本音で喋ると会話にならない【発達障害社会人】
こんばんは。ひさかたと申します。
深夜の記事です。
書き出しといてなんですが、いいことにはならない気がします。
今回は久し振りに、脳みそから出てくるままに文字にしてみようと思います。
社会人2年目、発達障害の診断から5年が経った私からみると、この社会は生きづらいです。
例えば以前呟きに載せていた「地元の高校を題材にした短編」一応完成させました。
でも親に「面白いけど、世には出せないシロモノ」と言われました。事実に基づきながら書いたら、基づきすぎだと注意を受けました。
私たちの周りには『あいまいな境界線』が広がっています。
私は現在塾の講師のパートをしていますが、終了時間まで生徒の授業時間が入っているとその時間までは教えたいと思います。
でもそうすると後片付けや日報記入などが時間内には到底おわりっこありません。
これは制度が悪いとか残業代がでないとかいう話ではありません。他の先生に確認を取ると、生徒の授業を5分ほど前に終わらせて、日報などの準備を5分でしてしまうのだそうです。
それを聞いて5分前に終わろうとしたら
「このプリントは終わらせたいです!」
その言葉にかえって5分延長することになりました。
時間というのは目に見えないし、切って置いておけないし、不便です。
私は時間管理が一番苦手です。
今日は祖父母のことで親と言い合いになりました。
介護や面倒をみることで親がみるみる磨り減っているのをみていることが辛かったんです。
祖父母の認知症予備軍では、まともな判断はできないと思われるが会話などは問題ないため公的な手段は使えない。
「だからって祖父母の面倒を1から10までみなくてもいいでしょ!」
心配が矢になって親を突き刺しているのは分かっていました。でも、今のうちに止めないと、親の方が参ってしまう。だから
そんなに責任を感じないで欲しい。
そんな願いを込めて、言葉を連ねました。
でも、届きませんでした。
「あんたはおじいちゃんおばあちゃんを見捨てろってことなの?」
違うと言っても言葉を重ねても
「あんたが何を言っているのかわからない」
その言葉しか帰ってきませんでした。
言葉は、言語のレベルで異なると他言語といって異なる言葉を用います。
でも今日の親と私は同じ日本語を喋っていましたが、決定的に「言葉が通じていなかった」。
言葉は一見便利で、簡単に意志疎通ができるような気がしてしまいます。
でも、言葉だけのLINEや手紙、メールよりも声のある電話の方が伝わるように。電話よりも顔がみれるテレビ通話やZoomの方が伝わるように。
言葉だけのやりとりでは、時には対面でさえ通じなくなる。
おかげで私は相手に通じる言葉はなんなのか考える癖ができた。
そのおかげで、大抵の場合において意志疎通に問題はなくなった。
でも未だに家族と油断して頭にあるままの言葉で会話をすると、今日のように通じなくなってしまう。
私はこの働きを勝手に『翻訳機』と呼んで大切に育ててきた。
私は周囲の「あたりまえ」が小学校に上がる前から分からなくて考えていた。
そのおかげで、『翻訳機』のレベルはなかなかに高いと自負している。
それはどのくらいのレベルかというと、重度自閉症で会話が難しい相手と、お互い楽しく会話を楽しめるくらいのスキルはある。
(これは後に他の人がその人の伝えたいことを汲み取れないことで、初めて相手が「言葉」を使っていないことに気づいた)
一対一なら言葉なんか使わなくても意志疎通できる。
それなのに、定型の社会人相手じゃ言葉を使うがために、余計拗れてばかりだ。
私の「言葉」に関する考察は、また改めて。
この話題に興味がある方はいいねやコメントを頂けると嬉しい、です。
おやすみなさい🌃