白色矮星としろくま
何度目かかぞえられやしなかった
繰り返し巡ってきた
思慕に関する不可能性がある
じぶんで去勢してしまったおもいにとって
生産するための生き物でいる時間、それは
たのしむためのものではなく
自分を罰するやりかたを
考えるためのものになってしまった
しかし
わたしは わかい おんなのはずで
わかい おんなが 豊かであるはずのじかん
時めくのが しごとのひとつなのに 一向に
まま
ままならぬ だから
かつての(愛)には
こんな手紙をいつも出すことになる
「いつか 生産することを 終えた
静かな 時間に会いましょう
大きくてはてしないものの 端っこで
我々は また 会うでしょう」
(そこではきっと たくさん話すこともあれば
何も話さなくても済むことだろう)
「大抵のことは
取得と失効 あるいは
富み栄え その波が引くことの
繰り返しでしたね」
「ここは いい眺めです ぜんぶ見えます
もうすぐ来ますよ 大団円 楽しみですね」
カーテンコールでは 森羅万象が
一同に会するのを 眺め
あの日に また会いましょう と
いう ことばのいらない やりとりがある
使い果たした体と心がある空間でだけ
ゆるされる その
挨拶を わたしはいつも夢見ている
若さといういちまんねんは こんなにも
ながいのか
するってえと もういちまん
運が わるけりゃ もういちまん
ねんを そうやって 夢見なければ
ならないのか
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