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ココロウチミニ

 悲しみとは遥か無縁であるようで、ここまでの人生振り返ろうかと。そこまで深い海には見えないものが、どこまで続いているかわからない。ということが分かると、私は悲しむと感じる。  昔のことなど何も覚えてはいない、新しいことを知りたいったことでもないが。今を生きることで一杯なのかも知れないし、私は過去を何も気にしていないらしい。日々過ごすだけになると、そんな日が続けばそこから目標はないと明日が不安になる。そんな日々は思い出すことなく生きていると。  楽しむと同じく欲があればいいが

    • 男女の友情と挟まるカニカマ。

       定義はわからないけれど、人よりも友人は少ないような気がするし、悲しい。友人の中でも、本人を目の前で友人かどうか問われれば、即座に、尚且つ自信を持って返答できるような気はしない。  友人指数があれば、楽なのかもしれない。けれど、数値化できないものほど、強い友情かもしれない。なんとなく、人の嫌いを好きになることは美しいことだと思う。多少の愛は必要で、でも愛はいらない気がする。  ある日、「珈琲は黒くないのかも知れない」とあの人は言った。私は黒いと思う。  珈琲は光を通すのだか

      • 猫と私、いつになく笑顔。

         寝起きはよく、昨晩の不安はない、目覚まし。時間はある、乳酸菌。いつもどおり、いつも通り。水はいつもよりもぬるく、流れる身体、少し強張っているようで、血が流れている。ようで。いつもどおり動く、不安はなく、明るい。白線はいつもより白く、生きる花は道の真ん中、切れている。生きている。  開く。子供の泣く声さえ、気にせず、揺れた身体から伝わる振動にだけ集中している。心はどこか、と、問いかけることは、私を正常にする。狭い、腕にあたる肉は、平常心を揺らす。気にしない。音楽、流れる。集中

        • 有給休暇メルカリで売りたい。

          トマトが木になれば夏は赤くなって綺麗だけど、それは林檎で事足りているのかも知れないし、それならいっそ葉の方が赤くなれば良いけどそれは紅葉。 適材適所だけど、そもそもトマトの出生に美しさは誰も求めてないと。青(緑)から赤なんて林檎も唐辛子も苺もそうでそれにはもう誰の感情を動かす力もない。 信号てのは味こそないけど、そこに黄色を挟むわけだからその特殊性ゆえに人を従わせるほどの力があるんだと思う。信号考えた人は粋。その頃にはもう緑の概念はあっただろうに青信号だし、今は青いのかも知れ

          昨日、どこで聞いたのかはわからないけど。 誰が言ったのかはわからないけど、明日は雨が降ると思っていた。 天気予報なんて、見ないけど。 部屋にTVは無いし、PCはYouTubeだけを垂れ流している。 今日の帰りはきっと雨が降っている。そう感じていた。 まだ外には出ていないけど。 布団からは出たく無い。 目は覚めてる。もう寝ない。 カーテンはまだ開けていない。 なんとなく、外は晴れているような気がしていた。 今日はいつもより起きるのが早かったらしい。 珈琲。 財布や

          カネコアヤノ

          カネコアヤノのことは何も知らないし、会ったこともないけれど。 カネコアヤノをよく聴いている。 聴くたびに、いろんな感情を感じ取れるし、いろんな感情を持てる。 自分の感情がわかる。 それは、はっきりとしたものではないけれど、そこに感情があることがわかる。 同じ曲でも、いろんな感情がある。 同じ日でも、いろんな感情がある。 そのうち、カネコアヤノを通さないと自分の感情を見つけることが、できなくなるかも知れない。 今年、一人暮らしを始めた。 友達と会うことも少なくなり、

          カネコアヤノ

          運の話。

          運はみんな平等に与えられていると思う。 でも、実際には、差があると感じる。 それも、かなり、大きな差があると思う。 運はみんな平等に与えられていると思いたい。 それは自分が損をしたくないだけかも知れない。 だから僕は、平等に与えられていると思う。 運という言葉は、曖昧だし、分かりづらい。 だからこそ無限に解釈が出来ると思う。 それに自分本位な物だから、基準も自分の中で勝手に決めることができる。 それも、その時々によって、自在に。 だから僕は、「運がいい」。 基

          運の話。

          眠れない日

          時々、眠れない夜に出会う。 目が覚めると、眠った瞬間の記憶がないことに気がつく。 眠れない夜は、いつも眠る瞬間の記憶を搾り出そうと思うが、そんな記憶どこを探しても出てこない。 目が覚めると、眠った瞬間の記憶はないことに気がつく。 疲れが溜まっている時は、すぐに眠れることがある。 疲れていても、眠れない時もある。 昔は、眠れない時には自分の想像の中で起きることで、眠れない恐怖から逃れていたような気がする。 しかし、今は耳元にある板を手に取り、現実の中の非現実に自分を投

          眠れない日

          成人 50万円失った僕 春

          20歳になると、大人により規制されていた物が、自らの判断で選択することが可能になります。 それは自己責任であり、誰も止めてはくれません。 その選択肢が、「20」という壁を境に、以前から存在していたかのように自分の手元にあることは、不気味であり恐怖も感じます。 昨日まで、そこになかった物が突然やってきて、周りの人間はさも当たり前かのようにそれを受け入れている訳です。 タイトルにもある通り私がその大金を失った理由は、「20」という壁を超えてしまったからです。 それは自然の摂理

          成人 50万円失った僕 春