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瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~

2023年は瀧廉太郎が23歳の若さでこの世を去って120周年。

竹田市歴史文化館・由学館では特別展として「瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~」をしています。竹田市歴史文化館・由学館は新国立競技場を手掛けた隈研吾氏の設計による建物です。

少年時代に竹田の城下町で過ごした瀧廉太郎は学校にあったオルガンに出会い、それがきっかけで音楽の道を志すようになりました。

しかし、家族は猛反対。そんな時、廉太郎の後押しをして、応援し続けてくれたのが従兄弟の瀧大吉でした。

高等小学校を卒業した廉太郎は東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に進学、優秀な成績で卒業後、ドイツのライプツィヒに音楽留学をしました。

ところが留学中に当時、不治の病とされていた肺結核を患い、志半ばで帰国。大分市内の自宅で療養生活をしていましたが、そのまま帰らぬ人となりました。

廉太郎の良き理解者だった大吉も、廉太郎がこの世を去る半年前に脳溢血で倒れて、亡くなりました。

「憾」は廉太郎の最後の曲。志半ばで病に倒れた廉太郎の無念の思いが込められているといわれています。

特別展では廉太郎や大吉の生涯・業績やルーツである瀧家について史料や写真、楽譜等の様々な資料で紹介するとともに、この曲に廉太郎が込めた思いを感じることができます。

市内には滝廉太郎が当時住んでいた家が当時のまま残されていて、記念館として一般公開されています。

瀧廉太郎記念館


館内では廉太郎が実際に演奏していたヴァイオリンも展示されています。

また岡城跡は廉太郎が作曲した「荒城の月」のモデルになったお城。竹田に住んでいる時、廉太郎少年は岡城跡に登ってよく遊んでいたといわれています。自身の「音楽家人生の原点」ともいえる竹田の地の思い出深いこのお城のことを思い浮かべながら作曲したのではないでしょうか。


岡城大手門跡

展示を見て、悲劇の作曲家に想いを馳せながら岡城跡とノスタルジックな城下町を歩いてみてはいかがでしょうか。

「瀧廉太郎没後120年記念 廉太郎と大吉~憾の真実2~」
開催期間:2023年5月20日(土)~2023年7月23日(日)
開館時間: 9:00〜17:00(木曜定休)

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