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『憧れ』
神楽坂にある行きつけのパブはお店の最新情報をSNSでマメに発信している。限定入荷のビールやウイスキーにジン、その日のお薦め料理など営業日には欠かさず開店前に発信している。
ウイスキーやジン、それにビールも、僕が知らないものがほとんど。
きっとそれぞれのマニアを喜ばせるものなのかもしれない。
ある日の仕事帰りの電車の中でSNSをスマホで開いた。そのパブの投稿がいきなりPAN AMのエンブレムが貼られたボトルとともに画面に現れた。
そのパブの投稿は、いつもはパッと見てサッと素通りしてしまうことが多い。そのときは目が釘付けになるとはこのことというくらいスマホの画面を電車の中にいることを忘れてしばらく凝視していた。
そのボトルに関する記述に目を通した。ボトルの中身はジンだった。エアラインのラベルが付いたフルボトルのジン。ミニチュアではなくフルボトル。興味が湧いた。
ミニチュアはプラスティックカップでエコノミー。フルボトルはグラスでビジネス、ファーストクラス。気が付くと無意識に区別していた。そのジンのボトルを見て、想像でしかない古き良き時代の機内の景色が目に浮かんだ。
1990年に大学を卒業してアメリカの航空会社に就職した。その当時で20年・30年選手だった大先輩に、「いい食事をしようと思ったら、昔はホテルか国際線の機内だった」という話を聞いた。自分が業界で経験を積み、いろいろと見聞きするに連れてそうかもしれないと後に思った。
全くの想像でしかない古き良き時代のファーストクラス、いや、ジャンボ機ではなく、区分けのない限られた席数の時代のサービスがそのジンのボトルを通して見えるようだった。
乗客がジンを注文する。客室乗務員がいくつかのボトルを抱えてその乗客のもとへ。乗客はジンを選び、飲み方を伝える。そんなシーンにそのジンはあったかもしれない。古き良き時代の国際線の機内でのひとコマ。
僕が航空会社に勤めている頃に見聞きし、いくつか処理を経験した苦情はエコノミーの客からのものがほとんどだった。先ずはジャンボ機のあの席の幅がストレスを生むのだと思う。
どんなに豪華な料理が用意されていてもファーストクラスの乗客はほとんど食べない印象だった。好みのアルコールを片手にチーズを摘む程度。
彼らは現地に着けばいくらでも美味しいものが待っていることを知っているのだ。ゆったりと本を読んだり、体を休めたりして過ごしていた。抗えない飛行時間をゆったり過ごせる時間に変えられるスペースを彼らは航空券を通して買っていたのだった。
昔エコノミーに乗っていた母が到着地で飛行機を降りる際に、カーテンの向こうから先に降り始めている当時のファーストクラスの乗客の上品さといったらなかったという話をいまでもたまにする。よくわかる。
仕事の帰りにそのジンを飲みに神楽坂のパブへ行った。ブリティッシュ/スコティッシュパブにアメリカの航空会社のラベルが付いたジンを飲みに行く・・・不思議な感じがしないでもなかった。いや、パブには自分が好きなものが何でもあるのだと思うことにした。
事前にシェフオーナーにまだそのジンがあるか確かめてから訪れた。先ずはコロネーションチキンを肴にギネスをゆっくりと1パイント。パブにいることを身体に伝える。
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パブが身体に馴染んできたところでそのジンをソーダ割りで出してもらった。ジンのソーダ割り。ジンリッキー、ジンソーダ・・・。
ジンリッキーなのかジンソーダなのか?シンガポールのラッフルズホテル内のライターズ・バーでの楽しかったひとときが目に浮かんだ。
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美味しいジンだった。恐らく普通のジン。ひとくち飲んだときに様々なストーリーや思い入れが浮かんできたからか普通以上だった。
そのジンを飲み進めるに連れて、自分の中のPAN AMに纏わることが次々と思い出されてきた。
隅田川に架かっている新大橋のそばにかつてPAN AMのネオンがあった。亡き父は海外から羽田空港に着き、帰宅の際のタクシーで新大橋を渡りながら右手にPAN AMのそのネオンを見ると、日本に帰ってきたなと思うと生前よく言っていた。1970年代の話である。そのネオンは僕も薄っすらと覚えている。
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勤めていた航空会社の先輩が1992年頃に、PAN AMのマグカップを買わないかと言ってきた。PAN AMファンの有志たちで作ったものらしい。確かひとつ1,000円くらいだったので義理で買った。そのマグカップは一度も使うことなくずっと自家用車のトランクの中で眠ったままだった。
それから15年くらい経ったときに、未使用のまま食器棚に眠っていたそのマグカップを、いまはもうない当時行きつけだったバーの航空マニアのオーナーにあげてしまった。
1991年にPAN AMはその長い歴史に幕を下ろした。いまから33年も前になくなった会社のロゴもエンブレムも、2024年の今日も全く色褪せることがない。PAN AMのロゴやエンブレムの付いたものはいまでも作られている様子。インターネットなどで見かけることが少なくない。僕の手元にもある。
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生前大変お世話になった作家の故百瀬博教さん。百瀬さんの事務所兼執筆部屋にはPAN AMのブリキの模型とショルダーバッグ(現在はエアラインバッグというらしい)があった。著書の一冊にそのカラー写真が載っている。現在その両方ともアンティークとして大変な価値があるはず。いまはどこに?
エアラインバッグといえば、父も日通からもらったものを亡くなるまで海外旅行の際はずっと使っていた。海外に行き始めて間もなくの頃からだったから30年近く使っていただろう。一緒に旅をする母の眉間に皺が寄るほど傷んでいたがずっと使っていた。そのバックとともに旅をしてきて無事故で帰ってこられたので、父なりの験担ぎだったのかもしれない。
昔は航空会社も旅行代理店も利用者にはロゴの入ったエアラインバックを出していた気がする。クイズ番組でハワイ旅行を獲得した優勝者に、航空会社のロゴが入ったエアラインバッグを客室乗務員のユニフォームを着た女性が渡しているシーンを子供の頃に何度も見た覚えがある。
PAN AMは海外旅行に手が届きそうで届かなかった時代の人たちの憧れだったのではと思う。当時のエアラインバッグを今風に復刻して結構な値段で売られているのを見かけた。我々の大先輩の世代の方々が買うのだろうか。
今回の話のテーマがいまは存在しない航空会社の話だったせいか、もうお目にかかれない方々や長いことご無沙汰している方々にまつわる話が多くなってしまった。この話の仕上げにかかった時期が8月の中旬で、お盆のシーズンと重なったせいかもしれない。
書き終わった。毎回一話書き終えると気持ちの昂りが結構強くなる。なかなか眠れないほど気持ちが昂ぶる。
神楽坂へ行ってPAN AMのジンを飲んでクールダウンをしよう。ジンをひとくち含んで目を閉じたときに浮かんでくるのは、想像でしかない古き良き時代の国際線のファーストクラスの風景か。それとも、この話に出てきた懐かしい方々か。すっかり忘れていた方々も登場するかも。
神楽坂のパブに行く途中には曾祖母と祖母のゆかりの場所がある。パブを目指す途中、神楽坂を行き交う人たちの邪魔にならないように、そこでは必ず立ち止まるようにしている。いつものように立ち止まって心の中で元気でいられる感謝を伝えるのを忘れないようにしなくては。
日本の8月。やはりお盆のシーズンなのかもしれない。
追記:
1.シンガポールのジンの思い出はこちらに。
2.マグカップを売ってくださった先輩はこういう方でした。