12 才のロシア人児童が殺害され洞窟に死体が隠されていた事件、その犯人としてユダヤ人が逮捕されたニュースに、Yakov の義父 Shmuel は 即座に反応しました。逮捕されたのが自分の娘 Raisl の夫である事にも確信を深めます。Kiev の刑務所に面会が許されるよう、何度も申請したものの拒否され続けました。そうとは知らない Yakov は何とか自分が刑務所にいることを伝えたいもののそれが出来ずに苦しんでいたのです。大金を袖の下として支払い、刑務員(刑務所保安員)を買収、入獄後2年目にしてやっと、それもこの刑務員が一人になる深夜に Shmuel は独房への訪問を果たします。
1. 罰としての一層厳しい条件が Yakov の日々を苛ムシバ みます。 深夜に不審者が独房棟に入り込んだことは、翌日直ぐに判明します。当直の刑務員が問い詰められてそれを認めました。
[原文 1-1] Shmuel's visit left the fixer with a heavy burden of excitement. Something must happen now, he thought. He will run to people on my behalf. He will say this is my son-in-law Yakov and look what happened to him. He will tell them I'm in prison in Kiev and what for. He will cry out my innocence and beg for help. Maybe a lawyer will then go to Grubeshov and ask for the indictment. He will say, "You must give it to us before this man dies in his cell." Maybe he will even petition the Minister of Justice. If he's a good lawyer he will think of other things to do. He won't neglect me here. Instead the warden appeared in the cell, tense and agitated. His good eye gleamed. His mouth was loose with anger. "We'll give you escape, you bastard. We'll give you conspiracy."[和訳 1-1] シュムエルとの面会後のヤーコフは興奮が治まりません。変化が起こるはずだと彼は思い込んでいました。シュムエルは私の身代わりとなってあちらこちらに働きかけてくれると信じていました。牢に居るのが自分の娘婿のヤーコフであって、こんなに酷い境遇に曝されています、どうか助け出すべくお助けをと。ヤーコフが如何なる理由でキーフの刑務所に居るのだと。シュムエルは私の無実を泣きわめいて訴え、助けを求めてくれるはずだと。うまくすれば弁護士がフルベショフに面会して起訴状の提出を要求してくれる筈と。シュムエルには「牢の中でこの男は死亡しかねない。その前に起訴状が我々側に明示してください」と頼める筈です。更には法務大臣に嘆願書を提出することも出来ます。有力な弁護士にありつければ自分には考えられないような良い対策があるかもしれません。優れた弁護士ならばこのようなはめに陥っている私を無視できないはずです。 このような興奮の極みで考えた事々に反して厳しい顔つき、興奮気味の監守長が独房にやってきました。監守長の勘が鋭さを発揮したのでした。怒りで監守長の口は抑制が効きません。「おまえを逃亡させてやるぞ、この悪漢目が。おまえにずる賢さを発揮させてやるぞ。出来るものならやってみろ!」
Lines between line 1 on page 261 and line 2 on page 262, "The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004 《英語の学習》 次に示す[原文 1-2]にある laid eyes on this other conspirator について、conspirator を「陰謀を巡らす輩」 と訳している(理解している)間は this なる既出の誰かを特定する修飾語がここにある理由が不明のまま落ち着かないのでした。一時間ほど他の事をしながら頭を巡らせていて気が付きました。conspirator はユダヤ人の蔑称だったことを思い出しました。すると other がここにある理由も一息に解決です。独房内にいる Yakov がユダヤ人であるからして「もう一方のユダヤ人」なのです。
[原文 1-2] A prisoner in strict confinement nearby had heard voices that night and had informed on Zhitnyak. The guard was arrested and after a while confessed that he had let an old Jew in to talk to the murderer. "This time you overreached yourself, Bok. You'll wish you had never laid eyes on this other conspirator. We'll show you what good outside agitation will do. You'll wish you had never been born." He demanded to know who the conspirator was, and the fixer excitedly answered, "Nobody. He was a stranger to me. He didn't tell me his name. A poor man. He met Zhitnyak by accident." "What did he say to you? Come out with it." "He asked me if I was hungry." "What did you answer?" "I said yes." "We'll give you hunger," shouted the warden.[和訳 1-2] 近くの特別に厳重な独房にいた一人の受刑者があの夜の騒ぎ声を耳にして、ジトニヤック(当直の刑務官)の行動を職員の誰かに漏らしたのでした。この刑務官は逮捕され、その暫く後には自身がユダヤ人のお年寄り一人の入室を許し、殺人容疑者と言葉を交わすことを許した旨を認めたのでした。 「この度はおまえ。 出来もしないことをしようと企み、そしてしくじったということだぞ、ボック。おまえには今回のもう一方の陰謀家ユダヤ人と会話したことを後悔させてやるからな。我々は外部からの扇動がどれほど良いことをもたらすのかをおまえに思い知らせてやるからな。おまえは生まれてこなかったら良かったのにと心底悔いることだろよ。」 監守はこの陰謀家ユダヤ人が誰だったのか問い詰めました。この修理屋は興奮して「誰でもありません。奴は私にとって赤の他人でした。名前を名乗った訳ではありません。貧相な男でした。その男はたまたまジトニヤックとどこかで出くわしたのです。」 「そいつがおまえに何を話したのかね、その中身を白状しなさい。」 「奴は腹が減ってるのかよと尋ねたのです。」 「何と答えたのだ?」 「私ははい、減っているよと。」 「我々はおまえに空腹の刑を与えることにするぞ。」
Lines between line 3 and line 2 on page 262,"The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004 この文章の後には独房内の壁にに鉄の輪が装備され、ベッドの草マットが取り払われ、足元の床には、ベッド台からはみ出させた脛部分を固定する箱型の固定具(stock)まで装備されます。排便の度に刑務員を呼んで外してもらわねば用を足せません。
余りの辛さ・惨めさから、Yakov は自殺することを真剣に考えます。しかし警察側への怒り(恨みではなく「Justice の不在」への嘆きか?)はそれを許しません。監守補佐が独房に来て身体検査を行う機会に彼に跳びかかり補佐の首を絞めようとすれば、銃で射殺されるだろう。そうなれば監守補佐に死亡させた罪悪感ぐらいは与えて死ねると妄想するまでに苦しむのでした。
シュムエルが大金を払ってヤーコフとの面会を果たし、やっと光が漏れてきたかと思いきや、これまでの過酷な独房生活が、更に一層酷いものになってしまったのです。このストーリーはヨブ記の記載そのままです。私にはマラマッドの小説「アシスタント」や短編集「魔法の樽」にある彼の作品に共通する貧乏節の響きが何倍にも強化されて大音響を立てているように感じずにはおれません。
そのような日々が続く中、・・・
2. 自分を放り出して出て行った妻 Raisl が面会にやってきます。 ある日の事、散髪もされ、髭の整えもされ、水浴びも許され、鎖からも解かれる日がやってきました。後で分ったのですが妻の Raisl が捜査担当検察官が準備した殺害自白書面に署名させるという使命を帯びて、その代償として面会を許され訪問してきたのでした。独房内においても、壁に鎖で何日も繋がれていた Yakov には歩くことすら非常な苦痛でした。
何とか外部の者との面会部屋にたどり着き、鉄柵越しにする Raisl との会話が監視員が傍らで聞き耳を立てている中で、始まります。
長々と言葉に詰まってまともに声すら掛け合えない時間が続きます。しかし徐々に双方の事情が分かるようになると、互いが優しくしあう以外に何も進歩しないと悟ることになり、話が進み出します。
[原文 2-1] She cracked her white knuckles against her chest. "Yakov, I didn't come here to fight about the past. Forgive me, forgive the past." "Why did you come?" "Papa said he saw you in prison, it's all he talks about. I went back to the shtetl last November. I was first in Kharkov, then in Moscow, but couldn't get along any more, so I had to go back. When I found out you were in Kiev Prison I came to see you but they wouldn't let me in. Then I went to the Prosecuting Attorney and showed him the papers that I was your wife. He said I couldn't see you except under the most extraordinary circumstances, and I said the circumstances were extraordinary enough when an innocent man is kept in prison. I went to see him at least five times and finally he said he would let me in if I brought you a paper to sign. He told me to urge you to sign it." "A black year on his papers to sign. A black year on you for bringing it."[和訳 2-1] 彼女は白い掌を握りしめて自分の胸に打ちつけました。「私は昔のあれこれを言い争うためにここに来たのではありません。私を、私のこれまでの行動はお許しください。」 「では何が目的かね?」 「お父さんがあなたに刑務所で面会したと教えてくれたのです。その時以来、お父さんが話すのはそのことばかりです。私がユダヤ人区の家に戻ったのは昨年の秋でした。最初はカーコフ(ハルコフ?)に住まいし、次にはモスクワに引っ越しました。しかしあの男とはうまく行かなかったのです。それで帰って来たのです。あなたがキーフの刑務所だと聞いて刑務所に来たのですが中に入れてはもらえなかったのです。そこで私は訴訟担当検察官に面会を求めて、私があなたの妻であるという証明書を見せました。彼はそんなことは不可能だというのですが、一つ例外として酷い条件を口にしました。私は罪のない人間を牢屋に閉じ込めるだけで十分酷い仕打ちを受けていますと答えました。私は少なくとも5回はこの男に面会しました。とうとうこの男、あなたの署名が必要な書類があるのでそれを持って行って署名をするように促すという条件でなら面会を許すと言ったのです。」 「署名用の書類に乗っかった真っ黒な一年。あなたが手にして運ぶことを依頼された真っ黒な一年、(これに署名しろということだな。)」 《 訳文を作るのは難しいが、あの男が作った署名用の書面が虚偽の自白で規定する一年。あなたがカバンに入れて運んできた署名用の書面が虚偽の自白 で規定する一年。というヤーコフの慨嘆を述べる文章である。a black yearは「虚偽の自白 が規定する一年」を意味すると理解した。》
Lines between line 23 on page 286 and line 4 on page 287, "The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004 [原文 2-2] "Yakov," she said, when she had wiped her eyes with her fingers, "I brought this confession paper here so they would let me talk to you, not because I want you to sign it. I don't. Still, if you wanted to what could I say? Should I say stay in prison? What I also came to tell you, is maybe not such good news. I came to say I've given birth to a child. After I ran away I found out I was pregnant. I was ashamed and frightened, but at the same time I was happy I was no longer barren and could have a baby." There's no bottom to my bitterness, he thought. He flailed at the wooden wall of the pen with both fists. The guard sternly ordered him to stop, so he beat himself instead, his face and head. She looked on with shut eyes.[和訳 2-2] 「ヤーコフ。私がこの自白文書書面を持って来たのは、そうすると私のあなたとの面会が許されるからでした。私があなたに署名をして欲しいと思っての事ではありません。署名して欲しいなんて思っていません。それでももしもあなたが署名したいなら私にはダメと言えないでしょう? そんなことを言えばあなたに、この先も牢屋に綴じ込められていなさいと言ったも同然です。私がここに出かけてきたのは、もう一つ話すことがあってのことです。あまり良い知らせでないかもと心配していますが。あなたに話さねばならないのは私に子供が生まれたことです。あなたの処から飛び出した後に解ったのですが、妊娠していたのです。恥ずかしさと恐ろしさで苦しみました。同時にうれしさもありました。もう生まず女ではないのです。赤ちゃんが生まれてくるのですから。」 私の苦しさにはそこが無いのだなと彼(ヤーコフ)は思いました。 彼は面談室の板囲いの壁に両手の拳を打ち付け音を立てました。刑務員が厳しい声で、騒ぐのを止めろと命じました。そんな訳で彼はその代わりにとばかりに自分の胸を、そして顔、頭を叩いたのでした。彼女は彼の方を向いたまま動かず目を閉じていました。
Lines between line 33 on page 288 and line 11 on page 289, "The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004
[原文 2-3] Afterwards, when it was over, except what was left of his anguish, he said, "So if you weren't barren, what was the matter?" She looked away, then at him. "Who knows? Some women conceive late. With conception you need luck." Luck I was short of, he thought, so I blamed her. "Boy or girl?" Yakov asked. She smiled at her hands. "A boy, Chaiml, after my grandfather." "How old now?" "Almost a year and a half." "It couldn't be mine?" "How could it be?" "Too bad," he sighed. "Where is he now?" "With Papa. That's why I went back, I couldn't take care of him alone any more. Ah, Yakov, it's not all raisins and almonds . I've gone back to the shtetl but they blame me for your fate.[和訳 2-3] やがて二人の話合いが終わると、といっても彼の気懸かりばかりは終わらなかったのですが、彼は「あなたには子供が出来た。それで何か問題があるのかな?」と彼は尋ねました。 彼女は一旦顔を逸らせたのですが、直ぐに彼の方に向き直し「誰に予測が付くと言うの? 妊娠するまでに日が掛かる人は居るのです。妊娠には運も要ります。」 幸運か、そうだね、私には幸運が足りないのだ。それなのに私は彼女の欠点だと彼女を責めてしまったのだと彼は気付きました。 「男の子それとも女の子?」とヤーコフは尋ねます。 彼女は視線を自分の両手に落として笑みを浮かべました。「男の子、 シャイムルと名付けました。おじいさんの名前を引き継ぎました。」 「何歳になるのかな?」 「ほとんど一年と六か月です。」 「その子は私の子供ってことはないよね?」 「そんなことありえませんね。」 「残念。」と彼はため息をつきます。「今どこに預けているの?」 「お父さんと一緒よ。それが原因で帰って来たのですから。私一人ではどう遣り繰りしようとこの子の世話を仕切れないのです。あゝ、ヤーコフ、こどもとなると子守歌を歌ってあげるだけで育ってくれるのではないのですもの。私はユダヤ人区に帰って来たのですが、周りの人々はあなたの運命を決めたと私を責めるのです。 《 Raisins and Almonds は子守歌 です。 》
Lines between line 12 and line 30 on page 289, "The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004 自らには自制を求めてはいるのですが、一言、言いたくなりました。上記引用部分[原文 2-3]の和訳は橋本福夫氏訳の早川書店「修理屋」の訳文と結構異なります。原文を読まないと騙されるとはこの事かと。
ただし橋本氏の訳本には、単語一つひとつに注意を払われ、丁寧な翻訳作業をされたのだなと感心しています。今日の様にインターネットで調べものが出来た訳ではなく、英英辞書にあっても当時のものは、その充実ぶりにおいて今と全く違っていたのです。訳本の末尾にある橋本氏の「あとがき」は繰り返し読みました。私の「お気に入り」です。
3. 宗教や因習やを切り離し理性を歌う(現実重視の?)Spinoza 式かと思える流れ。 [原文 3] Yakov placed the paper on the shelf before him and wrote in Russian on the line for his name: "Every word is a lie." On the envelope, pausing between words to remember the letters for the next, he wrote in Yiddish, "I declare myself to be the father of Chaim, the infant son of my wife, Raisl Bok. He was conceived before she left me. Please help the mother and child, and for this, amid all my troubles, I'll be grateful. Yakov Bok." She told him the date and he wrote it down, "February 27, 1913." Yakov passed it to her through the opening in the grating. Raisl slipped the envelope into her coat sleeve and handed the guard the confession paper. He folded it at once, and thrust it into his tunic pocket. After examining the contents of Raisl's handbag and tapping her coat pockets he told her to go. "Yakov," she wept, "come home." [和訳 3] ヤーコフは自白文書書面を自分の前、手すりの台に広げました。そしてロシア語で、署名欄を示す下線にそって「全ての単語、それぞれは嘘です。」と記入しました。 一方、手元の封筒には、一語一語時間をかけて何と書くかを考えながら、イーディッシュ語で書きつけました。「私は自分自身は、私の妻レイズル・ボックの息子であるシャイムの父であることをここに宣言します。この子は妻が私をおいて出て行った日より以前に彼女に宿りました。どうかこの母とその子供をお助けください。私は自身にまとわりついたありとあらゆる困難の中にあるものの、そうして頂くことに対して感謝し続ける所存です。ヤーコフ・ボック筆。」 彼女がその日の日付を教え、彼は記入しました。「1913 年 2 月 27 日」。ヤーコフはその封筒を仕切り網の隙間から彼女に渡しました。 レイズルはその封筒を自分のコートの袖の中に差し込みました。そしてあの自白文書書面だけを刑務官に差し出しました。彼は受け取ると直ぐに折り畳み、自分の上着のポケットに仕舞い込みました。その後にはレイズルのハンドバッグの中のものを調べ上げ、彼女のコートのポケットを外から叩くようにして空であることを確認すると彼女に退室を命じました。 彼女は泣き声を上げながら「家に帰ってきてくださいね、ヤーコフ。」と告げました。
Lines between line 1 and line 18 on page 292, "The Fixer", a Farrar, Straus and Giroux paperback, 2004
4. Study Notes の無償公開 以下に今回の読書部分、Chapter VIII, Pages 261 - 292 を無償公開します。ファイル形式が異なる二つのファイルですが、内容は同じものです。