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【 #さるのうた ・解題】原猿図鑑(後編)

 「さるのうた」の解題、前編に引き続きお送りします。


庚申にさるなしひとつ置き去りぬ見ざる聞かざる言わざるおきて

 「さる」がいっぱい出てきてにぎやかなうた。「おきて」は「掟」のつもりでつくっていたのですが、「起きて」と解することもできそうで、気に入っているうたです。


ごっつんこするたびに擦り減ってゆく飴玉抱えひとりで運ぶ

蟻にとって飴玉ってどのくらい重たいと感じられるのだろう、という素朴な疑問。小学生の頃、通っていた習字教室(神社の境内にあった)で早めに合格をもらった日は、家族が迎えに来るまでずっと蟻の巣を眺めているような子どもでした。「擦り減っていく飴玉」は何を指すのかはひとによって異なると思うのだけど、なるべく落とさずにしていきたいですね。


いいね!だけしていくことはいいことなのか分からない 言い訳がない

 SNSと距離感について。私は根本的にテキストコミュニケーションが苦手なんだろうなって自認しています。過剰すぎるか、過少すぎるか。じゃあ対面でのコミュニケーションは得意なのか、と問われると、もっと険しい表情になって押し黙ってしまうのですが。目も当てられないです。親密さというものについては分からないことが多いです。もう少しがんばりたいです。


あの頃のきみがbotになり今日もつぶやいている人魚の歌だ

 SNSを主題にしてみたシリーズでもうひとつ気に入っているうた。botって基本的に更新されない限り繰り返し同じ文字列を出力し続けるので、何だか年を取らない人魚が何年も何百年も同じ歌を歌い続けているように思えてきます。能動的にページを開くという行為がテキストに「いま、ここ」性を付与する紙の本と違って、反復的に投稿されるbotの文章はいっそう過去に縛り付けられているように感じられます。


前を向くためのことばを飲み込んで前向きなことばつい口をつく

 趣味と生業それぞれで大きな荷下ろしをしたためか一時期バーンアウトに近い状態になってしまっていて、2ヵ月ほど本調子でない状態で過ごしていました。ようやく気持ちが落ち着き始めた頃、私がしばしば自分を奮い立たせようとして空回っているのは、心にもない前向きなことばを発することにとらわれすぎているからではないか、ということに思い当たりました。SOSってちゃんと発していかないといざという時に声が出なくなってしまうから、「前向きじゃないけど、前を向くためのことば」の練習も意識的にしていきたいです。


愛だとか夢だとかすり潰してさ なうまん象の虫歯に詰める

 ナウマンゾウって臼歯の化石が日本国内各地で見つかっているんですね。歯の浮くようなことばかり言えないけれど、でっかい虫歯(古代のゾウは虫歯になったのだろうか)の痛みを軽くするためならいくらでも詰め込める気がします。誰かのためのことばによって、結果的に自分も救われている、ということはままあるので、ひとりごとじゃないことばをもっと意識して遣っていけたらいいなって思います。