2010年にPicador社から発行された版を今回入手しました。この旅行記の初版発行は 1998 年ですから、初版発行の 10 年後に、ナイポール自身が Preface (まえがき)を書き、この版に加えたのです。その結びの文章は以下の通りです。つい先日(本年7・8月)に読んだ "The Island of Missing Trees" のテーマに重なるような発想です。読み始める時の期待感を刺激されます。
ちなみに、この記事(32 回目)から何回かに渡り読み進めるのは "Beyond Belief" Islamic Excursions Among The Converted Peoples(副題)by V. S. Naipaul, Published by Picador 2010 です。私が 2018 年にはじめて読んだ時の版は The 1st Vintage International Edition 1999 でした。
1)この旅行記の「タイトル」や「プロローグ」(前述の Preface とは別物)が意味するもの
「タイトル」”Beyond Belief" の意味 "Beyond Belief" は「信仰を乗り越えないとならない」とでもいった意味なのでしょうか? このタイトルは「土着の信仰を乗り越えイスラムの信仰を身に着けた人々、彼らがこの改宗の結果どうなったのか、これも乗り越えないと幸福を手に出来ないぞ」とでも主張しているのでしょうか? もともとあった土着の信仰をアラブから押し寄せたイスラムに置き換えて生きていくとはどういうことか、その結果どうなったのかを観察しようとする旅行記のタイトルだと今の私は想定するのです。その観察の結果、このイスラムの信仰をも乗り越え、あるいはその軛から自由にならないと苦労ばかりが続くのではとの叫びのようにも響きます。辞書 OALD によると ‘Beyond Belief’ はイディオムであって「あまりに不自然で信じられない・馬鹿々々しい (in a way that is) too great, difficult, etc. to be believed」を意味するようで、そうだとすると改宗者が作ったインドネシアの社会、そこで人々がやっていること、彼らの社会はあまりにも馬鹿げているぞ、と言っているようでもあるのですが。
「彼らの社会があまりにも馬鹿げている」との表現は決して「書き手がスノブであること」を露呈するものではありません。彼、ナイポールの初期の作品 ‘Miguel Street’ はトリニダード・トバコの首都 Port of Spain の一画、ミグエル通りに住まうほぼ全員を馬鹿で救いようのない連中として描きあげ、読者をしてそれを読み終える頃には自分も自分の周りの人々もすべてがそんな連中と五十歩百歩だと気づかせた素晴らしい小説でした。
47-8 才の男イマドゥディンに一度目のインタビューしたナイポールは、その17 後、65 才になっていた同じ男から次のような発言を引き出します。この男 14 ヶ月の刑務所暮しを終え、その後アメリカで6年を過ごし帰国。成功者になっていたのです。1965 年頃に失敗に終わった共産革命を主導したグループとの関係から終身刑で服役していたスカルノ時代の高官 Subandrio (刑務所での遭遇時 65 才位)と服役中のイマドゥディン(48 才)は、互いの独房を訪れ、毎日勉強会(知識の教え合い)をしていたと言うのです。以下に引用するのは、第一部 インドネシアの 1. The Man of the Moment 「時流に乗れた人」にある段落です。
Muslim の人にとって社会主義・共産主義がどう見えているのかの理解の取っ掛かりがこれかなと、私は考えさせられました。
訳した人の原文の理解と私の理解を比べようとしたのですが、上記引用のごとくジッと中身を理解しようとしても意味不明のために議論できないという事態になりました。次の通りです。 (1)「人」ではなく4つの国民のはず? (2)この一文の意味は、この訳本を後々まで読み進めても何のことか不明では? (3)(4)(5)「物語」は原文の Stories(複数)の和訳、「文脈」「主題」は各々 a context、a themeという単数の名詞の和訳である。4 ヶ国で採集した別々の物語に一つの文脈・主題があるといっているものだから複数であること、単数であることで原文が何を言っているのかの意味が定まるのです。この文はこの段落全体の存在価値に関わっているのです。この辺りを軽視して訳されたのでは訳文を読む人をバカにしていると私は腹立ちを覚えます。和訳文を読む人はこのPrologue でこの本全体の構成や下敷きになっている概念をあらかじめあたまに入れることで、以降の本文の理解を深めて行くのです。この訳文ではそれが出来ません。
b ) エッセイなり小説なりは、読者をして、彼・彼女が保有する知識の状態を地点Aから地点Bまで進化させるものだとしましょう。
そう仮定すると、その文章は滑らかな(数学で言うところの導関数に不連続点が出現しない)曲線で地点AとBをつなぐロープのようなものです。このような「原文」に対応する「和訳文」ですが、それを読み終えた読者は往々にして良く分かったのか否か今一つ自信が持てないのです。この原因として、訳文はこの滑らかにカーブするロープを多数の接線のごとき直線でなぞることにしかならないことが挙げられます。ロープの長さが1メートルと仮定するとそれをランダムに1㎝ないし5㎝の長さにくぎってその一つひとつをその部分のどこかに接する短い直線で置き換えてロープの全体を代替えするものが和訳文なのです。以下に Chapter 2 History から2カ所を例に議論します。
c )ナイポールの明晰な議論を楽しみに読書する私としては、斎藤訳の誤り箇所をもう一つ論(あげつら)わずにおれません
この引用部分の斎藤訳に関しては、原文にある文章の時制、例えば Yet Europe had dominated so quickly の部分、に注意を払って訳されていたなら原文の議論の下にある論理の積み重ねが日本語の読者に理解できたはずと思うのです。この論理の積み重ねがナイポールの作品の魅力、世界的に評価される大切な要素と信じればこそのコメントです。私の訳文は添付の Study Notes にあります。 以上