運の話。
運はみんな平等に与えられていると思う。
でも、実際には、差があると感じる。
それも、かなり、大きな差があると思う。
運はみんな平等に与えられていると思いたい。
それは自分が損をしたくないだけかも知れない。
だから僕は、平等に与えられていると思う。
運という言葉は、曖昧だし、分かりづらい。
だからこそ無限に解釈が出来ると思う。
それに自分本位な物だから、基準も自分の中で勝手に決めることができる。
それも、その時々によって、自在に。
だから僕は、「運がいい」。
基本運が悪い時はない。
でも、それでも時には「運が悪い」時もある。
運は無限の解釈が出来る。と思う。
僕の運は「運が悪い時」先行型である。
運が悪い→運が良い
のような仕組みになっている。
それは、
運が良い→運が悪い
には、ならない。
絶対にならない。
けれど、
運が良い→運が良い
はありえる。
普通にある。
なくては困る。
「運が悪い」は突発的である。
運が良いには何も関係ない。
そして、「運が悪い」が来ると「運が良い」が必ずやってくる。
だからこそ、どれだけ運が悪くても耐えられる。
ちなみに、「運が悪い」は重なっても1以上にならない。
「運が良い」は重なれば1→2→
となる。
だから運が悪い→運が悪いはない。
それは1でしかない。
暴論かも知れない。
ただ、自分の解釈は他人のためにはない。
何事にも自分なりの解釈を持つことは、自分の人生を生きやすくすると思う。
それは曖昧なものに対しては、絶大な効果をもたらす。
それはいつどんな瞬間に、解釈が変わっても良いと思う。
他人の影響でも、自分の影響でも。
自分の解釈は自分だけのものであり、それこそ曖昧であるべきかも知れない。
曖昧なものに曖昧な解釈を、持っていることで様々なことに柔軟になれると思う。
自分勝手に生きれば良いと思う。
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