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フィクションとノンフィクションのあわい King & Prince「Re:ERA」後半戦に思う

現在、King & PrinceのNew ALBUM 「Re:ERA」、CD発売翌週。
どう考えても、先週書くべきだった。
言い訳はしない。


さて、Re:ERA雑感後半戦。前半戦では曲順の妙を感じたと書いたが、それは後半でも同様だった。さらに後半には髙橋海人・永瀬廉それぞれのソロ曲が収録されている。曲順、そしてソロ曲、これが絡み合ってひとつの交点になっていると感じたので、その詳細を記していきたい。
記していきたいと言っても完全に私の主観であり、要するに日記なのだけれど。


コンセプトアルバムでありながら、このソロ曲

「Re:ERA」が宇宙のとある星「プラネット・エイジ」を舞台にしたコンセプトアルバムである、というのは言わずと知れたこと……と見せかけて、ファン以外は言わないと知らないことなのできちんと言っておきたい。

なお、私はコンセプトアルバムというものは「ジギー・スターダスト」と「Jaguar hard pain」しか知らない音楽からっきし勢だが、これら2作とはぜんっぜん違う、エロなしほのぼのキラキラストーリーで安心した。
アニメもある。平和だ。

そう、曲ごとにキャラクターを作りアニメを制作し、ポップアップストアまで展開するほどに世界を作りこんだ、お手本のようなコンセプトアルバム。なのに、そこに収録されているソロ曲は、実にノンフィクション的なのだ。

髙橋海人ソロ曲「POPSTAR in the KINGDOM」は、「湘南スタイル」「ソウタカイト速攻電話して」等、現実の髙橋海人を反映した、というかそのものの詞になっている。なお上述の通りジギーとジャガーしか知らない私は、曲名だけが発表された時は、宇宙から飛来した夢のプリンスのギラギラした曲かと思っていた。
現実を反映してはいるが、それは「スターの悲哀」「ステージを降りた俺」的な部分は見せないよ、とあえて宣言するような内容である。つまり、Re:ERAというフィクションを舞台に現実の髙橋海人が登場するが、その髙橋海人はショーというフィクションを全うすると歌う、画面の中の画面の中の画面、みたいな構造になっているのだ。
こういうものをメタフィクション(作中でフィクションであると明言するフィクション)と言うのだろうか。言わないのか。

永瀬廉ソロ曲「染み」は、事務所同期のなにわ男子・西畑大吾作詞の、永瀬廉・西畑大吾・そしてAぇ!groupの正門良規、3名の絆を歌った曲である。もうこの時点でノンフィクション的(あえて的という)楽曲であることは分かるだろう。3名とも大阪出身なので、「素敵やん」とか「Aぇ!」「なにわ」といった単語も登場する。

プラネット・エイジに、大阪と神奈川が存在する……?
いや、それでもいいはいいけれど、私は、この作り上げたフィクション世界に演者のノンフィクションを投入することに、別の意味を感じてしまった。


アイドルとは、文脈から逃れられない人

今日気づいたが(今日かよ)、私はもう、King & Princeの楽曲を純粋に音楽的に評価することはできないと思う。それは、私が音楽からっきしなこともあるが、それ以上に、King & Princeへの思い入れが強すぎて、演者と楽曲を切り離すことが出来ないからだ。
私は、と限定したものの、楽曲を完全に演者と切り離せる評価者はほぼいないと思うし、それは演者側も然りだと思う。とはいえ、アイドルという職業の人らは特にこの、「切り離せなさ」を背負う宿命にあると考えている。
これを、見出しにある「文脈」と呼びたい。
アイドルファンの多くは、というかほとんどが文脈が好きだ、と思う。アイドルを志すきっかけ、下積み時代やオーディション、デビュー発表の様子、メンバー同士の絆……こういう、演者を取り巻く物語込みで演者を見ている。そこに、楽曲も含まれている。
スター誕生、夕やけニャンニャン、ASAYAN……枚挙に暇がない。ステージにマイクを置いて消えた山口百恵に美学を見るし、「私の事は嫌いでもAKBのことは嫌いにならないで下さい」と泣いた前田敦子に心動かされる。秋元康はこの文脈を、おニャン子の素人くささや、AKBのドキュメンタリー映画としてパッケージにするのが上手いというか、広告の人だよなーと思うが、それはまぁいい。

Re:ERAのソロ曲に話を戻すが、プラネット・エイジにまつわる作り込まれたフィクション。その中に、ノンフィクション的な髙橋海人・永瀬廉の物語を投入することで、このアイドル的文脈の妙を揺さぶられ、そして突き付けられる。まるでいきなり背中を「ワッ!」と押されたような衝撃があり、一瞬空白になった心に、楽曲が差し込んでくる。その構造がとても興味深くまた気持ち良いと感じた。


曲順の妙ーー「POPSTAR in the KINGDOM」から「ボーイミーツガール」への衝撃

ここからは海人担の端くれとして感じた好きポイントのお話。
上述の通り、フィクションを作る側のノンフィクション的フィクション宣言(もうよく分からん)の「POPSTAR in the KINGDOM」だが、その歌声が、パフォーマー髙橋海人の真骨頂ともいえる自在さで、「あぁ推しが四肢伸ばしてんなぁ〜極楽極楽」という悦びに心が満たされる。
※個人の感想です
そうそう、この人こんなに幅広い声色で楽しげに歌うんだよな……と、感慨に耽る。ファンとして良いだけ推しに腹見せたところで、「ボーイミーツガール」で「言っても俺らアイドルですから?」とみぞおちをぶん殴られる……あ、言葉が物騒。
違くて。
スポットライトの影と光両面を見せられた直後に、圧倒的な光の側面を見せられてめちゃくちゃ目が眩む、そんな感じ。
「ボーイミーツガール」なんて、多分アイドル好きどころか、JPOP聴いて育った人全員好きだろってくらいの、極上のアイドルソングだ。

メタフィクションで油断させて、フィクションの極みのアイドルソングで本業ぶちかます。この戦闘スタイルが鮮やかで痺れた。その後の「愛し生きること」はちょっと振れ幅がすぎる。やられた脳をクールダウンせよという優しさかもしれない。おかげで「染み」をまともに聴ける。

フィクションとノンフィクションのあわいで揺さぶられ、心地よく脳震盪を起こすようなアルバムRe:ERA。コンセプトアルバムとして、依り代となるひとつの軸があるからこそ、こんな揺さぶりも成立するのかも、と思ったり。
そして改めて感じるのが、2人の声。バランスがいいの悪いのというありきたりな尺度を、この場面においては跳ね除けるようなアンバランスさ。大阪と神奈川は宇宙のあちらとこちらにあり、その座標は全然違う。その二か所も経由しながら、2人の声にROLLER COASTERのごとく大いに揺さぶられ、Harajukuへと到達するのであった……
あぁ、締め方ダサっ。


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