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亡き祖母、叔母、母。三人を勝手に推理する。

今回のnoteは、めっさ長いです。
気持ちに余裕のある方は、どうぞ。
ない方はオススメしません😅

介護探偵と私による聞き込み情報や体験などを元にした、イマジネーションたっぷりの仮の話になります。あくまでも虚構。あるお話として、読んでいただけたらと思っています😅


オヤジが亡くなり…連絡をしないといけない人があったおかげで、
2024年は多くの先輩であり高齢者という年齢の方々と話をし、話を聞いてもらい、話を聞かせていただきました。

良いこと、悪いこと。それに振り分けきれない、グレーの濃淡にあることやら。
本当にいろいろお話を聞かせていただき、勉強にもなったし、「やっぱりココはこう考えたいなぁ」と自分なりの解釈に至ったりして。
50年ほどのらりくらりしていた私も、急にだいぶと大人になった気がします。


私は…
母は絶対的に母親(いいお母さん)だと思ってきていたんです。(たぶんほかのきょうだいも)
それが…ま、当人が認知症を患い、考えることを諦めた感じになって初めて…
周りがいろいろ昔の思い出を話してくれたりして…あらためて、母は母親でなく、人「M子」だったのだと気付かされました。
おかげで、私は、母からの刷り込みとかは置いといて、私なりの見解やイメージを持っていいのだ!と理解した感じが持てるようになり。
(きょうだいの中で)1人だけ、ぽつんと自由な考えを持てるようになった気がしています。


オヤジが他界することで、わかったことがありました。

まず、戸籍関係の書類を取る必要があって、たまたま母方をとりましたら、、、
祖母ヒデさんは後妻さんだったらしいことがわかりました。これについて、気づいていたのは母の姉である叔母だけだったようです。

私のオヤジ方のきょうだい親族では、母M子と叔母の仲の悪さは、もともとかなり有名なことになってまして、オフレコ的に扱われていました。

母M子はなかなかしっかり目の気のキツイ人です。
が、叔母はさらにキツイ人で、遺産を独り占めにしたみたいなイメージを私は持たされていました。(父の死後、母の情報操作によるものと発覚して、驚き😱ましたが😅)


整理しますと☝️
⚫︎祖母ヒデさんは血縁関係はなく育ての母
⚫︎母M子と叔母は仲が悪かった
⚫︎私のオヤジの親族の中でも有名なくらい、姉妹の仲違いがあった

です。

母M子を語るために、少し私の子供時代を書いてみます。

母M子は、小さな私によくいってました。
「Sちゃんとお母さんは、ずっと仲良し。何があっても一番の仲良し
この言葉を異様に聞かされ続けてきました。

図工や家庭科の宿題は、『仲良し』を理由に異常に介入。私のやりたいこととは方向性が変わっていくこともあり、その点でだんだん私は母の過保護から抜け出したくなっていきました。

その代わり、勉強に関しては、当時でいう「回答集」という教科書に答えが載ってる本を座布団に隠しながら私の宿題を見ていて…
ズルい私は、鬼のいぬ間に回答を写したりして😜バレてこっぴどく怒られた記憶があります🤣
私は、昭和の50年代に月曜日〜日曜日まで、毎日お稽古ごとを詰め込まれていました。で、ある日脱走しました。(ま、今、思えば脱走できる性分でよかったです😅真面目に母の気持ちに応えていたら、メンタル死んでたと思います)あとで、ハンガーで叩かれましたけど。

この事は、すごく私思い?の母M子の気持ちや愛が溢れた行為と、私は思っていたんですけれど…
実は、母M子が、いいお母さんでいたい事から追い詰められて、必死の子育てをやったのではないか?と、今は理解しています。
教職を持っていた母は、勉強は完璧に教えなければ…と思っていたんだと思います。
「わからない」があってはならない、そんな思いだったのではないでしょうか。だから、「回答集」片手に宿題を教えていたのではないか?

「仲良し」というフレーズは…
その頃、母M子と他の子供たち(私のきょうだい)とは、①物理的に②精神的に、明らかに距離がありまして。
執着する先が私だけだったんだと思います。
「この子だけは、私の味方にしなければ」強い強い孤独があったんじゃないかなぁと。

なので、母M子は、歳がいってから生まれた私に、母にとって都合の良い親戚情報しか耳にいれませんでした。
実家から離れた遠方に住んでいたため、親族の話をしない、ちょっと脚色するのは簡易だったと思います。


そんな母M子でした。

叔母と母M子のエピソードはこちらを参考に
👇


次に、祖母ヒデさんを少し🤏

私が生まれた時、祖父母はヒデさんだけで、他のお三方はもう他界されていました。
祖母ヒデさんは、たまにお年玉をもらいに帰ってきたことがあったかなーくらいで。
なんとなく怖い顔のおばあさんでした。

晩年、寝台車に乗り、母M子と何度か見舞いに行きましたが、私にきょうだいの名前を呼んだりしてました。が、お小遣いをくれたりするくらいの元気はありました。

その頃、何故か、オヤジと母M子は、オヤジの実家近くに移住を決めます。
オヤジはわざわざ関西の企業に転職しました。子供の1人に受験が絡んでる時期にです。
(今思えば…時期☝️おかしいぞ!きょうだいが可哀想すぎるやろ!って、私も意見しますが…)
たぶん、母M子のなんらかの気持ちをおさめるためだっかと今は推察します。


母は、オヤジに家を新築してもらい、祖母を一日外出させて、家に招きました。
が、そこで祖母が転倒して怪我をしてしまいました。ひな祭りの段を登ろうとしたんです。
それは…叔母との間でちょっとした騒ぎになったんじゃないかと思います。


母M子は、それを機に、祖母ヒデさんは認知症だと思ってしまったようです。

でも、叔母は、常からお世話に行っていたので、祖母ヒデさんには「認知症じゃなかったよ」
と最近、教えてくれました。
毎日見ている人、こまめに気遣ってくれる人は、多少、認知力が下がろうとわかっていたりするもんですからねー。
たぶん、叔母の家族の見分けはついたでしょう。


が、私の家族は遠方で、滅多に見舞いにもいきませんでしたし、行っても母M子と私だけでしたから。祖母ヒデさんにしたら、記憶に残る年齢だった私ときょうだいが記憶ですり替わっても不思議ではないんですよね。
新宅に連れてこられた時も、いきなりわからない所へ連れてこられて、ただトイレを探していただけかもしれません。が、連れ回した母M子に、高齢者に対する知識がゼロだったので、目を離した隙に、お雛様の段を登るような事故が起きたんだと思います。


そこから、祖母ヒデさんは悪くなっていき、やがて亡くなるんですけれど…



祖母ヒデさんは、母M子と叔母の育ての親でした。

⚫︎姉の叔母には、家の手伝いばかりをさせていた
⚫︎次女の母M子には、習い事をしっかりさせていた

一見、次女のM子を可愛がってる風にみえるかもですが…


祖母ヒデさんは、祖父が亡くなった際、
相続に関し、一回全てを自身で相続されたと言います。
その時に、母M子には、
「今後一切、この家の相続には参加しない。放棄をする。」という念書を書かして、目から飛び出るほどのお金を贈与したそうです。
母M子はそれにサインをしてお金を受け取ったそうです。(そのお金はどこへいったのでしょうねぇ?😜)

ちなみに、その念書は叔母が今も大切に持っています。


祖母ヒデさんは何故そんなことをしたのでしょうか。。。
戦後、ヒデさんが嫁いできた時には、、、いくつかの不動産があったんではないかと思われます。駐車場やアパートにして、人に貸すことで、食べてきたんじゃないかと。。。

当時のことです。
後妻に入ったヒデさんは、後継ぎの男子を期待されていたのではないでしょうか。
でも、授からなかった…

で、長子である叔母に、英才教育をしたのではないか?と思うのです。

家事のこと…いい養子にきてもらえるように
不動産のこと…この後もこの家を絶やすことのないように

徹底的に仕込みはったんじゃないかと思うのです。この家を絶やしてはいけないプレッシャーからと、優秀だった叔母なら期待に応えてくれるだろう。その一心で。

それには、気の強い、負けん気溢れる妹は、騒いでかまってとちょっと邪魔。いずれお嫁にいくのだから、いろいろ身の助けになりそうなことを学ばしてやるのはどうか?
と、これまた精一杯の気持ちで、いろいろお稽古に送り出してやったんではないかと思うのです。


それで…
祖母ヒデさんは、
大学進学時に母M子の四大進学切望をひどく反対します。(これは母M子にすごく深い傷だったようで、私は何度も聞かされました) 


祖母ヒデさんにしたら、
叔母にも母M子にも違う形で愛を傾けてきましたが、同じだけの思いだったのではないかと思うのです。
だから、長子の叔母を越える学歴を欲しがる母M子のヤンチャぶりを強く叱責したんではないかと思います。

(私の勝手なイメージでは、四大に行かせるなら、叔母の方がむいていたんではないかと…祖母は思ったんじゃないかと。叔母の時代に女子の四大があったのかどうかわかりませんが)


何でも欲しい時に欲しいものが手に入るように、欲しくなる前に与えてもらってきた母M子は、行かせてもらえない理由がわかりません。
イケズ(いやがらせ)をされた!と思い込みます。
祖母ヒデさんは、母M子より叔母の方が好きなんだ!という思い込みを持ったのでは?


きっと、そんななんでもないことから親子なんて距離ができてしまうじゃないですか?
当人は、バカ真剣に傷ついてるしねぇ😭


それで、疎遠になっていたら、祖父が他界。
相続のときに、母M子は念書をせまられます。
きっと、あの母です。
祖母ヒデさんに、自分は嫌われている!とおもいこんだに違いありません。


可愛さあまって憎さ100倍ではないですが、母M子と祖母、また叔母の間にはいろいろな感情が生まれてしまったんじゃないかなぁと思います。


やがて、祖母ヒデさんは、自分名義にした遺産全てを、尽力してきてくれた叔母に渡します。
(叔母は、曽祖父母と祖父母の介護と看取りを全てしてくれました)
念書と大金を盾に、母M子から切り離しておいたのです。

これは、祖母ヒデさんが仲違いしないようにと、考え抜いた作戦でしょう。

が、別々のもので別々の機会に与えられたものを、フェアと感じて受け取れる人間はどれほどいるでしょうか。


頭が賢く回る人ほど、時価だの愛だのと、フェアじゃない理由を探すかもしれません。
とくに、愛されたい人は。


母M子は、
祖母ヒデさんを見て、
「あの人みたいにボケたくない」
と、ずっと思っていたようで、、、

ボケ封じの手拭いやお守りを買って隠していました😅が、買ったことやしまった場所を忘れていたようで、タンスの奥からクシャクシャになって出てきました🤣それに気づいて、母の枕の下に入れてあげましたけど、もうその時はマダラ認知症を発症していました。

曽祖母は、ある日眠るように逝った人だったそうで、「(母の)おばあちゃんみたいにあの世に行きたいおもて、毎晩お願いしてるねん」と、母M子はずっと言ってました。


ほんとうにそうだったかもですし、たまたま母M子が見た最後の日がそうだっただけかも知りません。本当のところは、当人にしかわからないのです。


でも、母M子は、願えば叶うんじゃないかと、毎晩手をあわせているみたいなんですけど…
その割に、手拭いやお守りの扱いの粗野なこと。神棚も年に一回しか掃除をしない人でした…かなり他力本願な割に、自身のつとめに対しては、クオリティが激甘🤣
そもそも怯える認知症の遺伝なんかないのに。。。自分で自分の心を誤魔化すために、認知症になりにいったんじゃないか?とすら感じました。


祖母ヒデさんは、母M子のそう言った弱さがわかっていたから…
途中から出る杭をご自身の手で打ってこられたんじゃないかと。母M子に嫌われる覚悟で…
コレって愛ですよね〜


で、叔母は、祖母ヒデさんの好意や愛をなんとなく感じてらっしゃるようで、今、
「厳しかったぁ、けどようしてくれはった」と感謝しています。


人っちゅうもんは、皆もしかしたら平等で。
見えるもん見えないもん全部をあわせて、もてるものには限りがあって。同じだけしか持てないんじゃないかと。

両腕から垂れ落ちる分だけ、誰かがその腕にそそいでくださってたり。
両腕に抱え込み過ぎない人には、スッとその人に託すべきものが降りてくる。
あれもコレもと追いかけて執着する人は、気づいたら価値が風化していたり。
人から奪えば、また何かから奪われて。

みたいな、そんな感じなんじゃないかと思ったりします。

見えるものも見えないものも、
自分で価値をたしかめて、今の自分にその対するモノコトに応える力があるかどうか。冷静に判断していくことが大事で。

失敗するとか成功するではなく。
すべて、自分の経験として咀嚼する。
自分で自分の選択を考え抜くルーティンをサボらず続ける人は…
認知力はさがっても、認知症という病気にはならないのかもしれません。

認知力はさがる。
皆下がる。

で、認知力が下がってきて、混乱する人は…
ちょっと『人間力』が弱いのかも。。。?
失敗を恐れる。人が離れていくことを恐れる。どうしても不安がついてきてしまう。
だから、そんな人に、神様は…『認知症』というギフト🎁をくれるのかもしれないなー

なんて。


5200文字になっちゃったよ💧

でも、ここにこう書き出して、
母M子の愛も、こちらの希望とは違ってて、多少歪んでたけど…理解してあげれそうかな。

note、場所を提供してくれて、ありがとう😊

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