爺の葬式
爺ちゃんが死んだときのnoteがいつまでも下書きのままくすぶっていたので、8ヶ月越しに完成させた。
爺ちゃんが死んだ。死ぬ予感はあった。認知症になってしまって、それでも自宅で一人暮らしを続けていた。だけれどもそれもままならなくなって施設に入った。それからみるみる間に弱っていってしまった。
去年の12月に施設に会いに行った。海を挟んだ島に行かないと会えないのだが行った日は生憎の悪天候。船が出ないとアナウンスがあった。やむなく知り合いの漁師の小さな船に乗せてもらった。めちゃくちゃ荒い運転、かつ波も高くて、施設につく前に何度も船が転覆してこちらが死んでしまうのではないかと思った。
なんとか施設について爺ちゃんと面会することができた。いつの間にかできていた眉間の皺を深くして、何度も「ここは死ぬ場所やあ。家がなくなってしまったんやあ」と繰り返していた。その時に、ああ爺ちゃんも長くないんだろうなと思った。そして、あっさりと爺ちゃんが長くないことを受け入れられる自分にショックを受けた。命が終わる時を見すぎたのかもしれない。仕事をやめないといけないな、と冷静な頭で思った。
爺ちゃんはその頃からご飯を食べることを拒否していた。また来年会いに来るよと多分叶えられないだろうと思う約束をして、帰った。
そして今年の春に爺ちゃんが死んだ。肺炎だった。
棺の中で眠っている顔は12月に見た顔よりも更に痩せこけていたけれど眉間に刻まれた皺は薄っすらとしか残っていなくて、安らかな顔だった。
爺ちゃんは一人で死ぬことを選んだ。命が危ないといわれて、叔父の家族が交代で常に誰かが病室にいたのだが、全員が病室から離れた瞬間に死んだ。私は爺ちゃんらしいなと思った。だけれどもみんなはなんであのときに離れたのかと後悔していた。一人で死にたくて、死ぬタイミングを待っていたんだと私は思っている。
爺ちゃんが死んだというのに全く泣けなかった。ママはずっと泣いていた。「こんなに痩せてしまって、無理やりにでもうちに連れて来ればよかった、ごめんね」と何度も繰り返していた。パパもこっそり泣いていた。親戚のおばちゃんたちも泣いていた。私だけが泣けなかった。
爺ちゃんのいとこ?とかいうババア(以下、おにぎりババア)が取り仕切って休む暇もなく働かされた。長男の嫁であるところのママはおにぎりババアにめちゃくちゃ嫌われていたため(理由はおそらく韓国人だから)、私もママもこき使われまくったし、理不尽なことを言われまくった。爺ちゃんが死んだのになんでこいつに従わないといけないんだ?なんで爺ちゃんの葬式なのにイライラしなきゃいけないんだ?と思ってずっとイライラしていた。
その日は宿が取れなかったことと、線香の火を絶やさぬよう寝ずの番をする必要があったので葬儀場で寝泊まりした。布団も風呂もない、一応畳の部屋はあるようなボロい葬儀場。畳の部屋はねずみのうんこまみれ。畳の部屋で座ってるだけで全身が痒くなったので私はそこで寝るのはやめて机をくっつけて机の上で寝た。夜勤ではガタガタの椅子をくっつけて仮眠を取っていたので余裕だった。私が深夜〜朝方深夜に起きるとみんな眠れておらず、よくそんなに眠れるねと感心された。
よく寝て元気だったため、寝ずの番をしながら、おにぎりババアが言った、朝一番に米を炊いておにぎりにしておけという命令を守って朝5時から米を炊いておにぎりを作った。……のだが、おにぎりババアが来た途端やけどしそうになりながら作ったおにぎりを解体された。
「なんで全部おにぎりにしちゃったの〜?」などと言っていた。お前がおにぎりにしろって言ったからだろうが、という言葉は爺ちゃんの前だったので飲み込んだ。
その後もおにぎりババアのせいでトラブル連発。忙しすぎて爺ちゃんの顔すら見る暇がなかった。
一段落して爺ちゃんが好きだった焼酎を、爺ちゃんの顔を見ながら飲んでいると、すべてのタガが外れたように涙が出た。
周りの人間は今更?という顔をしていたが、私にはその時間がやっと爺ちゃんだけに向き合えた時間だった。「そんなに泣かれたら邪魔やからあっちいき、恥ずかしいな」と言われたので一人で台所にこもってわんわん泣いた。
爺ちゃんとの思い出は少なかったけれど、愛してもらっていたことは覚えている。ボケてしまってついさっきのことすら覚えてないのに、何年も会ってすらなかったのに、大人になった私の名前を間違えずに呼んでくれた。今思い出しても嬉しい。会いに行って本当に良かった。
爺ちゃんが死んだという報告を受けた時、やっぱりそうか、と思ったけれど、それは死を受け入れたわけじゃなかった。死んだという事実を理解しただけだった。私にとって涙が出た瞬間が、ようやく爺ちゃんが死んだことを受け入れた瞬間だった。ひとしきり泣いて、悲しみに浸ったあとに、どっと安心感が押し寄せた。爺ちゃんの死すら仕方のないことだと流してしまうような人間になったわけじゃなかったのだと、人の死に麻痺してしまったわけじゃないのだと思って安心したのだ。
多分きっと、あの時に悲しいと思っていなければ二度と看護師に戻ろうとは思っていなかったと思う。(まあ、今もまだ無職なのだが……)
2日目はなんとか宿を取ることができた。父と叔父が寝ずの番をすることになったため私も宿へ行った。しかしみんなが寝静まった頃、なぜか式場に行かなきゃと思い、ド田舎で街灯もない真っ暗な道を、スマホのライトと記憶を頼りに葬式会場へ歩いた。
その後民宿に戻ったが、なんやかんやトラブルがあり短時間の間に何度も式場に行くことになったので、爺ちゃんが私とも一緒にいたいのかもなと思って酒を飲むことにした。思えば爺ちゃんと酒を飲んだことはなかったし。
父と叔父から爺ちゃんの話をたくさん聞いて、爺ちゃんにもたくさん話しかけて、4人で楽しく酒を飲んでいたら気づけば朝になっていた。
民宿に帰る直前、爺ちゃんに「ちょっとだけ寝るから夢に出てきてな」と言ったら孫のお願いを叶えるためか本当に出てきてくれた。
夢の中で私と、車椅子に乗った、死ぬ直前のガリガリに痩せこけた爺ちゃんがいた。目の前は島の港だった。空は海のように青くて、海と空の境界線が曖昧になっていた。私は爺ちゃんに「どこ行くん?私が連れてったろうか?車椅子押すで」と言ったら、「大丈夫だよお、海に帰るよお」と、やや間延びした、いつもののんびりした声で返事があった。海から誰かが迎えにきて、爺ちゃんが車椅子から立った。心配そうな私に「歩けるよお」と言って、迎えに来た人と歩いて海に行ってしまった。
爺ちゃんは漁師だった。海がずっと好きだった。だから海に帰ったんだと思う。起きてすぐママに話した。ママは泣いていた。ママはパパに話した。パパは無言で聞いていた。
火葬して、骨を墓に運ぶときにパパが「墓になんか入れんでもええのにな。親父は海に帰ったのに」とぽつりとこぼした。
これは完全に蛇足なのだが、爺ちゃんに、夢でロト6の番号を教えてくれともお願いした。しかしそれはかわいい孫のお願いといえども叶えられないことらしく、未だに叶えてもらっていない。