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人生とは、放物線の両端である

職業柄、人が死ぬところばかり見てきた

救急車

大げさに瞬く赤い光と、120デシベルのサイレンを放ちながら、連なる車をこじ開けるように進む

治療用の機械が敷き詰められ、殺伐としたその狭い空間が、僕の職場だった

そこでは数えるのが億劫になるほど、
頻頻に〝他人の不幸〟を搬送した

僕が働いていたのは市の人口が10万人に満たない田舎だったが

それでも年間3000件以上の救急出動があり、その数は年を重ねるごとに増えていっている


おかげさまで(?)緊迫する現場にも慣れてしまった

慣れというのは本当に怖い

凄惨な現場を目の当たりにしすぎてしまって、目の前で人が卒倒しても何も感じなくなってしまったから

自分の心や感情ってものが、
消しゴムのように少しずつ擦り減って

いつかなにも無くなったしまうのではないかと心配になることもあった

もちろん、この仕事をしていてよかったと感じる瞬間もあった



心肺停止状態

無我夢中で心臓マッサージをした人が、
救急室のストレッチャー上でまた自力で手足を動かしているあの光景は

何にも形容し難い達成感とやりがいを与えてくれた


他の何よりも生命を感じる瞬間だった
命は本当に、美しく尊いものだった

でも、現実は残酷だった


助けられない人たちは、助かる人の何倍、
いや何十倍もいた

心肺停止状態からまた心臓が正に動き出す人は100人に1人2人


社会復帰できるまで回復する人はそこからさらに絞られた

判断を誤ったり、リソース不足が原因で
助けられないなんてこともあった


どれだけ死力を尽くして治療しても、
助からない命が大多数を占めた

これが現実か、、、と、

悲しみと無力感に苛まれながらも、助けられなかった命たちは多くのことを教えてくれた気がした

名もなき故人たちに代わって伝えたい


人はどうやって人生を終えていくのかを


そのサンプルが集まりすぎてしまったため、
人生が何たるものなのかを
書いてみることにした




結論、
人生の本質とは、

________
「放物線の両端」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
なんじゃないかと思う


人の亡くなり方に、一つとして同じものはなかった

でも、一定のパターンはある気がする




忘れもしない

その日は地元で有名な祭りが行われていた

巨大な木製のタイヤがついた4トンの重さがある神輿を引っ張り歩くお祭りだ

夕方、祭りのボルテージが盛る時間帯
消防署に出動の指令が鳴り響く

〝20代の男性が神輿に轢かれた〟とのこと

男性は左足、骨盤、右胸と、
身体を対角線に轢かれ負傷していた

胸部は全体に内出血が広がり、
骨盤は不自然に開き、
足は履いていた足袋を突き破って骨や筋が露出していた

男性は明らかに悪童、破天荒といった、ヤンキーを象徴するような風貌だった

アルコールが入り、祭りの雰囲気もあって、
驕慢を放ちながら神輿を引いていたのだろうと
偏見ながら想像した

覚束なくなりつつある足取りを見て見ぬ振りをし続けた結果、転倒しそのまま神輿の前輪、
そして後輪が順に体上を通過


僕ら救急隊と病院はついに男性の命を繋ぎとめることができなかった

未来を多く残した若者を救えなかったこの事案は痛惜を極めた経験となった




そんな吐き気がするような光景を何度繰り返し味わっただろう




そして、

おおよそ、亡くなり方というのは、
生き方に比例しているように思えた


ゴミ屋敷で生活している人は、
若くして病死するし

身の安全を考えずに軽自動車に乗る人は、
事故に遭ったとき潰れたバンパーに足を挟まれ

人に相談することが苦手な人は、自ら命を絶つ


生き方がそのまま人生の終わり方を表しているようにしか見えなかった


未来の結果は、
今の行動の延長上にしか存在しえない


救急現場ではそれを如実に感じた


今取った行動は未来に〝キャンセル不可〟で
反映される

投げた石はもう誰の支配も受けずに地面までの放物線を描くように…


この法則を、「放物線の法則」とでも呼ぼうか

言わずもがな
いい意味においても、その法則は機能する


行動の結果はすでに未来に反映されている

いいことも悪いことも全て



投げて手から離れた石は、もはやコントロールの及ばない領域にある

投げる方向
力の入れ具合
石の重さ
風向き

これらの要素が確定し、投げた瞬間に落ちる場所は決まる


泣こうが喚こうが祈ろうが、
一度手から離れたら、
もうその石が落ちる瞬間までを眺めるしかない


人生も同じ


今日の行動が未来の結果を生む

今日の行動が幸も不幸も作る

今日の行動が人生の終わり方を確定する




だから、今日をどう生きるか

それは未来の自分そのものである



未来に目標を定め、
毎日そこをめがけて石を投げ続けること


これができるのかできないのかで、
人生の勝者と敗者に分かれる


勝者になる人は、
一点をめがけて石を投げ続けられる人

方向を変えたり、力を抜いたりしては、
目標の場所に石は積みあがらない


1日に投げられる石は1つだけ


疲れたから今日の分は明日投げるとか、3日分貯めたから今日は3個投げるということはできない


時間も命も労力も貯金できないから



今日与えられた24時間は、今日しか使うことができない


今日は暇で20時間しか使わなかったから、明日28時間!ってことにはならない

時間だけは貧富の差も能力も関係なく平等に与えられている

与えられた権利を毎日必ず使い切り、目標に向かって石を投げ続ける


1日の変化は小さい

石を一つ投げようが、投げなかろうが、目の前に広がる景色も生活も何ら変化しない


ただ、それが何年、
何十年と積み重なったとき、


僕らが持ち続けた強い〝意思〟は、
力強くそこに築き上げられている


人生は、放物線の両端


今と未来を結ぶ見えない放物線が架かっている

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