「話をしようよ」「1999」、そして
「1999」の試聴が解禁されましたね。
King & Princeの2人の生まれ年、1999年を冠してると思われるこのタイトル、そして「作詞:海人」ということで、高まりに高まったオタクの期待と関心。
試聴すると、それを覆すのではなく、大きく包み込むようなそんな曲の力を感じました。
まさに「1999」。
海人から廉へ、いや、2人で歌うからお互いへの、2人だけのメッセージソング。
胸を打たれました。そして、改めて、作詞家・海人の才能に思いを馳せました。
過去記事を見ればお分かりの通り、基本的に私は暗喩やダブルミーニング、死生観が感じられる曲の詞をこねくり回すのが大好きです。
だから今回も、こいつ海人先生の詞をこねくり回すんじゃねえだろうな?と危惧された方。大丈夫です。こねくり回しません。撫で回すくらいはします。
「1999」、また前作「話をしようよ」を思い返しながら、私が感じた”海人”作詞曲の魅力を書いていきたいと思います。
※完全なる”海人”作詞曲としての話なので、「生活(仮)」はちょっと置いておきます。
背伸びをしない
まず、私が感じたのがここです。
”海人”の詞には、背伸びが一切ない。どこかから、その曲のために探してきた言葉は使わない。自分の中にある語彙だけで書いた、という素直さを感じます。
背伸びをしない、というのは簡単なようですごく難しい。自分を引き合いに出すのはおこがましいですが、れんかいかわいいね記事はともかく、詞の解釈や個人的エッセイ風記事を書くときは、どうしても言い回しに「かっこつけ」が入ります。
多くの人が、自分を言葉で、公に表現しようとしたら、ガッチリ肩に力が入るのではないでしょうか。
まして、彼は「かっこつけること」を生業とする、アイドルとして生きてきた人。
それがどうしてこんなに素直な言葉を紡げるのか。不思議です。
”Baby, I got you back”
この英文すら、彼の生活の中にあった語彙だと思います。
こちらの記事で解説されていますが、
とのこと。おそらく、廉にもなじみのある言葉なのだと思います。
自分達の中にある言葉を歌うことが、彼らの誠意であると示してくれているような。
そんな感慨を覚えました。
自分達の物語性を理解している
自身の創作物に対し、作り手のリアルな状況を重ねられることを嫌がる人は、結構居るというか多いと思います。
しかし(今のところ)”海人”作詞曲は、作り手の自分、また歌い手の自分達のこれまでのストーリーを重ねることありきで作られていると感じます。
「話をしようよ」の主語は、確実にKing & Prince…対象はファンだったり相方だったりする。それは「1999」も変わらない。
多感な十代に出会い、喧嘩もし、若いうちから共にプロとしてステージに立つ。そして、たくさんの人に求められ、アイドルとしての地位を確立した、そんな時に訪れた人生の岐路。その先の道程を共にするという決断。
これらの、リアルの彼らのアイドル人生を重ねざるを得ない、むしろ重ねることで完成するような曲たち。”海人”は、今発表する自分の詞はそう受け止められることを知っているし、又そういう類の曲を、今ファンが求めていると、自覚しているのでしょう。
この、自分の世界観100%ではなく、かといって誰かに擦り寄るわけでもなく、「今の自分が表現者として、誰かに届けたいこと」を、シンプルに届けてくれる、それができる能力とプロ意識が素晴らしいなと思います。
自分の語彙で、自分だけの詞にする
先に、自分の中にある語彙で書いているところが魅力的、と書きました。
よくある言い回しだと「等身大」の表現。ですが、そのシンプルな言葉から編み出された一篇の詞は、なぜか”海人”の作家性が強く出ている。
例えば「1999」。
”どんな日もきっと思い出すの
過去になって色褪せても”
この耳馴染みのあるフレーズに
”この歌が君に残るように”
この、シンプルな一節が連なることで、今のKing & Princeが、6人・5人時代の楽曲を財産として引き継いでいる現在、そしてそこに「1999」も加わる、という広がりを感じさせます。しかも”君”。相方への掛け値なしの愛情。
ちょっと書いてるだけで泣きそうなのは私が最近涙腺ガバガバオタクになってるからでしょうか?
※King & Princeからファンに向けてのメッセージソングじゃん?というのもあると思いますが一旦れんかいソングとしてハスハスさせてください
例えば「話をしようよ」。
何気ない情景のようですが、この4行に、僕ときみの微妙なベクトルの差と、日常的な雰囲気の中で落ち着いて向き合って伝えたい、という小さな決意が見えます。
三文字で言うと「前フリ」です。
これがあるとないとで、曲の印象がものっっっすごく変わる、と私は思っています。
僕は深刻になりたいわけじゃない、でもちゃんと向き合って話したい。コーヒーでも飲みながら、素直にラフに、お互い話そう。という、前提を作ってくれる4行だと解釈しています。
タイトルでありメインテーマ「話をしようよ」そのものを、”話”という言葉すら使わずに体現している。そしてこんな重要な歌い出しも、至って日常的な言葉(どしたの とか特に)で表現する。いやもう、すごいですよ。私も遠慮なく日常語でひれ伏します。
ほんと何でも才能あるのね…
私は畏怖の念を抱いています。推しの才能が多岐に渡りすぎている。
”海人”は確実に、作詞の才能がある。ごめんね全海人担がとっくに知ってること今更書いて。
「話をしようよ」「1999」に続く”海人”作詞曲をこれからも楽しみにしています。
ちなみに、何度も言うけど激甘恋愛ソング文脈での「カゴいっぱいにカップ麺」というワードチョイスは絶対永瀬廉からしか出てこないので、ぜひ永廉先生にもどんどん作詞してほしいです。
こういう、本人の意図しない(だろう)作家性こそ才能だと思います。