動物園とシビック・プライド(case1)――飯田市立動物園(長野県飯田市)
▪️ りんご並木の突き当たり
名古屋から出る高速バスに乗って、揺られること約2時間。南信地方の小高い丘の上、小雪降る街――それが長野県飯田市を初めて歩いた印象でした。
この街の中心街にはりんご並木が続いており、開放的な街区が広がっています。映画館やギャラリーもあり、文化の気配をあちらこちらで感じ取れました。
そして、広い並木道の突き当たりには、動物園がありました。
▪️ 大火災と動物園
飯田市立動物園は1953年に開園。無料で市民に開放されている動物園として長い歴史を保ってきました。
動物園が街の中心部に生まれたきっかけは、戦後まもない時代にこの街を襲った大火災でした。
1947年、市の中心部の3分の2を焼失する「飯田の大火」が発生。大火災からの復興の中で街の中心に消防帯道路としてりんご並木が整備され、その突き当たりに整備された公園でイノシシが飼育され始めたことをきっかけに動物園が置かれたのです。
東海地震への備えを背景に、小動物を中心とした動物園という道を歩むことになったという背景が園の公式ホームページで紹介されています。災害からの復興の過程で動物園を持つことになった飯田市らしいエピソードです。
園路も非常にコンパクトで、街歩きや生活のなかでふらりと訪れることを想定するかのように全体が構成されていました。
キリンもゾウもライオンもいない代わり、在来動物の飼育展示に非常に力が入っていました。粉雪降るなか、南信州の山々を背景に生き生きと動く動物たちの姿を目にすることができました。
▪️ 高速鉄道と共生
飯田までの移動は、名古屋からは比較的アクセスしやすく感じたものの、新宿までの帰りのバスはさすがに少し長旅に感じられました。
しかし、リニア中央新幹線の「長野県駅」設置計画に未来の展望を見出す掲示物も街のそこここに認めることができました。
新幹線が開通したらこの丘の街の風景も変わっていくのでしょうか。
現在の園内のイノシシ舎前には、獣害をめぐる歴史資料とともに、飯田市内に復元•保存されている「シシ垣」の写真が展示されています。どんなに大都市から近くなっても、野生動物との共生をここでは模索しなければならない、そんなメッセージを感じさせます。
時代が進んでも、いや、進んだからこそ、野生動物と共に生きる地域の課題は前景化しているのかも知れません。
▪️ エコシステムと持続可能性
動物園を出て街路を歩くなかで、りんご並木の一角に建てられた「エコハウス」が気にかかりました。市のゼロカーボン政策の一環として、環境省の補助を受けたモデルハウスとして公開されているようです。
このモデルハウスを中心に、市街地の緑化を進め環境に配慮した地域づくり構想が進められていることがイメージ図とともに紹介されていました。
長期的な計画だけではなく、スモールステップでの地域づくりの取り組みも進められていることは、動物園内でも感じ取れました。
動物園の入り口では地域の高校生が開発したスパイスカレーが販売され、来園者の動物たちをテーマにしたアート作品が掲示されていました。
また、「動物」に光を当てた地域のNPO法人の活動を紹介するなど、「ただ動物を見せるだけではない」動物園の役割が幅広く展開されていました。
こうした掲示物の多様性から、地域に暮らす人たちの連携の拠点としてこの園で模索が続けられていることが短い滞在期間の中でも伝わってきました。
かつて炎に包まれた丘の街。復興した街路を一体として見る地域構想の圏内に動物園が位置していることは、この街の環境を意識した未来予想図に一定の示唆を与えているように思えました。
▪️ (参考)飯田市 都市データ
人口 97,562人(2022年7月末現在)
歳入総額 54,198,650千円(令和3年度普通会計決算概要より)
財政力指数 0.54(令和3年度普通会計決算概要より)
動物園管理運営事業費予算 47,535千円(令和3年度事務事業計画•予算管理より)
https://www.city.iida.lg.jp/KEKAKU/R03/pdf/229.pdf