手を挙げてリーダーになりたいマインドで仕事をやり続けて長年空回ったおかげで高い回転数の仕事ができている気がする話
最初にIT業界に来たときに、創立数年の4次請けの会社。役職がほしくて手を挙げた。平均年齢も20代のめちゃくちゃ若い会社だったので、若いままガンガン役職がもらえる。でも僕は役職試験に落ちた。そして仕事をやめた。この数行が僕の人生そのものである。誰かに認められることもなく、試験で受かることもなく、勝負所で負けるパッとしない感じ。
転職してインフラエンジニアになってからも、リーダーになりたかった。採用面接では二年後にリーダーを目指してくださいと向こうから言ってきたのだからその気になるというもの。5年いたがそんな機会は訪れなかった。一人常駐のSESで、メンバー経験しか積むことはなかった。社長が事業を起こすというので応募したがダメだった話は過去に何度か書いた。
とにかく手を挙げてアピールする機会があれば全力で騒いだが、誰にも伝わらない人生だった。34歳でこの会社を辞めたが、リーダーやサブリーダーのような経験は一切できなかった。
現職にジョブチェンジしてからも、やっぱり末端のメンバーだった。メンバーとしてもいい働き方はできてなかった。
転機が訪れたのは現在の事業部に配属になってからである。
オンプレからクラウドにリフトする超大型案件があって人が足りない。しかも、某有名外資企業にそれを頼んだら頓挫したので弊社が引き取るといういわくつきの案件で急に人が足りない。
AWS経験は特になかったが、設計や方針をあちこちで文句(意見)を言っていたら、そんなに興味があるならと任せてもらえることになった。どこがやりたいかというので、未経験のセキュリティやりたいと言ったらそれもやっていいという。設計からやりたいんだと言ったら、上流からアサインしてくれた。そしていきなりPMである。今の今までメンバーの末席に座っていた人間を大抜擢である。PM経験どころかリーダー経験もない。それどころか後輩を指導した経験もない純潔のメンバーである。部署移動したせいで、俺がBマイナスの使えない男だという評価を知らないらしい。年齢的に任せられるのだろうと思われたのか何なのか、人手不足のドサクサでチャンスを手にすることに成功した。人生って面白いね。
冷静に振り返っても、よくぞこんな危険な登用をしたなと思ったが、新卒二年目をコア業務のリーダーに抜擢しなければならないほどの超緊急事態である。とにかく人手がないし誰もクラウドがわからない。
クラウド基盤によるゲームチェンジはあちこちで見かけるが、僕もたまたまクラウドができるだけでその恩恵を受けたという解釈もできる。(たまたまというか、技術コミュニティを作ってちょっと死ぬ気で勉強を一年くらいした程度のレベル)
その後は言いたいことを言う役割になった。PMなので意思決定が業務である。全体方針を決める、設計を決める、進め方を決める、仕事の振り分けを決める、納期を決める、課題の対応方法を決める、裁量で決められることが一気に増えた。何をどこまでやるかは自分のさじ加減である。
超巨大案件はあちこちで問題が起きた。セキュリティは抜群の安定だったので、僕は仕事の幅をどんどん広げた。多くの人が途中で離脱していったが、僕はつらいと思うことはなかった。ほとんどずっと楽しかった。必要とされることは楽しい。
この過程でやりたいことを主張して生きてきた20年弱が結構役に立った。やりたいことを主張しなくなってたら、仕事を振られるのを待つ人間になってたかもしれない。それだと狭い範囲の仕事をしていたと思う。
業務に限らず部署全体のことや全社的なことも、こうした方がいいと思うことはガンガン働きかけていった。ツイ廃で鍛えた発信力は社内にも応用できるので、TeamsをSNSだと思って活動した結果、社内の影響力も強まっていった。
人事評価も最高評価をもらえた。ああもう満足だ。――という日々は長く続かなかった。
仕事は増えるしアウトプットも増えると、どう考えても待遇が見合わない。PMで数字の管理もしているが、めちゃくちゃ業績貢献しているのが見えているのにこの低い給料はなんだ。最高評価なのでボーナスはめちゃくちゃもらってる。しかし基本給は急上昇しない。
だったら仕事をセーブしようと。社外活動をたくさんしたかったし、仕事を減らす宣言をした。それも続かなかった。
なぜなら、結局仕事は減らないのだ。仕事ができる人を遊ばせておくはずがない。(当たり前)
仕事を辞めようか考えたのはこの時期だ。いやだって600万そこそこの給料でここまで働ける人がいるならその人にやらせればいいじゃんと本気で思ってた。俺はもうやだよ。責任重い仕事は増えるし、速攻で片付けても全然暇にならないし。なんぼなんでも限界あるよと。
佐々木を辞めさせてはならないと、最終的に取締役から引き留めをもらった。いわく、セキュリティ領域の仕事をちょうど広げようとしていて、それをやる人間が必要だ。最初はタレントとなる人材を2000万くらい払って立ち上げようかとも検討している。そんな話だった。
「そのタレントの仕事をやるので僕に2000万ください」と言った。本当に言った。
そして、待遇改善を約束してくれた。
後日、偉い人から「佐々木さんは部長になりたいですか」と聞かれた。
なりたいですと即答した。なりたいと考えたことはない。というか、現場の仕事が大好きだしそれしかできるイメージはない。
僕はいつでもチャンスに挑戦できるように、いつ何を聞かれても前向きな返事を即答しようと決めていた。僕より先に返事をした人がいたら負けるから、常に心を作っておくのである。
この後実家の父に電話したら「平社員がいきなり部長になれるわけないじゃないか」と津軽弁で言われた。それは100%そうだろう。だが、松本安奈さんだって可能性が0というだけで諦めてはいけないということを本で書いていた。僕だって可能性が0だからと諦めなくていいのである。
前例のない待遇改善は履行された。平社員の中でもちょっと上の扱いになった。引き換えに、事業計画書作成や新しいソリューションを用意して会社の事業創造に挑戦することになった。なお、既存業務はそのままやる。(仕事も増えたので結局改善されてないようにも思うが、それは気にしない)
忙しくなったのはしょうがないので、社外活動を抑制することにした。幸い、僕のTwitterアカウントはもう旬を過ぎている。記事になったり騒がれたりすることはもう二度となさそうなくらい穏やかである。そうなるとそこでアウトプットしてもコスパが悪い。実際、本の売上も新作ほど落ちている。このまま続けてもそれを挽回できないなら出版社に申し訳ない。いやうそかっこつけた。出版社はどうでもいい。執筆のモチベがいったん落ち着いたから書くのをやめた。売れすぎて盗作出ても萎えるけど、単純に売れなくなっても本当に気持ちは下がる。絶対に最高傑作なんだけどな。売れないならクローズドで僕だけで楽しむよ。自分用なら書くのも楽だし。
本業はだいぶ忙しくなった。会社名を公表できれば具体的に書けるのだけど、今のところ身バレすることは書きたくないから肝心の面白いところが書けない。あ、書けるネタはあった。
キャリア本で共著した転職エージェントの高田さんが独立するというので協業することにした。会社設立やドメイン作成などを微妙に手伝って、登記直後に弊社と取引開始した。なんせ、セキュリティ業界を極めた転職エージェントである。どういう事業にどういう人材を採用すべきか知り尽くしている。そして、その結果その事業がどうなっていったのか、各社の行く末を見てきた男でもある。
高田さんには戦略のアドバイスをもらった。ソリューションの作り方や価格設計や諸々の支援をもらって決めた。マジで僕と社内リソースだけでは決められなかったと思う。
人事採用でも獅子奮迅の活躍をしていただいた。たとえば、技術職の僕は営業の採用なんかわからない。一緒にカジュアル面談して、再現性のあるノウハウを持っているか販売ロジックが妥当なものかなど細かく見てくれる。
スカウトもすごい。まず経歴から読む能力が異次元だ。
「この会社に受かったということは相当優秀。ロジカルさがある人でマネジメントもできる」「この企業は二年前に経営者が変わって離職者が急増。辞めるべき時に辞めていないから持久力がある」「この人は自分勝手。この書き方の人はスカウトしない方がいい」「この人は大手だと絶対にスカウトしない。この経歴は狙い目。こういうポジションは大手だとこの条件に引っかかるからここが許容できるなら打つべき」「この専門学校出身は実はかなり優秀。大卒しかとらない会社は見逃す」「ここいい会社です。何人もサポートしましたが優秀な人が揃ってます」
はっきり言って転職サイトに書かれている情報の粒度はバラバラである。そこからしっかりと読み取ってグリップできるスカウトを打つ。神業に近い領域である。厳選して打つので一日一通以下のスカウトで結果を出す。しかも、もらって嬉しいことを書くので面接のモチベも高い。
確実に体制強化ができてきている。
協業せずに独自でやっていたらこんな結果は出せなかった。面接のやり方も丁寧に教えてもらった。高田さんには「普通は一般職が面接しないですよ」と言われた。それはわかる。人の給料とか人生に関わる判断は、普通はそれなりの立場の人がやるべきだとやってみて思う。わかるけど、僕が新しいビジネスを作るときにやらないわけにはいかない。
ソリューションを売るのはいろんな仕掛けがいる。グループ内にも勉強会と称してソリューションを宣伝する草の根活動や、PR TIMEなどにリリースする活動。営業に持たせる資料作成など。
個人的な苦労が大きいのはウェブサイトである。自社サービスが弱いSIなので、ソリューションを紹介するコーポレートサイトの構造になっていない。何かサービスを作るときは現場のエンジニアが別ドメインのページにHTMLを書くとか、そういうレベルである。
ここは大きくテコ入れが必要である。大きなソリューションを導入するには、みんな入れる前にネットで調べると思う。しっかりした紹介サイトは必要不可欠だ。
僕は最初から内製を諦めた。Twitterアカウントがいっぱいあって有名な某企業と打ち合わせをして、現在進行形で作戦を練っている。広告やマーケティング含めてプロフェッショナルの意見を入れて作戦を立てた方がいい。これも今月には取締役に提案である。
とにかく、誰かに言われる前にやりたいことややるべきことは提案するのが今の仕事である。ソリューションを作って売るために必要なことを全部やるという意味で、PdM寄りのPjMになっている気がする。
少し前までは意思決定を繰り返すのがメインミッションで、今は提案と実行を繰り返すのがミッションになっている。
事業を考えて提案を作る、計画を作る、実行に必要なあらゆるものを準備する。ゼロから何かを考えて自分がやりたい方向に人を巻き込むのは、その辺のサラリーマンよりは得意である。過去にはTwitterでトレンド入りするイベントを作った経験がある。(そんなんで大丈夫かということは考えない)
社外の協業も得意である。はっきり言って、ネットではすごい人とのつながりが数多くある。だからできるような気がする。(そんなんで大丈夫かということは考えない)
社会人経験が長くなると、待ちの姿勢になる人間は多い。
超ベテランほど「仕事は上司(or客)から降りてくるもの」「提案は下が考えてくれるもの」みたいな状態に陥りやすい。特にSIは御用聞きの仕事である。パターンにはまった仕事は強いが、新しく物事を考える能力はベテランほど弱い。使う筋肉が違うためである。顕在化された課題をどうにかするのがSIの仕事だ。
技術コミュニティのマネジメントも、PMが目立って役立つことはなかった。行動力がある人だけが物事を成す。新しいことをやるには卓越した行動力が必須だ。未知の一歩を恐れずに踏み出す者が前に行く。
事業を始めるにあたって、協業先と弊社で社長同士の会食を設定した。それが会社の方針を動かすきっかけになった。この弊社の社長というのは、去年僕を退職引き留めした取締役である。待遇に不満を訴えたことで社長とのリレーションができて、その繋がりを最大限活用することで会社を動かすような提案をいくつも通した。(このことから、正しく自分をアピールすることはサラリーマンにとって有用である。この観点でのノウハウも別の機会に残しておきたい)
そもそも辞める寸前のメンタルなので怖いものはない。やけくその体当たりで好き勝手なことをたくさんやった。協業だって不成立だったら会社を辞めてやろうと思っていた。破談になったら俺と俺のチームメンバーで書いた事業計画書をそのまま銀行に持っていって自力でやってやると思っていたし、実際にそう言った。取締役会が承認しなくても、俺は企画から実行までやれるし自力で仲間を集めることもできる。
まだこの仕事は大きな結果に結びついていないが、実を結んだらきちんと細かく整理して文字に残すつもりでいる。今はこの粒度でしか書けない。
僕は、ワクワクするような面白い仕事を作りたい。
学生と面談するときに、サーバエンジニアの仕事は地味だなと思う。キラキラした若者が夢を見て憧れるような仕事は、一部の特殊な例を除いてサーバエンジニアではない。いや、サーバやインフラは本当に楽しいんだけど、その面白さを伝える活動は継続したいんだけど、もっとわかりやすい会社の魅力を作ってあげたい。本社や人事も新しい事業に期待している。いろんなところで夢を語りまくってきたので、僕が諦めたら引っ込みがつかない。
新しいことへの挑戦は失敗はつきものというのはよく言われる。
しかし、僕はそう思わない。成功者は確信をもって進んでるはずだ。
そうでなければ周りを巻き込んで良い仕事ができるものか。
僕の挑戦は全勝狙いだし、同じ夢を見てくれた人の協力を無駄にしないためにも必ず成功する。
そして成功しまくったら本に書く。不確定要素を塞ぐために自分をアップデートするには方法論がある。その時にはみなさん拡散をお願いします。
そんなわけで一日に7枠も会議をしながらもプレーヤーとしての仕事も抱えながら採用活動やらなにやらの激務の日々なのである。
これはタイトルにあるように、手を上げて提案しても空回る半生を生きたゆえに、チャンスを与えられた途端にやりたいこと全部ぶつけて自縄自縛しているような状態になったということだ。(そんなタイトルではない)
だが、まだ足りない。やりたいことはもっとたくさんある。これ以上手を挙げると首が締まって窒息するからかろうじて我慢しているが、理想は全部のチャンスをつかみたい。
提案したことが通るって、なんて素敵なことなんだろう。冒頭に書いた通り、そんなことがない人生だった。なので取りこぼしてたら帳尻が合わない。長年の鬱屈が昇華できる日が来るまで僕は爆速で走っていると思う。