【園館等訪問ルポ】鵜飼をめぐる冒険 おもしろうて、やがてかなしき――(後編)
前編はこちら↓から。
■ 鵜飼の現場を見てみたい
長良川うかいミュージアムを訪れてから、鵜飼文化の豊饒さや、鵜と鵜匠の結びつきに関心を抱きました。しかし一方で、敷居が高そう……という印象も拭い去り切れずにいました。
幼い頃、一度だけ親戚に連れられて長良川鵜飼を観覧したことはあります。でも、幼すぎて凄さがまったく分からないままでしたし、何よりほとんど記憶が残っていませんでした。大人になって学び直して、初めてしっかり味わってみたい、と考えるようになったのです。
■ 売比河鵜飼(富山県富山市)
そんな私にとって幸運だったのは、「売比河鵜飼(めひかわうかい)」の存在を知ったことでした。1日限り、それも「売比河鵜飼祭」の中で実演される鵜飼。しかし、とてもアクセスしやすい地域で鵜飼を見ることが出来るというのは、まさに僥倖でした。
会場の最寄り駅はJR高山線の「婦中鵜坂」駅。「鵜」を地名に冠しています。
鵜飼が始まるまで時間があったので近隣を散策すると、「鵜坂神社」に辿り着きました。万葉の大歌人、大伴家持も奈良時代にこの地で鵜飼に触れてきたとされており、境内に鵜飼を詠んだ歌碑が残されていました。
売比河の早き瀬ごとにに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり 家持 (万葉集巻十七・四〇二三)
鵜坂神社から戻ると、祭りらしい賑わいが広がっていました。地域の方々がゴミ捨て場を用意し、環境を整えて下さっていたのが印象的でした。篝火と鵜が合体した?キャラクターが可愛らしいですね。
夕闇が迫る頃、鵜匠が登場しウミウの生態を解説する「座敷鵜飼」が始まりました。鵜籠からウミウが勢いよく飛び出します。地域の子供たちが鵜に手ずから魚を与える場面もありました。
続いて、川舟漁・徒歩(かち)渡り漁と、鵜匠と鵜のコンビネーションが多様な形で実演されます。徒歩鵜飼は舟を用いるのではなく、岸辺を歩きながら鵜を潜らせる漁法で、舟を用いた鵜飼よりも以前から行われていたとされています。
ところで、鵜坂神社から鵜飼祭の会場に戻る途中、私はある石碑を目に留めていました。
「カドミ汚染田復元記念碑」です。ここは大正時代から昭和時代にかけカドミウムに汚染され、四大公害病のひとつである「イタイイタイ病」が発生した地域でもあります。病に加え、風評被害や差別、偏見にも苦しめられていました。
古くから執り行われてきた鵜飼が長らく歴史の彼方に忘却されていたのは、公害病とのたたかいが暗く影を落としていたことも背景にあるのでしょうか。公害根絶には30年余りの歳月と巨額の事業費を要したと碑には記されています。
美しい田園風景を取り戻したこの土地で、自然の荒廃が文化の消失にも繋がりうること、それでも諦めない人がいることを学べた気がします。
■ 木曽川うかい(愛知県犬山市)
売比河で一夜限りの鵜飼を再現していたのは、愛知県犬山市・木曽川で鵜飼を行っている鵜匠たちでした。長良川の鵜匠たちは代々宮内庁から任ぜられていますが、木曽川の鵜匠たちは犬山市の職員です。
犬山市には「日本モンキーセンター」が立地していることもあり既に何度も訪問していましたが、この時まで鵜飼を観覧したことはありませんでした。
売比河鵜飼に参加する数週間前、思い切って木曽川鵜飼の観覧会を企画したところ、ありがたいことに参加して下さる方々が集まり、開催できる運びとなりました。当日の天気が心配でしたが、夕方には無事晴天が広がっていました。
日本モンキーセンターを観覧した後、夕方に木曽川べりへ。
国宝犬山城は改修工事に入る前であり、美しい勇姿を見せていました。
鵜飼が始まる前に夕食の弁当を食べながら、木曽川の昼の風景を観覧します。元々日本ライン下りなど、「川」を中心とした観光が盛んだったこの地域。水面は穏やかでした。先人たちによる治水の長い歴史に感謝しながら、風と景色を味わいました。
夕闇が迫る頃、ウミウたちが鵜籠から姿を現しました。待合所の提灯にも明かりが灯ります。
やがて、鵜舟が上流へ向かいました。下ってくる鵜舟を下流から観覧船で接近する観覧法が採られています。
篝火の下、てらてらと輝く鵜たち。赤く光る何本もの手綱が絡まることなく鵜匠の手でコントロールされています。
鵜匠の掛け声に合わせ代わる代わる潜水し魚を捕える鵜の様子を必死で追い、ようやく目が慣れた頃には、鵜舟は帰路に向かっていました。
文化としての鵜飼には、光、音、熱、暗闇の中で五感が刺激される総合芸術としての側面もあるのだと、肌で感じとれた初夏の夕暮れでした。
■ 篝火は消えない
鵜飼にまつわる伝承や理念、技術に触れた一連の「鵜飼をめぐる冒険」からは、動物園・水族館とはまた違った「動物鑑賞文化」の奥行きを教わりました。
行事としての鵜飼は、記事中で紹介した長良川や木曽川以外でも、全国で行われています。
・ 石和鵜飼(山梨県笛吹市)
・ 尾瀬鵜飼(岐阜県関市)
・ 嵐山の鵜飼(京都府京都市)
・ 宇治の鵜飼(京都府宇治市)
・ 大洲の鵜飼(愛媛県大洲市)
・ 三次の鵜飼(広島県三次市)
・ 岩国錦帯橋鵜飼(山口県岩国市)
・ 筑後川鵜飼(福岡県朝倉市)
・ 三隈川鵜飼(大分県日田市)
高齢化に伴う後継者不足を背景に鵜飼の実施を取りやめた地域もありますが、「動物と人間とが共に在ることで成り立ってきた文化」としての鵜飼の理念や伝承については、いっそう探求の可能性があるように感ぜられました。
「鵜飼」というテーマについての関心の炎はこの先も消さずに、ゆっくり時間をかけながら理解を深めていけたらと思っています。
いさましく早瀬に向ふ鵜舟哉 子規