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歩き方
のたりのたりのなまけもの 2021.10.16
今日は土曜日だ。
朝6時に目覚ましをセットして、しょぼしょぼしながらなんとか起床。
コーヒーポットに残っていた昨日の残りのコーヒーを温め直し、
牛乳を入れる。
新しくコーヒーを淹れる気になれないくらい、疲れている。
顔を洗って、コンタクトレンズを入れて、歯磨きをして、
あっちこっちに跳ね上がる切りすぎた前髪はそのままに、
大きな白いマグカップとずっしり重たい銀色のラップトップを抱えて、
部屋の外へ出る。
曇り空の少し肌寒い空気。
コーヒーは煮湯ほどに熱く、
とても口をつけられない。
ずっしりと重たいラップトップの画面を開けて、
腹をくくってペーパーに取り掛かる。
昨日、国連平和大学の基礎演習のクラスの最終日だった。
3000字から4000字のファイナルペーパーを書き上げて、
晴れて基礎演習終了となる。
さて、この一週間はどうだっただろうか。
青い空にカラフルな花々
緑溢れるキャンパスにお猿さんにハチドリさん。
こんなにのどかで楽園のような場所での留学生活だというのに、
クラスの最終第3週目は、それはもうヨボヨボに疲れきり、
心はどんよりモヤモヤ曇天模様だった。
結構な量のリーディングが微妙に読みきれなかったり、
授業を聞いてもどうも腑に落ちないことがあったり、
言いたいことが即座に明瞭簡潔に英語で表現できなかったり、
朝早く起きてリーディングしようと思っても、
どうしても眠たくて起きれなかったり。
若さ弾けるエネルギッシュでインテリジェントな学友たちに囲まれ、
インスパイアされモチベーションがぐんぐん上がると同時に、
自分という人間のしょうもなさに劣等感を感じたり、
何もできていないのではないかという焦りを感じたり。
なんだこの感じ。
そうだ。
これは子を産む前の感覚ではないか。
子を産むまでは、
なんだかよくわからないまま、
とりあえず直感にしたがって選んだ道を、
劣等感や焦燥感にまみれながらも自分の感覚だけを頼りに、
がむしゃらに走って進んできたように思う。
子を産んだ後は、
なんだかよくわからないまま、
とりあえず直感にしたがって選んだ道を、
時間の流れに身を委ねつつ自分の感覚を信じながら、
のんびりゆっくりと牛の歩みで進んできたような気がする。
歩き方が変わると、心も変わるもので、
やりたいことを、やりたいときに、やれるぶんだけやる、と、
欲張らず、なるべく省エネにミニマムに生きるようにしていた。
ただひたすら、無理をしないように、頑張らないようにしていた。
そうしたら、全力で何かを頑張っていた時よりも、
ぐうたらのんべんだらりと過ごしていた時のほうが、
やりたいと思っていたことが最高の形で実現していたりという、
不思議な現象が起きたりする。
それを実感していたはずなのに、
この一週間は、フッとその感覚が抜け落ちていたみたい。
しかし、
夫にこの心のモヤモヤを話してみると、
どんよりもくもく灰色雲は一瞬でどこかにすっ飛んでいった。
私は、
この人から足るを知りながら歩くことを学び、
この人がずっと側にいてくれるから、
歩き方を変えることができたんだなぁと、
改めて思う。
あぁ。そうだった。
欲張らない、無理しない。
それをしなくても、
私の毎日は十二分に満ち足りているのだから。
ペーパーを無事仕上げたと同時に、坊が少し遅めのお昼寝をしてしまった。
再び部屋の外に座って冷い麦酒を飲む。
いつの間にか雨が上がり、
空は深い群青色からあっという間に漆黒になった。
6時を知らせる教会の鐘と、やわらかい虫の声、
お隣さんから聞こえてくるラテンオールディーズと、犬の鳴き声。
体も心も大いに揺れ動き、なんとも疲れた一週間が終わる。
目の先に、坊の緑の蛙の雨合羽がぶら下がっている。
昨日の夕方の雨のお散歩を思い出す。
夫と坊と一緒に、近所のスーパーまで、
しとしと、ぴちゃぴちゃ、らんらんらん。
腕や肩に重たい荷物をぶら下げて、
雨カバーをつけたカメラを抱えて、
びしょびしょになりながら、
私は夫と坊との時間を一心不乱に刻んでいた。
この楽しい時を。
この幸せな時を。
やりたいことを、やりたいときに、やれるぶんだけ。
そうそう。
これが、今の私の歩き方なのだ。
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