以前読んだ本の感想「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」
ソニーが世界初を目指して、生き生きとしていた時代、盛田昭夫氏にあこがれて入社。厚木の情報処理研究所へ配属。その部署での開発機器の古さに危機感を覚え、アメリカ留学を決意。VLSI設計の最先端を学び帰国。問題意識をもち働くなか組織と対立し、本社スタッフ部門へ。その後、VAIOのデスクトップを担当することになる。世界でもっともつまらなくて儲からないビジネスを事業部長として取り組むことになった。不採算部門をたてなおすため、日本一になることをめざすことになる。当たり前のことをしてもだめということで、当時まだすくなかった液晶ディスプレィと組合せ、オーディオ、ビデオの技術を取り入れたものにした。技術開発だけでなく工場や営業拠点をまわり、現場を理解した。そして、開発した製品がヒット。
その後、TV部門へ。ここでも、コクーンやスゴ録を開発し、事業を発展させる。さらにデジタルコンテンツ技術開発のヘッドという立場へ。そして、iPodとiTunes対抗のウォークマン開発。事業が成功するたびに、別の部署にまわされている。できる人を難しい部門にまわして、立て直してほしいというトップの意向なのかもしれないが、これでは、当人は大変だったろう。
また、製品をヒットさせるために、考え抜いたアイデアを上層部に説明したとき、その反応が筆者を唖然とさせている。世界初を狙っていたころのソニーは、どこへいってしまったのか。
インターネットでの音楽配信を始めたのは、ソニーだった。しかし、著作権保護のため、使いにくいものだった。その後、インターネットでのMP3フリーダウンロードが流行し、音楽業界がこまっていたところ、アップルが有料音楽配信(iTunes)を始めた。これがヒットした。
筆者は、2006年3月に、22年間働いたソニーを退社する。そしてグーグルへ。ソニーでは、なかなか実現しなかったネットのなかに新しい収益源をみつけだすというテーマはグーグルでは、日常の話となっていた。そして、グーグル日本法人のトップへ。そして社内改革を行う。顔が見えないという声にこたえるため、説明責任をはたすこと、縦割りで、各ファンクションごとに、アメリカ本社にレポートする形になっていて、日本法人を横の切り口でみたときに連携がよわかったのでその連携強化などなど。
その後、アメリカ本社の日本法人に対する考え方がかわったため、退社。
さらに、みずからの会社を設立されているようだ。
濃密な人生を送られていると思う。この本で一貫して主張されているのは下記だと思う。
「変化の激しい時代だからこそ、変化を恐れて何もしないことのリスクの方が大なることを我々はいつも肝に銘じておかなければならない」
<著者>グーグル日本法人前社長
辻野 晃一郎氏