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23回目"Leaving the Yellow House" by Saul Bellowを一息で読み切る。鉱山が廃さた結果、ほぼ消滅した集落で人生の終わりを迎える女性に去来する負けん気

ソール・ベローの作品の主役級登場人物は、都会に住み世界から注目を集める日常を送る人たちであることが多いのです。それにも拘らず、ソール・ベロー本人には高慢な雰囲気が全くない。このような趣旨の読者コメントをどこかで目にしましたが全く同感です。今回の短篇は例外的にエリートではない72才の独り身の女性の暮しと心の内での葛藤、すなわち終活(人生の終わりに向けた活動)の話です。ちなみに、ベローが描く、男の終活とも言える話はこの本「Collected Stories」中の "The Old System" にあります。

この短編「Leaving the Yellow House」はこの作品集の中でも特に人気のあるもののようで、2019年にPenguin Classics の一つとして単独で出版されたようです(30頁余りの長さです)。電子ブックだと 1.99ドルとの広告を見かけました。参考まで。

1. この短編への書評

  この短編の舞台である 'Sego Desert Lake" をキー・ワードにしてインターネット・サイトを探し見つけたEncycropedia-comの記事、これは大学生・社会人向けの読み方解説記事ですが、ほんとうにおもしろいものでした。当たり前ながら本文を読む前に読んでも面白くはありません、念のために申し添えます。
  島根医科大学、石川真澄氏の書評(日本語)も公開されています。私とは随分違った方向に発想が展開するようで面白いです。

2. Ⅴ.S.ナイポールの「ミグエル・ストリート」を思わせる怠け者の一群

  "Miguel Street" を読んだ人には忘れられない怠け者たちが住む街。それを再現するかのような下りが最初のページの末から次ページ始めにでてきて興味を引かれました。以下に和訳付で紹介します。("Miguel Street"の日本語解説・感想文はここに見つかります。)

[原文1】(下の 原文2 に省略無しで繋がっています)(“Saul Bellow Collected Stories” a Penguin book, L 21 on P 255 - L 2 on P 256)
Once a week, in the same cheerful, plugging but absent way, she took off her short skirt and the dirty aviator's jacket with the wool collar and put on a girdle, a dress, and high-heeled shoes. When she stood on these heels her fat old body trembled. She wore a big big brown Rembrandt-like tam with a ten-cent-store brooch, eyelike, carefully centered. She drew a straight line with lipstick on her mouth, leaving part of the upper lip pale.
[和訳1] 週に一度、ウキウキした気分、テキパキした身体の動き、しかし何かに気を取られその時の行為に注意を払うことがないといういつもお決まりのやり方で、短いスカートと毛羽のある襟が付いた皺だらけの革ジャケットを脱いで、ガードルを着けドレスをまとい、高い踵の靴を履くのでした。この靴を履いて立ち上がると、いつも決まって彼女の肥った身体はプルッとひと震えするのです。次には縁の無い、てっ辺にぼんぼりのある帽子を被るのです。その帽子の真正面には10セント均一店で買った目玉を模したようなブローチが付いています。彼女はリップ・スティックで唇に直線を一本引きました。上唇の一部分は薄い赤のままに塗り残すのでした。

[原文2](“Saul Bellow Collected Stories” a Penguin book, LL 2 - 11 on P 256)
At the wheel of her old turret-shaped car, she drove, seemingly methodical but speeding dangerously, across forty miles of mountainous desert to buy frozen meat pies and whiskey. She went to the Laundromat and the hairdresser, and then had lunch with two martinis at the Arlington. Afterward she would often visit Marian Nabot's Silvermine Hotel at Miller Street near skid row and pass the rest of the day gossiping and drinking with her cronies, old devorcees like herself who had settled in the West. Hattie never gambled anymore and she didn't care for the movies. And at five o'clock she drove back at the same speed, calmly, partly blinded by the smoke of her cigarette. The fixed cigarette gave her a watering eye.
[和訳2] タレット(装甲車両・亀の甲羅)の形をした彼女の車、そのハンドルの席に座ると、彼女は一見規定道理の動作に見えるものの危険なまでの高速度で、冷凍ミートパイとウィスキーを求めて40マイル先の街まで砂漠の山の中を突き抜ける道をすっ飛ばすのでした。まずは貸洗濯機店に、美容院、次にはアーリントン食堂でマーティニ2杯付きの昼食です。その後よく通ったのは貧民街近くのミラー通りにある、シルバーマイン・ホテルです。そこにはいつもマリアン・ノボットが居たのです。そこでその日の夕刻まで同じような仲間、自分同様の高齢離婚女性たち、東の方からこの西部に流れ着いた人たちとゴシップ話とお酒に時間を過ごすのでした。ハティは今ではギャンブルを卒業していたし、映画にも関心はなかったのです。5時になると腰をあげました。あのすごいスピードで車を走らせ家に向かうのでした。ジッと黙り込んで運転するのですが、時には煙草の煙が目に当たり視界を邪魔しました。また置きタバコからの煙で涙を流すことにもなりました。

3. この鉱山跡の近くの村の住人達は何の為に生きるかを考える基礎となる知識を外に求めない愚を象徴

V. S. Naipaul が扱う主題、Naipaul の主張、その一つは若い頃、そしてその後も続けるべき学習の重要性だと私は思っています。ミグエル・ストリートの住人たちの呑気な暮らし、低レベルの争いを見てうんざりし、このトリニダードの街を脱出、ヨーロッパに向かう主人公の話が当にそうです。また、ソール・ベローがこの作品集にある多くの作品において描き出す登場人物の馬鹿さ加減は、旧くからの慣行・習慣、そして宗教を否定するだけでは足りず、それに変わる善なるものを一人ひとりが一生を掛けて求め探し続けるものだと主張するための悪い見本なのだと捉えて、私はベローの作品を楽しんでいます。
  前述の書評氏の方々のような視点には正直、全然気付いてはいなかったのです。石川真澄氏の『生が死となり、死が生となるという仏教的な生死一如の公式』とする見解、「ミグエル・ストリート」の解説・感想の著者の『欧米の読者へのうけを狙って「ユーモアとペーソス」によって偽装している』とする見解、こんな見方があるとは驚きでした。Folly(愚行)、Absurd(ばか・不条理なままの人間)、Absurdity(不条理)と言った言葉が実存主義に関わって使われますが、その使い方で意味するところの「Absurd・バカ者」の姿・生き方をこの短編の登場人物は演じていると私は理解し、ベローやナイポールを読んでいます。もう一つ言えば「異邦人」の主人公、ムルソーもこの役割を与えられているのです。

4. Study Notes の無償公開

"Leaving the Yellow House" の全文に対応sる Study Note を以下にダウンロード・ファイルで公開します。