沈む社会と心
覚えていたい、忘れかけている幼心。
忘れたくない、消えていくむかしを。
抱えていく矛盾と責任、荷物が増えた社会人のストーリー。
忙しなく帰路を駆ける革靴、もう何度目だろうか。
8号車の4番、これに乗れば最寄りホームのエスカレーターが目の前。
ロボットのように列を作り、前から順番に電車へ乗り込んでいく。
この瞬間、個が個たらしめる存在ではなくなることを痛感させられる。
暖かいとは言い難いワンルームの部屋へ僕を運んでくれる電車に乗り込み、たまたま空いている1席に急いで腰を下ろす。
座れた人と座れなかった人、それぞれ面持ちが全く違う。
しかし、そんなことに気を割いていられるほど心は平穏ではなかった。
「明日の準備をしないと」「何時の電車に乗ればいいんだろう」「資料はこれで大丈夫なのかな」「夜ご飯は何を作ろう」「遅刻したらどうしよう」
社会なんて、こんなもんか。
何も考えずに生活できていた今までは全てこの人たちのお陰だったのか。
見かけや年収、いくつかの妥協と向上心で勝負するのが、社会人か。
そんな卑屈なことを考えながら、また1つ、心が深くに沈み、痛む。
失恋や、部活動の試合で負けた時のような、あの感覚ではない。
ゆっくりと身体が圧迫される、鈍い痛みだ。
視えているものに必死にすがりつかなければいけないこの生活。
嫌だと抵抗することにも疲れてしまう。だから、繰り返す。
前方で揺れている吊り革を眺めながら途方に暮れていた。
「生きるって、こんなに大変なんだ」
自分の中で言葉を結んだ刹那、電車が急に止まった。雷雨の影響で一時ストップするらしい。小さな舌打ちとため息が一斉に車内にたち込める。
その時、なんとも言えない悪寒と緊張が体を支配した。
今、この瞬間、僕は繋がってしまった。ここにいる人たちと。
この空間にいるものは、みな疲れている。
違う、こんなはずじゃない。僕はこんな人間じゃない。
そう言い聞かせてみても、否定できる材料がどこにもない。
考えることをやめてしまいたい。一部になってしまいたい。
そう思った時、ふと母の言葉が頭をよぎる。
「なりたいものになれた時が、人生最大の3つの幸せの一つ。なれなかった時は永遠にやってこない。いずれなってしまうから。でも考えが変化していくと、幸せの比率は劣化していく。だから、変わらない勇気を持ち続けなさい。それが、どんな勇気よりも一番大切なこと。」
僕に変わらない勇気はなかったのか。
周りが大人になって、お金を稼いで、家族を持って、焦燥感に苛まれる。あの日公園で話した夢の続きは別の人の物語になっている。あの日彼女の家で熱く語ったことは、別の誰かが叶えてる。
いつの間にか僕の勇気はそこかしらの誰かに見せる勇気になっていた。
確かに時間は待ってくれない。だから、現状から少しでも良くなるために日々レールの上を走っているんだ。少しずつ、少しずつ。
だけど、こんな世の中だ。変化に対応しすぎて、自分がどこにいるかわからなくなってしまった。
だから、少しずつ戻って行こう。
人生は、僕たちが思うほど短くはない。
なんのために生きているのか。
答えなんてないよ、この一言でどれだけの人が傷ついているか。
きっと見つかるんだ。生きていれば。
いつの間にか知らぬ駅に到着した電車を降りて、僕は改札を出た。
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大学休学中。海外飛び回って今はポルトガルにいます。 世界中の人と死生観を語りながらバイトでアイスクリーム作ってます。