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ぼっち在宅介護 父の植えたありすぎる果樹たちのワケ

山の畑で、栗の花も咲いてましたー。

つぶやきに、ちょいちょい載せております果樹たちですが、父が庭やら山やら植えたものです。小さい時から植っていたんだろうけど、全く何かがなっていて「わーい」と思ったことがありませんでした。


10年くらい前から、草刈りやら剪定のヘルプに来ていて、「あれ?これ何?実がなってるよ」
と、気づいてあちこち見渡したら、あちこち花が咲いたり、実がついたり、落ちたりに気づきまして、そっからフルーツ酢にズブズブとハマっていきました。

地震が来そうな日に床におろしてる図

常時、10種類以上は用意できています。何故ならお酢だから。フルーツだとすぐ傷むし、冷凍しちゃうとなかなか出番がまわってこないし。
お酢だと、常温保存な上、なんだかんだダラダラと飲めるし、平気で数ヶ月前、半年まえ、一年前のも飲んでいます。(自己責任で)
災害時にも飲めるしね。

最近の訳のわからない夏場の暑い時期に、冷蔵庫を占拠されることもなく、フルーツを味わえるこの手法を見つけてからは、庭の果樹に実をつけるのが楽しみで仕方がないです。

これの悪いところは、他人の家の果樹や実が気になることです。はっきり言ってお近付きになって分けて欲しいとねらっています。


さて、父は何故にこんなに果樹を植えたのでしょうか?

この家を建てた時(私が小学校高学年だったと思われます)、九州から実家近くに引っ越してきまして…庭には、当時、父は高知で採取したカンラン(寒蘭)が趣味でしたので、カンランを愛でる計画していたようなんです。

引っ越しの理由はいろいろあったと思いますが、すでに父方の祖父母は他界していまして。母方の祖母に認知症がわかり、母方の叔母と介護方針が合わない(気に入らない)母のために、二人の同郷である実家近くに家を建ててあげることにしたようなんです。

父は、父の男きょうだいと折り合いが悪く、相当居心地の悪い思いをして新居を構えたと思います。(女きょうだいは皆可愛がってくださってた記憶があります)
しかも、地元に戻ることにしたため、前年度から関西の企業に転職、会社近くに単身赴任を長くしていた記憶が私にはあります。

同時期、私のきょうだいたちも受験がバッチリと重なり、一人は全寮制、一人は先に地元親戚宅に預けられての通学を強いられて…私と母のみが九州の自宅で暮らしておりました。

たまに、母と夜行列車に乗って、飛行機に乗って、祖母の見舞いに行ったりしていました。


そう、母の祖母のために、私以外の人たちは、大変な思いをしたんだなぁと今は思います。
でも、それを望んだのは祖母ではなく、母だったと思われます。

母が、そんなに祖母へ愛着があったかと言うと、どちらかと言えば執着だったような気がします。あと、叔母への嫉妬のようななんかしらの思いは感じましたね。
なぜなら、祖母の話はあまりしなくて、何かというと、亡くなっていない祖父が母に優しかった話しかしませんでしたから。

九州に家を建ててもらい、
地元にも家を建ててもらい、
増築にリフォームもしてもらい、
私にもリフォームをしてもらい(まだローンはらってます…)
母は、これ以上何を求めていたのかなぁ…

注)大金持ちでもないし、実家からの援助がある家でもなく、ま、父が頑張ったことと、父方の祖父と叔母たちが懸命に、父に土地を残してくださったからでございます。

父も母もきょうだいとの折り合いがうまくありませんでした。それは、血のもののように思われます。
(私も同じだもん。あまりうまくいかないです。)

祖父母について、私は母方の祖母しか知りませんが、かなり怖い顔のおばあさんのイメージしか残っていません。



あ、脱線してしまいました。

で、です。

そう、高知のカンラン。
毎朝、朝のテレビ小説のオープンニングにチラッと映るカンランです。

小さい時、庭の木陰になるところや、ガラス張りの納屋(ハウスと呼んでいた)など、あちこちにカンランが配置されていました。
父は、大好きなカンランを見に山々に足を運んでは分けていただき、九州の家もたくさんカンランがあったように思います。

父は、新宅が形に見えるまでは、単身赴任を続けていました。
で、九州の家にあるカンラン全ての大移動とひと夏の水やり担当は母で…
ま、案の定、一気に大量虐殺になってしまったそうです。

で、大喧嘩になったと思われます。
うちの場合、ケンカと言ってもボコボコにし合うとか活気のあるもんじゃなくて、口を聞かないとか、売り言葉に買い言葉的な静かなタンカ切るケンカでして…
子どもらにはわかるかわからないからくらいの陰湿な嫌悪感が漂う感じでしたね。

で、売り言葉に買い言葉で、それからずっと母が庭の水やり担当をやってました。
(母もムキになるたちだし、父も折れないし)


晩年、水やりがきつい…と、母はずっとこぼしていて、雨が降ったり、我々がきたら、ラッキー!と言う感じで、だんだん水やりをしなくなっていきましたね。


そうそう、それで果樹なんですけれど。
せっまいせっまい庭に、カンランのため、足元に木陰を作るため、さまざまな木々と異様に植えられているんです。

カンランが当時高価だったのか、泥棒が入ることがあって、庭から高級なカンランはなくなり…
庭木がギチギチに植っているところへ、母が思いつきでもらってきた花苗を植えたりして、最終系は藪になってたんですけれども。


当初は、こんなに果樹があったかなぁ…と言う感じ、増えたなぁ…と。


たまたま、空き家になっているお隣さんが管理に来られた時にお話を聞いたらば、

「ここ(増築したハウス)の場所には、大きな栗の木があったのよ。おばちゃん(父方祖母)がたくさんなるものだから、どうぞ拾って〜って毎年たくさん拾わせてもらったわ。そこにとんでもない台風が来てね、根本からボキッと折れてしまって。で、おじさん(祖父)が後に小屋を建てられたのよ。」

その小屋は覚えています。
金魚とかを養殖するみたいなコンクリートのプールの小さいのが何個かあって、、、
私は小さい時に、「あ、魚だぁ」とよく見ようとどんどん水面に近づいてきて、落ちました。

溺れない浅いもんでしたけど、ずぶ濡れ+金魚のふんまみれ…高い金魚が入ってたんだろうか?すぐに救出されて、新しいかわいい向日葵のアップリケのついたスカートを買ってもらえた記憶が今もあります。


父は、おばあちゃんの栗の木を思ってるんでしょうかねぇ。
山に植えた栗は、「あれはあかん、美味しくない」とまったく見向きもしません。
欲しい栗の木があったんかなぁ…


私が果樹に気づいて世話しはじめたころから、父が庭のあちこちの木を根元から切ってしまうようになり「やめて」とお願いをしました。

それで死んだ子もいるし、ひこばえでまたあらたに息を吹き返した子もいます。

自分が死ぬ前に、もう少し整理を…と思ったんでしょうかねぇ。
根元で切るだけなんで、またひこばえが上がってきちゃうんですよね、これが余計にややこしいんです。

あと、いらない道具の方が多くて大変でした。
新築、増築の時のいらないサッシとか、やめてしまったカンランの道具や植木鉢とか…(植木鉢は100以上ありましたヨ…)
古井戸は整備しないでほったらかしで、腐った木箱が被せてあって、危ないったらないし…

そこに、母が時計草とかパッションフルーツとか植えまくって、もう藪藪のヘビヘビな状態でした。


ん?

パッションフルーツ?
果物?

母は、たしかに若干、花より団子…

売り言葉に買い言葉で、

「こんな食べれもしないもんに手間もお金もかけて!」

とか、母はいいそう…

顔を真っ赤にして、黙って口を聞かずに自室に戻る父…

口を開ければいらんことを言ってしまう…
気の利いた言葉はかけれない…

次のシーズンにこっそり、食べれる木を植えてあげた???


ぁぁぁぁ、そう言うとこあるわ〜
(愛情が非常にわかりづらい人)


そして、母はそう言うのに全く気づかない人。
世にもやりにくい男の人の世話をしてきたと思ってる人。
(近所中、親戚中、友達中にそう言っていた人だった…)


愛されてんなぁ!母!

わからん奴は寂しいなぁ…


おーい!母よォ
あなた、だいぶ愛されてましたよー!!!


(だって、母のために仕事もマイホームも吹っ飛ばして、子供にも犠牲払わせても、願い叶えてくれる男ってそういないゼ。ま、勝手な介護探偵の推理ですけどねぇ〜)



そうだ!言葉にできない男もいる。

見えないところにも目をむけてみよう。

また、新しい実がついてる木があるかもしんない!


また、長くなっちゃった…
お読みくださった方ありましたら、ありがとうございます。申し訳ありません。

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