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門屋浩文さんインタビュー

門屋さんの経歴

昭和49年生まれ 愛媛県出身 redmineエバンジェリストの会主宰
21歳:大学時代に理科大井戸端会議というWEBチャットにはまる
  :学生ベンチャーのメンバーとして働いた経験あり(今は上場会社)
23歳:民需系のSIシステム導入(販売管理・財務管理)で社会人デビュー
:現在、創業90周年を越す老舗IT企業です。転職歴なし
28歳:起業家セミナー仲間と勉強会立ち上げ(B-clock)
31歳:年齢に似合わない大病を経験・マネジメントの重要性を痛感
32歳:新設されたPMOへ異動  /  34歳:PMP取得
39歳:Redmineを知る(最初はEPM−X)。大きな可能性と魅力を感じた
43歳:redmineエバンジェリストの会を立ち上げ 毎月勉強会実施
47歳:RedmineAwardにて優秀賞
現在:redmine.tokyo、redmine大阪で講演多数
現在:予防型PMOとしてトラブルをゼロにすべく悪戦苦闘中

学生時代は応用物理専攻でしたが、大学で物理は挫折しました。ちょうどインターネット黎明期に大学生で、MosaicやNetscapeで遊んでました。

門屋浩文さんインタビュー

――Windows95くらいのときですかね。ちょうどインターネットが普及してきたころですね。まだまだITが怪しい得体の知れないものという時代でしたね。MosaicやNetscapeってブラウザですよね。そこからITに興味を持ったのでしょうか。

1995年だから本当にインターネットが始まったころで、プログラミングもJavaアプレットあたりが始まったけど、HTMLでBlinkとかタグ使ってWebサイトで遊んでました。掲示板とかアクセスカウンタをPerlで作ったくらい。いわゆるキリバンゲッターです。
行ってた大学にUnixのXwindowがあって、インターネットを使える環境がありました。

――当時は大学で情報教育があって学ぶことができたのですか?

あったけどまだまだ古くてQuickBasicとCでした。むしろ、情報システム室(インターネット使える場所)で遊んでるとパソコンに詳しい友達ができて近くに座ってる人たちに教わる感じでしたね。
アクセスカウンターとか作りましたが、たまたま友人たちがもってたソースがPerlだったわけです。当時は、情報処理の試験も アセンブラ、C、Fotranの時代ですから。
インターネットは遊びのツールでしたし、それからITに興味持ちました。

――そのままIT企業に就職したんですね。

結果的にそうですね。大学にあった求人票で片っ端に受けて、受かったところが、現職の会社です。ちょい上の先輩とかはバブル勢だから、なんでそんなに学歴いいのに(東京理科大)ウチくるのみたいに言われた。オタクが行くのがITみたいな時代だったから。でも、俺はこれならできるだろうと思って入ったんよ。

――今もオタクの世界ではありますが、昔はITって何?って言われる時代でしたね。入社後はどんな仕事をしていたのでしょうか。

当時は、ダウンサイジングとかオープン化って波があっていわゆるメーカー主導のシステムからwindowsとかOracleとかマルチベンダーに切り替わりつつあった時期でした。
その中で、自社開発した業務パッケージソフトの販売管理財務管理の導入およびカスタマイズをやってました。
なので、販売管理と財務管理の業務知識が身につきました。

――それ以前ってマルチベンダーではなかったんですね。

メーカーごとに独自仕様なんですよ。OSからそれぞれ違いますし。
たとえば、IBMのAS400をイメージしてもらえれば。NECもA-VXやホスト、日立も富士通もそんな感じ。
ちょうどマルチベンダー製品が普及してきたので、それまでのオフコンから切り替わった感じですね。で、若手はマルチベンダーをやるわけですが、何も教えてくれないし押し付けられるから大変でした。俺はわからん、お前らがやれみたいな。

――親切に仕事を教えてもらえなかったんですね。それはつらいです。

一人で全部やるみたいな風潮が長く続いたので、独り立ちできるようになるのも早いです。生き残る人はだいたい、1年に1つユーザを立ち上げて(システムを納品して本稼働させること)また次のユーザに行きつつ、保守および追加開発をやる。
人が辞めれば引き継ぎなく押し付けられるような感じが続きました。

――仕事はやっぱりハードだったんでしょうか。

ハードでしたね。1999年が3年目で社内的には一人前だったんですが、2000年問題(下2桁で西暦表示してるシステムが誤作動すると言われた問題)のときは悲惨だったね。
古いシステムがめちゃくちゃだから、新システムにするのだけど何も教えてもらえなくて。でも不安でもやるしかなかったわけです。
そういうのを胃がんになるまでだから、9年位繰り返してたかなあ。胃がんがわかった日にトラブル対応して22時過ぎたときは泣けたね。

――ハードなうえにストレスもすごそうです。辞めずに続けてるのがすごいです。

胃がんまでの間でやめなかった理由はいくつかありますが、まず休み方をしらなかった。それと、外部コミュニティに出入りし始めたからです。
辞めても同じだなって思いもありました。

――そんな激務でどうして外部コミュニティ活動なんでしょうか。

ゆくゆくは独立しようと思ってたのよ。で、そこの仲間たちと立ち上げたのが、B-clockって起業家をつくるというコミュニティだったわけです。
B-clockは毎週土曜日に集まっていろいろやってたなあ。でも、病気してからは、行くこと減らしたんだけどね。B-clock内部で揉めたのもあったけど維持するコミュニティつくるのって難しいですよ。ご存知だと思いますが。

病気したから、手に入れた感覚もありますね。病気にならなければ、「俺ができるんだからお前らもやれ」みたいなことを言う老害になってたかもしれません。人の気持ちがわかるようになったし、無理をすることもさせることも減ったように思います。

――「redmineエバンジェリストの会」を作った経緯を知りたいです。

Redmineを使いだしたのはここ8年くらいかな。redmineエバンジェリストの会は2017年からですね。(インフラ勉強会と一緒)
要はPMOの仕事のためにツールを使ったり勉強したりと、病気後の生活に慣れてきてから色々やってたんです。PMPの資格も取ってるし。

redmineエバンジェリストの会は、Redmine・プロジェクトマネジメント・チームビルディングについて、悩んでる人に相談してもらえる人たちでいられるように活動・切磋琢磨しています。先日、第一回Redmine Awardってのがあって、優秀賞でしたので、通過点ではありますが、活動がみんなに認知されてきている実感はあります。

――僕はPMPもIPAの試験も、PM系の勉強したことないんです。

PMの意識がある人は勉強せんでもいいです。ただ、自分がやってたことを、「あ、そういう学術的な説明あるんや」という理解をして説明できるようになりたいのでやってるだけで。
勉強って気が向いたらやるものじゃないですか。取捨選択というか。佐々木さんの場合はガッキーテック優先で、俺がインフラの勉強やらないのと同じで。やりたいことをやるのが大事だと思うんです。俺もRedmineの構築も理解する気あんまりない。できる人がやればいいんです。

――予防型PMOの仕事について教えてください。

プロジェクトマネジメントの専門職という立ち位置で課長級の立ち位置です。
提案資料のレビューや、案件の状況確認、プロジェクトマネジメント教育やルールの定着が仕事です。要は様々な観点からトラブルを予防するようなことがミッションです。
一般的にPMOってプロジェクトが始まってからスタートじゃないですか。一般的にいうPMOに加えて、提案内容をプロジェクトに入る前にレビューするのを当たり前にするような仕事です。そこでダメな案件は提案精度を上げてからにする。
年間に提案の会議120回くらいやって資料みるだけのを足すと150件くらいあって、実際受注になってモニタリングしている案件は90件くらいある感じです。

――確かに健全な見積もりと計画で健全な案件が作られるので、事前にチェックするのは大事ですね。 現実には予算や納期の厳しい綱渡りを力技で切り抜ける会社も多いわけですが。

力技で間違った成功体験をして「次回もできるやろ」ってなったら不幸ですよね。永遠に楽にならない。そういうのも減らしたいし、そもそも真面目にやってる人の負荷を減らしたいわけです。
そのためには、記録と仕組みでカバーするのが大事だし、そういうのを考えて、redmineエバンジェリストの会もスタートしました。

リソースのみの問題じゃなく、依頼の仕方とか、内容とか場当たりをやめさせるとか周りからカバーするところから文化を定着させないといけないですし。
情報が整理されてないと課題管理もうまく回らない。そういう状態で戦場になったら一部マニアしか生き残れないわけです。

――ありがとうございました。今後のやりたいことがあれば教えてください。独立起業を考えてたとのことですが、今はどうなんでしょうか。

40歳の時に50歳になったら「どこにいても成果を出せる人になりたい」と思ってたのはリモートワークで実現できそうなので、これは引き続き通り進めるとして、55歳を超えたくらいでコンサルや教育でやれるかなあと考えてます。難しく書かれてる学術的なことを本人にわかりやすく伝えるってのが得意だし、日々のレビューで目は肥えてますしアドバイスもできる。それなりに自分の特殊性を発揮できると思ってます。redmineエバンジェリストの会を組織化するという野望もちょっとあります。
体力的に無理しないのが優先で、うまくいけばいいかなくらいのレベルですが、コツコツと挑戦を続けていきたいです。

――本日はありがとうございました。ブログとredmineエバンジェリストの会のリンクを共有しますね。

マドびっ!(毎日更新しています)

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