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【考察】Tempalayの『NEHAN』は現代の念仏である⁉

僕の大好きなバンド、Tempalayのニューアルバムが来る5月1日にリリースされる。
タイトルは

((ika))

イカである。

イカ⁉
うん、おそらくあのイカである。

括弧で括ったりアルファベットで書くことでスタイリッシュになっているのだが、最初に思ったのは「なんか記号っぽいな」である。
Sigur Rosの『()』とかサカナクションの『kikUUiki』っぽさが何となくあり、プログラミング言語っぽさも感じる、そんなタイトルである。

また、上記の2枚のアルバムに共通するのは、名盤ということである。
これをきっかけに人気も爆発、というようなそんなアルバムの印象だ。
Tempalayに関しても、人気は右肩上がりのタイミングだし、プロモーションも力が入っているので、このアルバムを機に爆発してくれることを願っている。


そして、このアルバムの収録曲からは終始「仏教っぽさ」を感じる。
前々から曲のあちこちに仏教っぽさは感じていたが、このアルバムには『(((shiki-soku-seku)))』や『NEHAN』という曲があるなど、仏教っぽさ前面に出ている。

そんな収録曲の中から『NEHAN』のストリーミングおよびミュージックビデオが先行公開されていた。

ぜひ皆様に聴いてほしい、めちゃくちゃかっこいい曲だ。
テクノ系の音がTempalayの新たな引き出しって感じがするし、ちゃんとTempalayっぽさもあるし、仏教っぽさもある。そしてとにかくカッコいい。
今もめちゃくちゃリピートしている。

曲名の「NEHAN」は十中八九「涅槃」だろう。
涅槃とは「すべての束縛から解脱すること。不生不滅の境地に入ったこと」や「お釈迦様の死」を表す言葉だ。
その言葉の通り、ミュージックビデオは単純に「悟りの世界」って感じもするし、サビでお釈迦様と弟子が音楽に乗ってワイワイしているところは、完全に涅槃図の構図だし、極楽浄土そのものにも見える。


そして、このミュージックビデオでは、左右対称の構図が非常に多く、また中心にオブジェクトを据えた幾何学的な配置も多く見られる。

これは曼荼羅をイメージしているのは間違いないだろう。

曼荼羅とは、密教の世界を視覚的に表現したものとされている。
空海が活躍したような時代、仏教の世界にアクセスするために曼荼羅を用いたわけだが、TempalayのMVはそれを現代に甦らせたといえる。
つまり、この曲自体が仏教の世界観を表しており、仏教の教えを我々に伝えるための音楽であり、さらに言えば我々の音楽こそが現代の人々の救いになるという意思表明にもなっているのではないだろうか。


仏教の教えを伝える媒体が音楽というのも面白い。
お経は結構韻が踏まれていたり、木魚を叩きながら読み上げたりと、音楽的な側面も多くある。
もしかすると般若心経など昔はヒップホップ的な存在だったのかもしれないと考えると、音楽と仏教は親和性が高い。

それに、仏教の教えを広く広げる媒体として、音楽や踊りというのは昔からよく用いられてきた。

平安時代ほどの昔は一部の人間しか縁のなかった仏教の世界だが、世間の社会不安が増すにつれ、浄土真宗や時宗といった単純化された宗派が登場した。
浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという教えや、時宗の踊念仏は、文字の読み書きができない農民たちにも分かりやすく、広く浸透していった。

これは現代でも変わらない。
現代で仏教の教えに興味を持っている人はほとんどいないけど、音楽はほとんどの人が聴く。
そんな衆生にも有益な教えを広めるには、音楽に乗せるというのが今でも最も効果的な手段なのだ。


浄土真宗の「南無阿弥陀仏」に関していえば、その言葉に意味があるというよりは何度も繰り返すことで強制的にゲシュタルト崩壊を起こし、無我の境地に至らしめる狙いがあるのではないかと、実験寺院・寳幢寺(ほうどうじ)僧院長の松波龍源氏は語っている。

念仏を唱えるのは、自分から自我を抜いていく精神行為ではないでしょうか。
ずっと唱えているうちに、南無阿弥陀仏とは自分の心の中にいる阿弥陀さんなのか、自分自身なのか、もうわからなくなってくる。強制的に自分の存在がメタ化され、結果的に、いつもにこにこ穏やかに南無阿弥陀仏を唱えられるようになる。

https://newspicks.com/news/6251549/body/?ref=search

そういう観点で『NEHAN』を聴くと、歌詞は正直聴き取れないし意味もあまり分からないけど、とにかく口ずさみたくなる音楽だ。
これはつまり、「頭を使わずただ音楽に身をゆだねよ。そうすればその瞬間は全ての煩悩から解放される」という衆生への救いを目的に作られた歌なのかもしれない。

実際、歌詞を見てみると、

意味すらもう死んだわ
始まりの実りさ
絵になるほど
消せない本能

ta-ta-ta-ta
・・・・

とある。
やはり歌詞自体に意味はあまりなく、「頭とか使わずに本能のままにリズムに乗れ!(音楽は煩悩じゃなくて本能だから安心しな)」というメッセージが込められているように感じる。
それがメッセージだけじゃなくリズムや音も本当に心地よいのがTempalayの憎いところだ。

そんなTempalayの音楽は、まさに現代の念仏と言ってよいだろう。

めちゃくちゃいいアルバムになりそうな予感がするので、みんなチェケラ!


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