変な人に絡まれないための工夫(ファッション)
また別の人で、中学生の頃から大ファンのアーティスト。
今は50歳だと思えないほどパワフルで、愛嬌があり、魂を全力で燃やして生きている感じがものすごく好き。愛が溢れていて、曲を聴くだけで元気に鳴るし、ライブに行くと最高の快感を味わわせてくれる。地元の観光大使となったり、共同プロジェクトに取り組んだりと常に新しい取り組みをしている。ただそうなるまでには、「自分の主義や主張を認めてもらうには、寝食削る覚悟が必要」だと、突き進んできた人。
私が他人に憧れを感じるのは、他人事として素敵だと思うだけではなく、自分がこんな人間でありたいという人たち。かっこいい大人である。
こんなことを思い巡らしていたら、カントのいう「理性の私的利用」を思い出した。「理性の私的利用」とは、理性を個人の利益のために使うことではない。特定の集団の中で自分にあてられた役割や地位にしたがった言動をすること、ひいては没個性的であること。
これに対して、ひとりの市民あるいは学者(知識を蓄えた者)として理性を使い、特定の集団のためではなく、自由闊達に意見していくことが「理性の公的利用」という。上記の面々は、いずれも「理性の公的利用」をしている(と私には思える)点でも大変好ましい。
上記を踏まえ、
自分がどんな人間になりたいのかということをあらためて考えてみると
「理性の公的利用が行える、エネルギッシュな研究者かつ実践家」
と定義できる。
なるほど。