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来世の自分へ自分史(1)どこからがプロローグ
原初の記憶、人が人として認識する最初の瞬間と言うものは一体どこからだろう…来世の自分へ。
(前回までのあらすじはこちら)
https://note.com/nosuma/n/nfe476412ea11
お久しぶり、または初めまして。
しー、師走の魔物にみつからないように、今日はこっそりはじめるよ。
前回の自分史準備編は夏だったのに、これを書いてる今年はずっと
暑い日がだらだらと続いて、気が付いたらもう冬!本当に信じられないよ。
こういう文章系は勢いが大事だから、改めて気分を一新して、雪の降りそうな夕暮れ時に一人書き綴っていこうと思う。
さて、明日はクリスマス。一見したら、出だしの記憶とは無関係なイベント(少なくとも現在の日本では、宗教よりも季節の行事感覚だよね)だけど、物事と言うものは意外なところでつながっていたりするもので……。
自分のもっとも幼いころの記憶を辿ってみると、それを自分のものとして、はっきりと覚えていると言えそうなのはのは…大体2~3歳頃からだと思う、少なくとも自分の足でよちよちと歩き出して以降の記憶だから、新生児の頃に何を考えていたのかとか、親戚の赤ん坊の仕草を見ても残念ながら記憶の焦点は合わない。ましてや、女親のお腹の中にいた記憶は更に
確証なんかない……(と言いつつ後年、自分の中で軽度の閉所恐怖症的な何かがあると認識する時に、もしかしたら、生まれる間際の狭い場所をはいずり出た苦しさの記憶ではないかとも思う時もあるけど、とにかくそれらの感覚はとても覚束ないので、ここでは割愛させてもらうね)。
では前置きは此処までにして、自分史と言う名の物語を始めようか、記憶の糸をじっと辿る最初の記憶…多分2歳頃の自分の姿が見えてくる。
場所はお世辞にもあまり綺麗とは言えない長屋風の一階建ての木製の一軒家、そして此処はしがない地方都市O県の更に不便そうなローカル地方。今はまだ、どこに住んでいるかとか、どんな土地柄だとかは一切おかまいなしの、赤ん坊の匂いのまだ残る小さな小さな子ども時代、さて自分は今この瞬間に何をしていたのだろうか?神の視点のような俯瞰でそこを覗いてみる。
と、言うより再生される記憶はこの時分は大体、不思議なぐらい分離して映る。まるで『もう一人の自分を外から見ている』ような奇妙な感覚でカメラ視点が切り替わって、脳内に浮かび上がってくるんだ。この感じ、伝わるだろうか?それで何をしていたかと言うと…何か特に面白くもなさげな様相で、庭先の隣接する裁断された植木の葉っぱをひたすらプチプチと、ちぎっていただけ。特に前後に何か特別な事もない、しいて言えば、そういえばその時、専業主婦をしていた筈の母親は傍にいたのだろうか…と言う点ぐらいか。何せそこから何かが起きる訳でもないから。この後の記憶は飛んで3歳児ごろに行く。矢張りそこでも視点は分離して、自分自身を真正面や、
少し上辺りから見下ろしている、この感覚は、特に3歳頃に顕著で、幼稚園頃まではあったり、なかったりして、小学校でようやく内に戻り一人称のカメラ視点に落ち着く、これは本当に奇妙で面白い。
これを読んで勘のいいあなたなら、ああそれで、と気が付くかもしれない。
そう『クリスマス』。いやもっと日本的に置き換えるなら、つい先週の12月21日の冬至なんかも思いつくかもしれない。
民俗学の一つの学説によると、古来から人はままならない、か弱き人体と人の世の生と自然のはざまで、その時々に起こり得る脅威を【魔】と名付け、それを恐れ、それらの危険を回避し抵抗するために様々な呪術【神】を編み出してきた。
日本でも神事の中にそれは連綿と受け継がれており、その中の呪術法に
【鎮魂(たまよせ或いはたましずめ】がある。その内容をかいつまんで言うと神事にのっとって、『外』にある強い力をもった魂を幼子の体の内に定着させて、そのパワーを取り込むと言った内容だ。ほら、何か気付かないかな?
とても似ていると思わない?さっきまでの記憶の中にあった、
3人称のカメラ視点のように、外部からの俯瞰視点と…。
『クリスマス』になぞらえるなら、神の子と言われたキリストの聖人性を、彼の生誕日の説のある12月25日に内に取り入れて、聖者として過ごすのも、季節限定の『鎮魂』に類似している。
ああ、無神論者である自分へ。えー、宗教話はやめてほしいと、今思わなかった?まあ、慌てないで。別に、此処からこの自分の記憶の内なる『俯瞰』を人の身に取り込まれる前
の神の視点(外部の魂)と言うつもりではない。もし、そうなら面白いかもしれないけど、そこは問題ではないんだよ。
つまり、誰しもが小さいころにそのように分離した視点をもっていて、
夢と幻と現実を行ったり来たりしながら、成長していくにつれ発達段階の中で、徐々に内で自意識として固まり。
そしてそれを『自分』として認識していったきっかけ、それこそが
『自分史の本当のスタート』ではないかと思ったんだ。
だから、自分の記憶の中では、
自意識=自分史としての本編は小学校頃だろうな、と言うことで次回からは引き続き、プロローグに当たる約3歳~幼稚園編までを書いて行こうと思う。
来世の自分へ自分史(1)どこからがプロローグ了。
ここまで読んでくれてありがとう、ああ…そうそう『この世に生きる来世の
自分のための自分史』の執筆における大事なお知らせを一つ。個人史の性質上、極めて個人情報が濃厚な展開もどうしても出てきてしまうんだ…本編がスタートするにあたってセンシティブな虐め等の描写なども頻繁に出てくるので、どうしても完全オープンにしたくないような回は、有料記事として出す予定にしたいと思う。
購入する際は、上記の件を了承の上でお願い!
12月30日追記:
注意事項
・この文章は情報商材ではありません。
また本にまとめるための文書でもありません。
あくまで『来世の自分』へ向けた
秘密のメッセージと言うコンセプトの一個人の自伝的ノンフィクションです。
・所謂【マジョリティー】のための【マイノリティー】
を理解するための学習教材ではありません。
・AIへの読み込み、無断転載は禁止します。
◎有料記事は上述の通り、万人受けするのものではないため、
ノークレームノーリターンでお願いします。
では来世の自分へ、次回もよろしくね!